■ 去る男









 薬は身体を蝕み、完全な中毒になっていた。
 アカデミーの仕事に差し支えが出るので、自前の薬を調合して、解毒をこっそり試みているが、どうもうまくいかない。そんなことはお見通しなのか。
 毎晩の墓参りは変わらず続き、恐れていた売女的行為は、イルカが首を切って以来強要されていないが、カカシが代わりの男となった。
 互いに通じるものなどなく、簡潔で一方的な性欲処理。
 だが、それでもいい。
 知らない男に抱かれるよりは、はるかにましだった。



 カカシとの狂態が始まって、一年と――四ヶ月。
 終わりの時は近づいていた。









 イルカは家で療養していた。
 アカデミーには休職願いを出している。――戻ってこれるかどうかは分からないが。
 体力は激減したが、死ぬほどじゃない。内部がいかにぼろぼろでも、まだ回復できる。薬の量を増やされたら、話は別だが。
 忍びであったからこそ、まだ普通の日常生活を送れるけれど、逆を言えば、もう忍びとしての生活は出来ない。
 軽い任務ならともかく――工作員に戻れるはずなど。

「一年半が終了したら、あんた工作員に戻って下さいよ」 

 昨日、カカシが言った言葉だ。
「おかげさまで、オレたちの関係はとっても良好です。これであんたが工作員に戻れば、完全に最初の形に戻る」 
 リセット。
 カカシは、何もかもやり直すつもりのようだった。
 この身体で工作員に復帰するなど、ケチな任務でも一日で死ぬ。予定になかった。てっきりカカシが、手を下すものと思っていたのに。
 だが断ることはできない。
 それがカカシの望みなら。
「‥‥分かりました」
 イルカは当然、頷いた。
 復帰まで一ヶ月をきっている。ひと思いに死んだほうがいいか、それともうじ虫のようにしばらく苦しみながら生き長らえた方がいいか。どちらがカカシが喜ぶだろう。
 そんなことを考えていると、大きなため息が聞こえた。
「‥またですか」
「‥‥?」
「あんたは、いつもそうやって自己完結するよね」
「‥‥‥」
「ちらっともオレのこと考えない?」
 何を言うか。
 考えている。いつだって、カカシのことを一番に考えている。
 イルカはそう思ったが――少し違う気もした。
 カカシが喜べばいい。そうすれば、自分も嬉しい。
「ねえ、オレを哀れだと思いませんか。人生で一度きりの恋の相手はあの世行き。これが最後と決めた相手は、誰よりも殺したかった男」
 カカシが望むことは断罪。自分は、その罰を受ける。
 受けて――死ぬんだ。
 それでいい。
 それが、自分の望み。
「あんたは狂ってますよ、イルカ先生」
 静かな指摘に、イルカは脂汗をかいた。
 なぜか、追い詰められている気分になる。気づいてはいけない部分に、カカシの声は鋭く入り込んでくるようだ。
 黙りこんだイルカに、カカシはまた嘆息した。
「でもまあ、頭のおかしさにかけちゃオレも相当なもんですけどね。――とくに、一番目の女を失ってからは」
 そろそろ墓参りに行きますか、とカカシは立ち上がった。
 毎晩、欠かされることのない謝罪の道。
 拒絶反応に吐き気がしたが、イルカはぐっと堪えた。
 カカシは先に玄関に行き、

「オレが、どれだけの覚悟でもう一度人を好きになったか、あんたには分からないですかね」

 最後の言葉が、やけに耳に残っている。
 夕方の空を見上げ、イルカは帰宅の道をあえてゆっくり歩いた。
 休職中だが、軽い事務の仕事は行っている。書類を預かりに行った帰りだった。
 カカシは今夜も来るだろう。彼女の墓へイルカを連れて行くために。時に、戯れのように抱いて。
 また、昨夜のような話をするだろうか。
 カカシとの会話はほとんど無い。イルカも必要としなかったが、
 昨日はやけに喋っていった。
 工作員に戻れと。自己完結していると。狂っていると。
 ――オレのことを考えているのか、と。
 朝になって考えて、一日穏やかな時間を過ごしたら、すこしだけ答えが見えてきた。
 カカシは、自分を身勝手な人間だと言いたいのだ。
 それは言われても仕方が無いことだが、断罪を受けているこの瞬間にすら、まだそんなことを言われるのか。
 だが、思って気づいた。
 本当は、自分はカカシの気持ちなんか考えたくないのだ。
 何も知らずに愛してくれた、一年半のカカシの記憶さえあればいい。
(‥‥俺は‥‥) 
 思考は深くもぐっていく。
 自ら塞いでいた部分にまで到達しようとしたが、
「――」
 イルカはぴたりと足を止めた。
 忽然と目の前に現れたのは、屈強な男。
 以前、カカシが家に呼び込んだ上忍だ。粗暴な印象ながら、首を切ったイルカを即座に病院へ運んだ――少し風変わりな男。正直に言えば、頭が足りないようにも見える。
 男は無言で、包みをイルカに差し出した。
 断ってもどうせ押付けられる。
 イルカは包みを受け取り、中にある薬草の匂いを嗅いだ。それだけで、身体が楽になる。中の薬草は、麻薬の類を中和する特別な葉だ。
 男は、カカシと自分の間にある殺伐とした関係に気づいていた。カカシにダシに使われたのだから当然といえば当然だが、こうしていまだに関わってくる理由が分からない。
 包みの中の薬草は、本来なら目が飛び出るほど高値で、しかも手に入りにくい。
 そんな薬草を、男は定期的に現れて――イルカに与える。
 一度、カカシに言われてやっているのかと訊いたら、何も答えなかった。
 カカシは知らない。
 この男が勝手にやっていることなのだ。
「‥こんなことをしてもらっても、俺には何も返せません」
「必要ない」
 変わらぬ即答。
 見返りを求めるわけでもなく、ならば罪悪感を抱いているのか。
 深くは追求しない。男は、なるべくならもう自分に関わらないほうがいい。
「‥‥ありがとうございます。でも、もう俺の前に現れないで下さい」
 すでに何度も口にした言葉だが、男はきっとまた現れるだろう。
 立ち去る男に、イルカは包みを握り締めたまま立ち尽くした。












