□恋になれ




第3話








 妖怪騒動から一週間。
 イルカは実に平穏な日々を過ごしていた。
 火影の家で監禁されている小天狗の存在も、まるで夢だったのではないかと思うほど、毎日は穏やかだった。
 だが、心の内は別だ。
 突然病院から消えてしまったカカシの行方を心配していたイルカだが、当のカカシは次の日から平然と任務についていた。
 アカデミーの試験シーズンを迎え、受付業務につくことができないイルカだが、聞いた話ではカカシはまったく変わりなく、以前と同じようだという。
 無愛想で無口。
 妖怪騒動については、火影の口からカカシへ事情を説明したらしいが、予想とは反対に向こうからの接触はまるでない。
 むしろ、避けられているようだ。
 ――――もう一度、ちゃんと話がしたい。
 元に戻ったカカシの気持ちを知りたくて、イルカは思い切って行動に出た。
 七班の任務中に尋ねれば、いくらなんでも避けられることはない。
 子供たちの今日の任務は、演習込みの野猫狩りだ。
 アカデミーを抜け出したイルカは、森を駆け回る三人の子供たちを見下ろし、カカシの姿を確認した。
(‥‥普通そう‥)
 まだ完治していないと聞くが、まったく普通に見えた。
 普通。いつものカカシ。
 だが、イルカの中には入院中のカカシの記憶がある。
 森を見詰めるカカシに、イルカは足音を消さずに近寄った。すでに気配は感じ取られているだろう。
「‥‥‥カカシ先生」
 そっと背に声をかけると、カカシは背中越しにちらとこっちを見た。
 すぐに外される視線に、
「あの‥俺っ、あなたにご迷惑を‥‥‥」
 追いかけるように声を上げた。
 すると、
「―――もう結構です」
「‥え?」
 カカシがようやくこちらに体を向けて言った。
「あなたの言いたいことは火影様から聞いてます。‥術にかかっていた間のことは、オレにとっては夢みたいなもんです。ほとんど忘れかけてますし。別にいいですよ」
「‥‥しかし‥‥‥っ」
 わずかに高い視線から見下ろすカカシの目は、ひどく冷たい。
 疎まれるような圧迫感に、イルカは喉を鳴らした。
「‥俺には、どうでもいいことでは‥‥‥っ」
「ないと?」
 カカシの声音に笑いが含まれる。
 空気が一変した。
 びりびりと張り詰めた怒気に、イルカは気圧される。
「オレがどうでもいいって流してやってんのに――じゃ、あんた。責任取ってくれますか」
「‥責任‥?」
「中忍の、しかも男に惚れてたなんて。あの入院の話はオレにとってはいい恥さらしです。悪いと思うならオレに服従してください」
「‥‥‥っ」
「‥そういえば、ずいぶんお高くとまってましたねぇ。上忍の中には好き者もいます。そいつらを咥え込むのはどうですか」
「‥‥カカシ先生‥‥‥っ」
 おもわず後退りした腕を、カカシが捕らえた。
 あの時病院で掴まれた時よりも、激しい痛みが走る。本気で折られてしまいそうだ。
「責任を取るとはそういうことですよ。―――今から行きますか」
 聞くに堪えない。
 本気にしろ冗談にしろ、カカシの言葉は傷を負ったイルカの心を激しく反発させた。
「‥‥いい加減に‥してください‥‥!!」
 ぐいっと引っ張られる腕に、イルカは衝動に任せてカカシの額に頭突きした。
「――――‥‥‥っ」
「―――――――っ」
 互いの額宛が鈍い音を立て、腕の拘束が外された。
 二人とも無言で頭を抱え、イルカは痛みのあまり涙を滲ませる。
 咄嗟の行動だった。手加減ができず、相手も相当の痛みを感じているだろうが、
「‥‥帰ってください」
 ぼそり、と俯いたままのカカシが言った。
 顔を上げると、カカシはもう立ち上がって森に歩き出している。
 かける言葉も見つからず、
(‥‥‥痛い‥‥‥)
 額を押さえて、イルカは鼻をすすった。
 この涙は、頭の痛みのせいだと言い訳しながら。




  ***




 イルカはすっかり落ち込んでしまった。
 カカシは最初の頃のカカシだった。
 入院していた時のカカシは、欠片も見当たらない。
 まったく期待していなかったと言えば嘘になるが、あれほど拒絶されるとは思わなかった。
 甘えていた自分を認めざるを得ない。
 投げつけられた言葉の刃は鋭く、何度もイルカの心を苦しめた。
 頭の中で繰り返される言葉と一緒に、イルカは何度も最後に会ったカカシのことを思い出す。術を解く直前のカカシ。
 あの時のカカシは、術がかかったままでもいいと言っていたのに、自分は元通りにして欲しいと望んだ。
 カカシの笑顔を思い出すたび、少しだけ悔やむ時もあるが、
 あの場での自分の決断は正しかったと思っている。
 カカシに術がかかったままで置いておくことは出来なかった。
 彼のためにも。
 ―――自分のためにも。
 落ち込む資格なんて本当はない。
 自分が彼を巻き込んだのは事実で、カカシの心を掻き回し、最終的にすべて無かったことにしたのだ。
 元通りになったカカシが、自分を嫌うのは当然のこと。
 カカシが責任を取れと言うのなら、見知らぬ男の慰めものになるのも仕方がない。
(‥‥‥‥‥何も食べたくない)
 翌日のアカデミーの昼。
 昨日の夜からろくに食べていないというのに、イルカは目の前の定食にも箸を動かさなかった。
 気がつくとため息ばかりで、これでは生徒たちに気付かれてしまう。
 体力が資本の教師が、センチな気分でご飯が食べられないなど話にならない。 
 イルカはのろのろと箸に手をつけたが、
「―――イルカ中忍」
 一人の忍が声をかけてきた。
 そっと耳打ちされた内容は、

