■ ほほえむ男









 暗部という場所をなめていた。
 思っていた以上に陰惨な世界に、カカシはゆっくりとおかしくなっていった。
 止めてくれたのは、一人の女だ。
 愛していたし、失って辛かった。――カカシは、前以上に狂った。
 女が死ぬ要因になった計画の破綻。
 壊すきっかけを作った忍びを、カカシはずっと探していた。相手は、暗部よりも深い場所に生きる――当時はうじ虫と呼んでいた忍びと分かる。
 けれど、それ以降判明したのは男ということだけ。
 男は、地に潜ったように消え失せた。
 カカシに、いつもの生活が戻ってくる。
 けれど、そこに女はいない。
 やわらかい手も。優しい声も。 
 カカシは女の墓に誓った。
 どれだけ時間がかかっても、必ず男を見つけ出してみせると。



 暗部をやめて、平穏な日常を生きるようになっても、復讐の心はどす黒く膿んでいた。
 二度と、誰かに心を預けることはない。
 少なくとも、この復讐を果たさない限りは。
 戒めは強固だ。
 カカシは一日たりとも忘れることはなく、男の捜索も手を抜かなかった。
 殺伐とした日々。
 そこに突然現れたのは――うみのイルカ。
 二度目の人が現れたと、カカシは感じた。
 優しい笑顔。心地よい空気。
 カカシはすぐに夢中になって、長年渦巻いていた怒りの念は薄れていった。
 女を忘れたわけではない。 
 だが、この二度目の人は多分、最後の人になる。
 それだけカカシは、イルカを愛していた。
 幸せを感じてもいいかと、墓の女に問うた。
 死んだ人間は何も言わないが、彼女ならきっと分かってくれる。
 ――だけど、けじめはつけるよ。
 復讐の念は薄れたけれど、忘れてしまうことはできない。
 それでは、あまりにも女が可哀想だ。
 けじめをつけなければ、前に進めない。
 カカシは前以上に、男の捜索に力を注いだ。
 イルカには何も話さないでいよう。
 優しいイルカはきっと、死んだ女のために心を痛めて悲しむ。
 ――愛しいイルカ。
 追い求めた相手の情報が入ったのは、イルカと付き合い始めて一年半を迎えた頃。
 耳を疑った。
 うみのイルカが関わっている。
 うじ虫と呼んだ、あの工作員の中に。
 彼が。



 やっと捕まえた情報屋から、決定的な言葉を手に入れた。
 やはり――イルカだった。
 計画を壊したのも、女を死に追いやったのも、あの人。
 情報屋が、命乞いをする。
 当時、火影の命令で黙っていたが、望むなら世間に公表してもいいと。
 イルカを命の盾にするつもらしい。
 イルカイルカとうるさいので黙らせたら、うっかり殺してしまった。
(‥‥まあいいや) 
 イルカに贖罪を与えるのは里ではない。――自分だ。




 問い詰めると、イルカは開き直った。
 殺せと。
 完全に遮断されたイルカの心。
 はじき出されたカカシは、初めて殺意を抱いた。
 イルカは、されるがまま。
 何をしても抵抗しない。
 墓に連れて行って、女に見せた。
 謝らせたが、意味のないことだと十分に分かっている。
 これだけでは足りない。
 頭の足りなさそうな男を見繕い、イルカの家に入れた。
 抱かれて来いと言い残し、
 カカシは静かに結果を待った。




 深夜に騒がしい病院。
 イルカが首を切って、担ぎ込まれた。
 自殺。
 だが、それでいい。
 ――首を切ってなければ、オレが殺してた。
 他の男をくわえこんで、のうのうと生きさせるものか。
 しかし危なかった。
 図体がでかいだけの男だったが、適切な応急処置だったようだ。
 気をつけなくては。
 自害だけはさせてはならない。

 しかし、これでも駄目か。





 病院から帰る途中、イルカがふいに泣き出した。
 カカシは心底しらける。
 ――泣きたいのはこっちだ。
 月を見上げるイルカは、何も見ていない。
 誰も、映さない。
 ズルイね、イルカ先生。
 あんたはいつでも、何もかも捨てられるんだ。
 歩いていく道は真っ暗。
 まるで、自分たちの行く末のようだ。
 ふと、後ろで倒れる音。
 振り返ると、イルカが倒れている。
 額に触ると、熱があった。
 震えている唇に指で触れる。
 押し出そうとする舌を指で引掻くと、擦れた息を吐いた。
 ――帰ってからのお楽しみ。
 それとも、また首を掻き切ろうとするだろうか。
 瞼を開けたイルカの目が、夢を見るようにうつろだ。
 他意のない瞳は、無邪気な過去を思い出させる。
 戻らない日々を。







 
「ねえ、オレのこと好き?」
「好きですよ」
「愛してる?」 
「‥‥‥どうしたんですか、カカシさん」
 しつこい質問に、イルカは不思議そうに首を傾げる。
 確かめたいんですよ。
 さっき、報告書にあんたの名前があって不安なんです。
 心の声は口にせず、カカシは返答をねだった。
 イルカはしばらく渋った後、
 ちょっと顔を赤らめて、一度しか言わないと念を押す。

「あなたを、愛しています」

 はにかむように、イルカは微笑んだ。

 愛しい。
 本当に愛していた。










 青ざめたイルカの唇が何かつぶやく。
 袖を強くひっぱられ、カカシは口元を緩めた。
「はいはい、薬ね」
 優しくイルカの体を抱き上げて、闇の帰路についた。











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