□ 僕を呼ぶ声 (最終話)
「飽きた」という言葉は思いのほか胸に突き刺さった。
それは、いらないと言うことだ。
いらない。自分なんて必要ないと、あの少年は言ったのだ。
(痛いよ‥‥っ)
胸がずきずき痛んだ。
こんなに辛いのは、両親が死んでしまった以来。
自分でもどうしたらいいのか分からず、泣きながら走った。
もう人間に戻りたい。
今度こそ火影のところへ駆け込もうと思ったけれど、急に立ち止まる。
(‥人間に戻ったら、もう会えない‥)
少年が暗部に属していることをもっと重要視すべきだった。
喋れぬ犬なら問題なくとも、下忍が気安く暗部と接することなどありえない。カカシ自身言っていた。――忘れろと。
カカシが暗部にいる限り会えない。けれどもう、戻ることも出来ない。
自分はもういらないのだから。
(‥‥駄目だ。辛いけど、‥逃げるだけじゃ駄目だ)
イルカは残り雪に顔を突っ込み、頭を冷した。
最初の別れより更に状況は悪い。このまま別れたら、絶対に二度と会えなくなる。
イルカには奇妙なほど確信が持てた。
また、必要ないと言われるのは怖い。
けれど、追い払うなんて――あんまりだ。
カカシにとってはただの冗談だったかも知れないけれど、自分にとってカカシはもう友達同然なのだ。どんなに酷い目にあわされようと、
(決めたっ、もう‥決めたからな‥!)
友達として、怒る。
怒りに――戻る。
決心が鈍る前に、イルカは衝動に任せて反転した。
そして、同じくらいの速さで、カカシの家へと走り出した。
家に戻ってみると、そこにカカシの姿は無かった。
どうやら家の中にもいないらしく、あのまま任務に出てしまったようだ。
帰ってくるまで待つか。
(‥いや、見つける)
イルカは決心する。
今言わなくては、もう言えないような気がしたから。
足跡はあてにならないので、匂いを辿ってみた。カカシは体臭が少ないが、ずっと傍にいたイルカには分かる。匂いが消えてしまう前に急いで後を追った。
夢中になって匂いを追っていると、いつの間にか町から離れていた。
辺りに林が多くなり、森が近付くと急に不安になる。
(‥‥なんだか、ぴりぴりしてる)
空気が、ぴんと張り詰めているようで、イルカは歩を緩めた。
この辺りにいることは間違いないのだが、森の中は色んな匂いで溢れていて、入られては追跡は難しい。
どうしたらいいのかとうろうろしていると、ぐさっという音が足元で聞こえた。
(ぐさ?)
足元を見ると、黒光りしたクナイが地面に突き刺さっている。
(う‥わー!)
慌てて飛びのくと、イルカを囲うようにクナイが次々に突き刺さった。
一歩動けば串刺し状態に硬直すると、
「待て、犬だ」
どこからともなく声が響いた。
音もなく目前に現れたのは――数人の暗部装束の男たち。
勢ぞろいした面の男たちに、イルカは震え上がった。本気で殺されるかと思ったが、
「このチビ‥‥確か、カカシの犬だ」
一人がイルカを指差して言った。
「えらく気に入ってた犬だ。でも愛玩用にするって言ってたが、どうしてここにいるんだ?」
声に聞き覚えがある。もしかして、町で会ったあの男か。
「おい、カカシの犬なら辿りつけるんじゃないか」
「無茶言うな。どう見ても経験不足なチビだぞ」
「ならカカシのことは捨て置くぞ。あいつもこれぐらいのこと切り抜けられるだろうさ」
(え‥あいつがどうしたって‥‥っ)
イルカは急いでクナイの間から抜け出た。
説明を乞うように吠えると、一人の暗部が屈んで話してくれた。
旅商人を装って他里の忍が木の葉の里に入ってきた。一度戦闘を交えたが、倒したはずの敵忍の死体がない。証拠となる仲間の死体を確実に燃やして、残りの敵は森に逃げてしまった。正式な証文を持って木の葉の里に入ってきている以上、彼らが敵忍であった証拠がなければこちらの過剰防衛となる。
一触即発の他里と均衡。証拠の品はなにより重要なものだが、カカシが敵忍の額宛を奪ったらしい。それよって集中的に狙われたカカシは合流し損ね、現在森に取り残された状態にある。
一刻も早くカカシと合流しなくてはならないのだが、見つけ出すのは困難だった。
「カカシは隠れるのが上手いからな」
敵に対しては良しでも、仲間内にとっては焦るばかりだ。
「そもそも今日のカカシは集中力が無い。自分のヘマは自分で挽回させるのがいいさ」
「だからといって、ただ待機するだけでは芸がないぞ」
「では案内させるか? そのチビに」
(する!)
