■□ ナイフ □■


 非道く疲れた顔をしている。
 そのやつれ具合を確かめるたびに、カカシはぞくりと嬉しくなるのだ。
 誰にでも優しいなんて、そんなのは嘘に決まっている。そんなのは気持ち悪いだけだ。だから、こんな風に見せてくれる素顔が堪らない。

 イルカがもっと苦しんでくれれば良いと願っている。
 自分のためにボロボロになってくれれば良いと、それだけを願う。

 だけれども、今回は少しやりすぎたかも知れない。

 ――別れましょう、カカシさん。

 イルカはやつれた笑顔で、ぼんやりと呟いたのだ。
 答えなど決まっている。誰が別れてやるものか。
 鼻でせせら笑いながら「浮気したからって、どうして俺があんたを楽にしてやると思うの?」、みるみる色を失っていくイルカを抱きしめてやりたくなる。
 ぐっと我慢して、わなわなと震えるイルカに留めを刺した。

「あんたが浮気したって、俺が知らないとでも思ってるワケ? 馬鹿だねえ」

 切り刻んでいく快感に震えた。









 イルカを初めて見た時から、囚われる自分が予想できた。
 誰にでも笑いかける偽善、欺瞞、傲慢さ。
 優しいと評判のアカデミー教師。もしかしなくとも熱血。少し――いや、かなりもっさりとしていて、どこもかしこも堅そうな印象。
 それなのに、襲ってきたのは欲望だった。
 ぞくぞくした。
 目の前で微笑んでいる男が、自分のもので貫かれたとき、どんな顔を見せるのか。
 受付所で妄想に浸っていると腰に熱が集まりだし、笑って誤魔化した。その晩、イルカを思いながら自慰に耽った。
 それは想像よりも深い快楽だった。
 ならば、手に入れよう。
 何も遠慮する必要はない。自分は上忍だ。絶対的な力を行使することが出来る。
 だが、それはなんだか違うような気がした。
 欲情はしている、確かに。しかし、今までのものとは何かが違うのだ。単に吐き捨てるのではなくて、もっと深い繋がりを持ちたいと――「はっ!」、そこまで考えてカカシは腹を抱えて笑いだした。

 深い繋がりって何よ?

 イルカに対して抱いたのは単なる肉欲で良い。それ以上に深い意味などいらない。そうだろう?
 それでも、乱暴に扱うのは躊躇われた。
 イルカの泣き顔は確かに見たいけれども、乱れていく方がずっと良いに決まっている。

 薬を使った。
 イルカのために、わざわざ自ら調合してやったものだ。
 媚薬と呼ぶよりも麻薬と呼ぶ方が正しいのかも知れない。痛みも苦しみも感じずに悦びだけを追えるようにと。
 
 手に入れた瞬間、血を吐きそうなほどの歓喜が襲った。
 そして気付いた。
 これは、アレだ。
 口にするだけで寒気が走る、いわゆる、愛だの恋だの、そういうものの一種だ。
 泣きじゃくるイルカの顔中に口付けてやりながら、「これで俺のものですね」と高らかに宣言した。

 イルカを見ているだけで満たされていく自分を、初めて愛おしいと思えた。
 他には何も要らない。囚われているのだ、黒髪の中忍に。
 囚われていることの快感に溺れながら、カカシは手当たり次第に情人を作った。
 
 優秀な種馬は、優秀な子どもを残さなければならない義務がある。

 イルカだけで充分に満足出来ているが、生憎とイルカは男で、とてもじゃないが子どもなど望めない。もしイルカが女だとしても、自分と子どもを作ることを許されるほどの功績がない。

「浮気だと思いたかったら、そう思っても構いませんよ」

 女の残り香を分け与えてやれば、くしゃくしゃに顔を歪ませて悲しむイルカに興奮した。
 どうやら自分の愛し方は間違っているらしい。
 追い詰めて追い詰めて追い詰めて、更に突き放して、だけれども拘束して執着して、溺れる代わりに相手を堕としてやりたくなる。

 イルカが自分のために涙を流してくれれば良い。
 泣いてくれる分、イルカは自分から離れることはないのだと信じた。

 そんな矢先、イルカが自分以外の男に抱かれたことを知った。
 笑いが込み上げた。
 なんて愚かなひと!
 痕を残されて、俺が気付かないとでも?
 くすくすと笑いを浮かべながら、イルカの首に指を這わせた。

「俺と別れたいの? 俺以外の誰かに抱かれて気持ちよかった? 馬鹿だねえ、俺はそんなことぐらい許してあげるのに」

 イルカが自分以外の手に掛かったのは正直面白くない。
 だけれども、見ろ。この可愛らしいひとを、この涙を、その絶望を!