 その日、工作員への復帰の届出を出した。
 身体検査をクリアするために、男がくれた薬草を少し服用した。
 書類審査だけなら――過去の経験もあるので、多分通る。ただ、実践は甘くない。
 イルカの前に、昔の仲間が現れた。
「戻ってくるなら、腕が鈍っていないことを見せろ。また泥の中に戻れるだけの覚悟があるのか、おれたちに見せるんだ」
 本当に重要なのは、現役の工作員たちが用意する試験。
 表向きには公表されていない。これは、仲間内だけの腕試しであり、生と死をかけた審査でもある。
 互いの命を預けあう仲間は、自分たちで決める。
 イルカは過去、そうやって何度も色んな人間を試した。――誤って死んだ者は、それまでだったのだとあっさり見放した。
(‥九字の沼の‥抜け忍暗殺‥)
 抜け忍は中忍クラス。人数は二人。万全の体調でなくとも問題はないが、
(――生きて帰れない)
 イルカは固く目をつぶった。
 リストアップされた中忍は、元生徒の名前だった。
 うじ虫に戻るなら、かつて育てた愛弟子でも容赦してはいけない。でなければ、あの世界では生き残れない。
 だが、
(殺せない。絶対に)
 昔なら躊躇しなかった。しかし、教職について、光の中で生きるようになって――あさましくもそれに縋りつくようになった。
 分かっていたのに。
 いまさら、戻れるはずなんてなかったのに。
 道が急激に狭まる。
 試験に出ても、受からないし――逆に返り討ちにあうだろう。
 生きてのこのこ帰ることは出来ない。
 復帰することが、カカシの望みなのに。
 では、やはり殺すか。
 いや、きっと土壇場で動けなくなる。
 元生徒に楽にしてもらうのもいいかも知れない。
 だがそれで、カカシは納得してくれるだろうか。
 断罪を終えても、カカシが自由にならなければ意味がない。
 ――いっそ、
(あの人と死ねたら)
 カカシとやりあって勝てるとは思わない。クナイを握る筋力は衰え、時々、眠れないほどの痛みが内側で疼く。血を吐いた時、もうすぐ楽になれると思いながらも、心底怖かった。
 怖い。
 死が怖いんじゃない。
 独りになるのが――怖い。






 その夜、墓へ連れ出すためにやってきたカカシに、
「一緒に死んで下さい」
 イルカはクナイを振り上げた。
 切っ先はカカシをかすりもせず、呆気なく武器は奪われた。
 突き倒され、無様に座り込む。
「冗談じゃないよ」 
 カカシが忌々しげに言った。
「オレは死なない。絶対に。あんたが死んでも、オレは生きる」
 完全な拒絶。
 分かっていた。いや、それなら何故こんな真似をしたのか。
 イルカには、もう自分のことすら分からなくなってきていた。
 カカシは続けて言った。
「‥‥その意味を、あんたはまだ分かんない?」
 分かるものか。
 もう何もかも、分からない。
 こみ上げてくる涙を止められなかった。
 一筋涙を落とすと、カカシが苛立たしげに壁を叩いた。
「自己憐憫はやめて」
「そんなことは‥っ」
 イルカは強く反発した。
「嘘ばっかり。あんたは自分さえよければいいんだ」
「思っていません‥‥っ」
「思ってる。――あんたは、どうしようもなく哀れな人間だ」
「‥‥‥っ」
 可哀想だと、人から思われるのが昔からたまらなく嫌だった。
 そんなことはない。
 誰であろうと、そんなことは言わせない。
 思っていいのは、自分だけだ。
「俺を‥憐れむな!!」
 叫んで、カカシを突き飛ばして外へ逃げた。
 心臓が痛い。
 汗が滲み出て、極度の興奮状態にいる自分に動揺する。
 吹き出た己の本心を――吐露したからだ。
 真実は全身を震わせ、やがて地面に座り込んだ。
 皮肉にも、
 女の墓の前で。
 毎日通わされて、癖になったのかも知れない。
 誰も追いかけてこないのを確かめて、イルカは握った土を墓に投げつけた。
 肩で息をして呼吸を整える。
 楽になると、急激に冷めてきた。
 ふらふらと墓に近づいて、ついた泥を払って落とす。
(‥‥哀れじゃない。俺は、哀れじゃない)
 醜くて、何もなくて、人を羨んで、そんな自分、認めたくない。
 もし、墓の女に許しを願ったりしたら――それを認めることになる。
 やはり、断罪を受けて死ぬしかない。
 試験に出よう。
 できるなら――教え子たちを殺す。
 駄目なら、もうそこでおしまいだ。
(何もかもおしまい)
 許しを乞うくらいなら、
 死んでお終いだ。




 カカシが喜ぶなら、なんでもする。
 なぜなら自分の方が、カカシを愛しているから。
 これだけ愛していたのだと、死んだ女に見せつけたい。
 ――いや、いずれ向こうで会うか。 
 墓を見つめて、イルカは立ち上がった。
 誰にも会わずに、このまま行こう。
(さよなら。また会いましょう)

 墓の女に、別れと再会を告げて。










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