わぅんっとイルカは大きく吠えた。
急いで森の端に立ち、大きな樹木を見上げる。
自分など、この森に比べればひ弱な生き物だ。中には敵忍もいるし、正直怖いけど。
(この中に、あいつがいるんだ)
イルカは神経を集中させた。
大丈夫。
きっと聞こえる。
あの雪の時と一緒だ。
何も聞こえないけれど。
(‥呼んでる‥‥っ)
心に届くカカシの声に、イルカは土を蹴って走り出した。
大きく土を迫り出した根の間を、イルカは弾丸のように駆け抜けた。
後方から暗部たちがついてくるのが分かったが、途中から気配がなくなった。
イルカがあまりにも小さな道ばかり使うので、いつしか暗部たちは犬の背を見失ってしまったのだ。
しかしイルカにとっては、暗部がついてきてるかどうかなんてどうでも良かった。
早くたどり着きたい。早く早く。
怖さを振るい落とし、イルカは全速力で走った。
(‥もうすぐ‥‥っ)
目前に蔦に覆われた林があった。まるで蜘蛛の巣に飛び込むように中心に突っ込むと、ごろごろと団子のように転がる。
勢いを殺して止まると眩暈がした。くらくらしながら立ち上がると、
(‥‥‥っ)
木にもたれて座るカカシが、そこにいた。
ぴんっと尻尾を立てるイルカに、カカシがゆっくり面を取る。色違いの双眸が、これ以上にないほどびっくりしていた。
(良かった‥っ。会えた‥‥っ)
声は聞こえるけれど、内心不安に思っていなかったわけではない。
出会えた嬉しさに尻尾を振ると――途端に、カカシの目は険しくなった。
「‥何しに来たんだ」
声には、まぎれもなく怒りが滲んでいた。
怒っている。
イルカの尻尾は瞬く間に垂れ下がった。
だって、あんな別れ方は嫌だったし、暗部の人間がカカシを探してたし、カカシが自分を呼んだから。
「――お前なんか、呼んでない」
(‥‥っ)
イルカの心の声が聞こえたわけではないだろうが、偶然にもきっぱりと否定された。
そんなはずはない。
カカシは確かに自分を呼んだ。
だからここまで来れた。
自分は、もう一度会いたかったというのに‥‥。
(‥‥忘れてた‥‥)
イルカはううーと低く唸った。
そうだ。自分は怒りに戻ったのだ!
イルカは突進し、カカシの二の腕にがっぷり噛みついた。
しっかり歯を立てたつもりだが、カカシは痛みの声すら上げない。剥き出しに肌にどれだけ牙を食い込ませても。
(‥酷いっ、ひどい奴! どうしていつも傷つくことばっかり言うんだっ。お前なんか最低だっ、嫌いだっ、もう心配なんてしてやんない!)
心の内で罵倒しながら、ぽろぽろと涙が出た。
うーうー唸り、イルカは泣きながら噛みつき続けた。本当は、肌を食い破るなんて出来ない。ただ歯型がつくくらいに噛みつけるだけだ。
同じくらいの痛みを味あわせてやりたいのに、結局傷つけることのできないイルカはもどかしさに泣いた。
そんなイルカに、カカシは呆れたようなため息をついた。
腕に噛みつく体を抱きかかえ、
「――‥ごめんよ」
小さく謝った。
その謝罪の言葉に、更に涙が溢れ出る。
謝らせたかったわけではないのだが、自分の痛みを分かってくれたのだと、体中の気が緩んだ。
嫌いだ。――でも、やっぱり嫌いになれない。
イルカはすんすん鼻を啜りながら、カカシの胸に顔を埋めた。
いったいどれだけそうしていたか、
「‥‥あれさ」
カカシがふいに呟いた。
静寂に響く声に顔を上げると、優しい目が見下ろしている。
「忍の素質がないって言ったの嘘だよ」
――嘘。
イルカは少し驚いて目を見開いた。
カカシは目を細め、いつもの不思議な笑みを浮かべる。
「ただ‥こういう所に、連れてきたくなかったから」
(‥‥だから、忍犬にするのはやめるって‥?)