 イルカは望んでいたのに違いない。
 浮気したのだと気付かれて、自分が怒り狂うのを、焦りまくるのを、殺してくれることを。

 誰がそんなことをしてやるものか。

「……か、カカシ……さ……?」

 喉仏を圧迫されて目の縁を赤く染め上げて怯える様が愛おしい。恐怖と期待に胸を震わせているのが手に取るように分かった。
 ぐっと指に力を込めてカカシは笑う。
 笑うのが得意だったイルカは消えた。
 自分が消した、イルカは自分に笑いかけることはない。浮かべるのは曖昧な微笑み、こちらを伺う可哀想な不安な眼差し。
 それを受け取るたびにカカシはイルカに愛されていると実感できる。

 イルカをこんなにまで不憫な存在に下手のは自分だ。

「俺はそんなに狭量な男じゃありませんよ。馬鹿だね、誰があんたを手放してやるかってえの」

 戦慄く唇を塞いでイルカの服の服の中に手を這わした。
 爪を立てぎりっと皮膚を裂く。
 苦痛に呻くイルカを閉じ込め、爪の先で傷を作った。
 血が流れ始めているのを確認し、ねろりと朱に染まった指先を舐め取る。イルカが顔色を失っていくのを眺め、ほら、と指をかざす――「俺は寛大な男です」。

「あんたが誰に抱かれても構いません。血の一滴まで俺のものだからね、分かり切ったことだ」

「ちっ……ちが、違います、ちがう……っ!」

 既に泣きじゃくり始めたイルカはブルブルと震え、カカシの下で藻掻き始めた。それを難なく押さえつけると何が違うのかと問うた。
 しかしながら、イルカは必死になって「違う、違う」と繰り返すばかり。

「だから。何が違うか言わないと分からないでしょう。それとも本気で俺と別れたいと思ってるわけ? そんなことできっこないくせに」

 そう、出来やしない。
 イルカが疲れて果ているのも、誰かに身を任せたのも、総ては自分のせいだ。
 イルカの中心はカカシで、その支配からは逃げ出せるはずもないのに。

「可愛いひと。あんまり我が儘言うと、非道いことをするよ?」

 カカシはイルカの総てを許すことが出来る。
 確かにイルカに自分以外の痕が残されているのを気付いたときは、怒りで目の前が真っ赤に染まったが、痕が残っていることにイルカが気付かないはずがない。
 見せつけているのだ。
 当て付けているのだ。

 ――あなたが俺以外を抱くのならば、俺だってその権利があるはずだ。

 多分、そんなことを考えたのだろう。
 馬鹿な恋人は可愛らしいものだ。

「何が違うの、ねえ……ちゃんと喋らないと、相手、殺して来ちゃうよ?」

 カカシが許すのはイルカひとりだけ。
 他は要らない、知らない、関係ない。自分以外に触れられたイルカを許すことは出来るが、イルカに触れた男を許すことは出来ない。

 それに、きっとその相手はイルカを慰めただろう。
 疲れ切ったイルカにとって、それは染み通ったに違いない。優しくされて情にほだされてしまう。そして、切り出したのは別れ。
 馬鹿が。だーれが別れてやるかってーの。

 イルカの総てが自分に向けられなければ気が済まない。
 
「……ちが……違います、違うんです……っ」

「だから。ねえ、可愛いひと? 俺に何をしてほしいの、別れたいのなら言ってよ、ちゃんと」

 そうしたら、あんたの足を砕いて俺から離れないようにしてあげるから。

 優しく囁くとイルカが恐怖に染まっていくのが分かった。
 ああ。
 なんて切り刻む行為はこんなにも――。









 イルカは信じられないとカカシを見上げた。
 予想をしなかったと言えば嘘になる。だけれども、常軌を逸していると感じた。

 
 浮気をされるのは初めてではないけれども、浮気をするのは初めてだとイルカは自嘲した。
 馬鹿なことをしたと自覚はある。
 だけれども疲れてしまった。
 カカシが分からない。「あなたが好きです」と囁くくせに他の誰かを抱く。
 男としては当然の生理なのかもしれないが、こちらのそれを放棄するようにしておきながら、それは無いと思う。
 カカシから漂う残り香は嫌でもイルカの男としての本能をくすぐるのだが、今更こうなってしまってから自分が女を抱けるとは思っていない。