「それから、呼んでないって言ったのも嘘。‥‥‥多分呼んでた」
(‥‥‥っ)
「でも、もう呼ばない。結局、こんな所に連れてくるんじゃ意味ないからね」
イルカを地面に下ろし、カカシは立ち上がった。
「‥もう行きなよ。部隊が到着する。案内してくれてありがと。でも、本当にこれ以上関わっちゃいけない。オレの言ってること分かるよね?」
イルカは迷った。
さっきの別れの言葉とは違い、カカシの本当の気持ちが伝わってくる。
少年との間に見えるはっきりとした壁は、階級と呼ぶものか。
イルカは壁に気圧されるように後退り、押されるように促された。
心配されてる自分が情けなかった。
まだ伝えたいことも伝えられていないのに。
呼ばないと言った。
このまま――カカシとは会えないのか。
でも、
イルカは振り返り、ぐっと足を踏みしめて叫んだ。
「僕は‥‥‥、俺は‥友達だから!」
人間の声が出たことに自分でもびっくりしたが、深く考える余裕がなかった。
思いのままに、声の限り――叫んでいた。
「また‥絶対に会いに行くから‥!!」
「うん」
覆面を下ろしたカカシは、笑って頷いた。
初めて見る、子供らしい笑顔。
今度こそ本当の別れ。
イルカは涙を堪え、走り出した。
でも、
絶対に、また会いに行くから。
誓いは星のように、心の中で瞬いた。
***
その後、犬の姿のまま火影の家に飛び込んだイルカは無事に人間に戻してもらえたが、火影や周りの人間からはしっかりお仕置きをくらった。
火影は、一部の暗部とイルカが関わっていたことを知っているようだが、何も言わなかった。そして、その沈黙が答えでもある。
――すなわち、暗部に関することは闇へと。
カカシのことを聞きだすことが出来なかったイルカは、数日後にカカシの隠れ家へ行ってみたが、そこはすでに空家となっていた。
下忍の自分に暗部の情報など手に入るわけもなく、完全に消息を断ったカカシは、まるで初めから存在しなかったようだ。
甘くみていた。
会いに行くと言ったけれど、いつも通りの生活が始まると、犬になって彼と過ごした日々の記憶は薄れていく。
それでも、時折は思い出した。
生肉を見れば、カカシの家で飢え死にしそうになった自分や、演習場を見れば、辛く厳しい理不尽な修行の日々が。
――雪が降った時は、外で自分の帰りを待っていた少年の姿が。
あれほど誰かに必要とされ、嬉しかったことはない。
彼以外に、この先存在しないと本当に思う。
思い出す半分はろくなものではないが、今となっては懐かしい思い出だ。
大事な記憶として大切にしておきたいと思うのだが、
「――とゆーのが、オレとイルカ先生の馴れ初めなのよ」
ここにその思い出をぶち壊す諸悪の根源が。
(‥また話してる‥)
扉の向こうから聞こえてくる楽しそうな声にイルカは渋面した。
上忍待機室には数人の気配がして、話しているのは一人だけ。間延びした低い声は、楽しそうに続きを話し始めた。
「可愛いでしょ〜? オレと離れるのが辛くて戻ってきたのよ、二度も。んでもって別れ際の台詞。もっかい言おうか? ”また絶対に会いに行くから!” あ〜、忘れらないね。あの時不覚ながら粗相しちゃうかと思った。いや、あんな可愛いこと言われたらガキでもイッちゃうって‥‥‥」
「黙りなさい!!」
すぱーんっと扉を開き、イルカは大声で怒鳴った。
部屋の中央で両手を広げ、公演していたカカシは、
「あ、イルカ先生。お迎えご苦労様です」
にっこり目を細めた。
「‥やれやれ‥やっと帰れるか‥‥」
前に座らされたアスマを始め紅、他上忍たちはうんざりした顔で立ち上がった。
うっかりカカシののろけ話に捕まってしまったのが運の尽き。当初は多少面白がった話だが、こう何度も何度も何度も同じことを聞かされては今や立派なストレスの種だ。
「イルカ‥あいつ、本当に何とかしてくれ」
気力を消耗しきった顔で、アスマが擦違いざまに言った。
イルカは申し訳なさに何度も頭を下げて上忍たちを見送り、
「‥カカシ先生」
くるり、と振り返って肩をいからせた。
「べらべら人のプライバシーを喋らないでくださいっ。何度言えば分かるんですか!」