 だから、カカシではない男に身を任せてみた。

「……何してるんだろ、俺」

 快感だけならば確かに感じた。だけれども、この空しさは何なのか。
 だけれども、間違いなく浮気だ。カカシではない男は優しく煙草の匂いを分けてくれ「辛いなら止めろ」と言ってくれたのだ。
 それが、カカシとのことなのか、それとも自分のことなのか分からない。
 それで泣けてしまったのだから、自分は相当な馬鹿だと思う。

 別れを決意した。
 もう沢山だ。

 せめてカカシが焦ってくれたらいい。
 自分を許せないと殺してくれたらいい。
 こんな惨めな思いを覚えるようになった責任はカカシにあるのだから、全部カカシが追ってくれなくては困る。

 ぼうっとしながら、イルカはカカシを想った。

 果たして本当に愛はあったのか分からないほどにカカシに囚われ続けている自分に反吐が出た。

 だけれども。

 カカシが与えたものは恐怖だった。
 焦りも罵りもくれなかった。ただ笑顔で「足を砕こうか」と優しく頬に触れる、首を絞めた指先、肌を裂いた爪、それらは矛盾しているというのに、どこまでも優しく触れる。

 なんなのだ、一体。

 カカシは自分をどう思っているのか。
 違う、違う、とカカシの問いに答えるものの、何を「違う」と言いたいのかすら分からない。
 ただ間違っているのだけは確かだ。

 カカシはおかしい。

 愛していると囁く舌で、足を砕くと笑う。それは間違っている。

 泣きじゃくりながら、カカシの色違いの瞳を見つめた。
 カカシが分からない、カカシはおかしい、壊れている。

 だが。
 ぞくりとした。

 カカシが求めているものの正体は分からない。だけれども――だけれども、もしかしたらカカシは必死なのでは無かろうか。
 馬鹿な、そんなはずはない。
 だけど。

「イルカ先生? ねえ、俺にどうして欲しいの?」

 喉まで胃液が迫り上がってきている。戻してしまえば楽になるだろうか。別れてください、その一言をもう一度紡げば……ああ、ダメだ。そんなことできっこない。

 きっかけは決して誉められたものではない。
 カカシは無理矢理だった。薬を使われ理性を奪われた。浮気を繰り返している――本人にその意識はないけれども、イルカにしてみれば辛い出来事だ。

 だけれども――だけど、もし。

 もし、カカシが自分だけを真実求めてくれているのだとしたら?
 それはもう――もう、言葉にすることが出来ないほどの悦びで身体が震えた。

「……浮気、じゃ……ありません……っ」

 カカシ以外の者に触れられたことを無かったことにはしない。だけれども、何だろう。一体なにがあったのか。
 優しくしてくれた男。煙草の匂いは柔らかく「止めろ」と言ってくれた。嬉しかったけれども、その響きは胸に落ちてくることはなかったのに。

「本気って言いたいの?」

「ちがっ!」

 これは絶望だ。
 カカシは絡め取る。蜘蛛のような周到さで、糸を張って絡め取っていく。

「そうだよねえ、違うよねえ」

 歌うように笑うカカシに抱きしめて欲しいと願った。俺だけを見てくれと望んだ。こんな浅ましいことをねだっていたのかと、イルカは「あなただけです」と狂いそうになるほど辛くなって仕方がない。

「二度目はないからね、気を付けてください。俺は狭量じゃないけれども辛抱強く無いんです」

 あんたを切り刻むのは楽しいけれども、同じぐらいに苛々するから気を付けてね。

 爪で抉って切り裂いて。
 あなたをこんなにも愛しているのだと伝えているのに、どうして分からないのか。
 馬鹿なひと、愚かなひと。

 一方的な思いを与え付けながらカカシはイルカを閉じ込めた。
 
「ねえ。俺のこと好きでしょ?」

 頷きながらイルカは間違っていると呻いた。
 こんな関係、最初からおかしい、間違ってしまっている。何もかも。

 だけれども。

 良かった、と心底嬉しそうに笑うカカシが嬉しかった。
 言葉で舌で指で、総てで自分を切り刻んでいく男に囚われている。
 
 正しくはないけれども、間違えていると誰が言える――?

 組み敷かれながらカカシの髪が眩しいと目を細めた。
 銀色の光をまき散らし、切り刻む男はナイフそのものだと。

 ああ、と息を漏らしながら目を閉じた。
 
 獲物を切り刻んで喜んでいた男が遠い国にいた話を思い出しながら、イルカは貪られる感覚に溺れる。
 ナイフだ。
 銀の髪に触れながらイルカはようやく息絶えた。
 


終わり












God bless you]の理々子さんより一周年のお祝いに戴きました!
まさに、私の理想のカカイルです‥‥。カカシ先生はやっぱりこれだわ!と、大興奮の私です。
大事にします‥‥!本当にありがとうございました!






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