「いや〜、だって自慢したいじゃないですか」
「‥大体、前々から言おうと思ってましたが、暗部が関わってる件について喋るなと言ったのはあなたの方でしたよっ?」
「ん〜、時効つーことで」
「〜〜〜〜」
「あーあ、まだ全部話してなかったのに」
イルカの怒りの視線に懲りないカカシは大仰にため息をついた。
「今日はさらに続きを話してやろうと思ってたんですよ。その後、数年後に我慢できなくなったオレが自分から会いに行くって話」
「‥‥‥家に帰ったら普通にいるんですから‥あの時はびっくりしましたよ‥‥」
「だって、あんた全然会いに来てくれないんだもん」
(‥‥‥う‥‥‥)
それを言われると痛い。
「とにかく‥っ、俺は外で待ってますから。早く来てくださいっ」
「はいはい〜。この書類出したらすぐ行きますんで」
ひらひらと手を振るカカシに、イルカはいきり立ちながら外へ出た。
カカシはいつもこうだ。
人の嫌がることばっかり楽しそうにする。
好きだから苛めるんだとか子供のようなことを言うけれど、馴れ初め話を暴露されるこっちの身にもなってほしい。馴れ初めと同時に、変化に失敗した間抜けな自分の失敗談もくっついているのだ。
(――それに)
夜空を見上げたイルカはため息をついた。
本気で言っているわけじゃないと分かっているけれど、会いに来てくれなかったと言われたら、反論できなくて少し辛い。
本当は探してた。ずっと。
下忍から中忍になって、任務の幅も広がったので改めてカカシの捜索を始めたが、それでも踏み込めない暗部の領域があった。
何より、カカシは別れ際に言ったとおり――呼ぶのをやめた。
声が聞こえれば、どんなに遠く離れていてもすぐに分かるのに。
何度も歯痒い思いをし、
そして、大人になったイルカは理解した。
声が聞こえないのは、来るなということだ。
教職についてさらに数年。日々の忙しさに、イルカはもう諦めかけていたが、ある日突然、声が聞こえた。
そんな時、ひょっこりこの人が現れたのだ。
”暗部やめたんで、ここにおいて?”
カカシの台詞じゃないが、あの言葉は忘れられない。
どうして自分だと分かったのかとか、数年間、どこにいたのかとか、聞きたいことはたくさんあったけれど――気がつけば頷いてた。
成熟した大人になった彼は、子供の頃より更に非常識に磨きがかかったようで色んなちょっかいをしかけてくる。寒い日には布団にもぐりこみ、「大人のやり方であったくなりましょうか」と訳の分からない理由で寝不足に陥らされたり、今夜のように他人に知られたくない話を暴露されたり、カカシを受け入れたのはいささか浅慮であったのではと色々後悔することもあるが、
「―――」
ふと、イルカは振り返った。
ちょうど出てきたカカシが、
「あ、ばれた」
と笑った。
「‥気配ちゃんと消してるのに、イルカ先生にだけは通用しないんだよなぁ」
「聞こえてますから」
「うん」
頷きながら、カカシの唇がこめかみに押し付けられた。
「ごめんね? オレ、やっと可愛い人が恋人になって嬉しくて舞いあがってんのよ。なるだけ言わないから怒んないで?」
――恋人。
この辺りにも多少の誤解がある。
イルカはあくまで友達になりたかったのだが、大人になったカカシは別の感情を持っていた。最初は戸惑ったが、二十歳過ぎても忙しさを理由にろくに彼女を作らなかったイルカもまた、心の底では同じ感情を抱いていたのかも知れない。
それを確認することなく、なんだか流されるまま恋人同士となったが、それもまたよしであろう。
イルカは手を伸ばしてカカシの手を取った。
昔と変わらない冷たい手。
繋ぐと、ゆっくり体温が伝わっていく。
その手をしっかり握り、かつての少年を想った。
もしかしたら、
自分もまた、少年を呼んでいたのかも知れない。
「帰りましょう」
笑って言うと、カカシは子供のように目を細めた。
その笑顔があるだけで、いい。
舞い上がっているのは自分も同じだ。
言葉が無くても通じるカカシとのつながりに、
イルカは心から感謝した。
END
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