”例の妖怪の処罰が決定した”

 驚くイルカに、忍は急な決定だと説明した。
 しばらくは拘束、そして更正の余地を見る処分だったはずなのに。
 火影からの報告だと言う忍に、イルカは昼食に一口も手をつけずに立ち上がった。
「これ、まだ一切手をつけてないから、食ってくれ」
 強引に伝達係を座らせ、急いで食堂を出る。
 




 火影の所在を探すと、自宅にいることが分かった。
 駆け込んできたイルカに、火影は待っていたかのように書類から顔を上げる。
「どういうことですか、火影様っ。あの妖怪の封印は‥見逃してくれるのでは‥」
「悪いな、イルカ。上層部の強固な姿勢が崩れん。あの小妖怪は再び巻物行きだ」
「どうして‥‥‥」
「今回の小妖怪の騒動は、結果的には特に問題はない。元々は善の妖怪。‥‥わしもな、見逃してやっても大事ないと思うのだが‥‥‥」
 火影は大きなため息をついた。
 小天狗の封印を声高らかに唱えているのは、古株の上層部。
 本人は固く口を閉じているが、噂では昔、小天狗のお節介な術に引っかかり、酷い目にあっているらしい。
 恋の恨みは恐ろしい。
 やれやれと疲れきった表情の火影は、「会いに行ってやるといい。あれは最上階にいる」とイルカに小声で言った。
 なにやら含んだ視線を向ける火影に、イルカは老人の言わんとすることを理解する。
 頷き、イルカは急いで外へ出た。
 小天狗が捕らわれている場所は大体想像がつく。
 火影の私用を片付けるイルカは、屋敷の内部をよく理解していた。
 外から回り込み、ある一室の窓に張り付くと、イルカはそっと中を覗き込む。
 薄暗いがらんとした部屋の中央に、封陣と鳥篭が見えた。
 そして、しくしくと響くすすり泣き。
「―――小天狗」
「‥‥‥っ、主殿‥‥!」
 突然室内に現れたイルカの姿に、小天狗はばさばさと羽根を動かした。  
 ぎょろ目からぽろぽろと涙をこぼし、
「うう‥主殿。最後までご迷惑をおかけてして申し訳ない‥‥‥っ」
 震える声で謝る小天狗を、イルカ心底哀れに思った。
「完全にわたくしの役不足でござりまする。‥‥やはりからまりには勝てない。憎きからまり。恐ろしきからまり‥‥‥悔しゅうございます」
「? ――そういえば、お前、この間からからまりって何なんだ?」
 さめざめと泣く小天狗が鼻をすすりながら顔を上げる。
「[からまり]とは、行き場を無くした糸でございます。文字通り糸がからまり、他者と繋がることを知りませぬ。わたくしのような縁結びの妖怪の手がなければ、愛し方を知ることのない人間。あれは周囲に混乱しか呼びません。あれと関わりあって幸せになった愛は聞いたことがありませぬ。‥‥‥わたくしを封印した人間もからまりでした」
「え?」
「わたくしはどうもからまりと縁があるようでござりまする。封印されてすぐに別のからまりと関わりあおうとは。‥‥‥しかし、今度も駄目でした。所詮からまりはからまり。出口などないのでござりまする。ですが、主殿は‥‥‥‥‥‥てぇいい!」
「――――う、わ‥‥‥!」
 突然の小天狗の気合と共に、小規模な煙が出現した。
 見覚えのある煙にイルカは飛びのこうとしたが、煙はすぐに消えてなくなった。
 残るのは、鳥篭の中でぐったり伏せる小天狗の姿。
 封陣の中での術は、小さな妖怪にとっては寿命すら縮める行為だ。
「お前‥‥‥また‥‥っ」
「わ、‥わたくしの最後の償いでございます。あの人間はからまりに戻りましたが、主殿は迷いなき人。最後の力を使いまして、良き子供を産む良いおなごと糸を繋げました」
「‥‥‥全然懲りてないな、お前」
 イルカは自分の左手の赤い糸に、うんざりした。
 久しぶりに見る糸に、手を伸ばして触れてみると――なんだか弱々しい感触。
 術者が弱った状態のためか。
(いけるかな)
 イルカは糸をしっかり握り、
「‥‥あ、主殿‥‥‥っ」
 異変を察した小天狗の悲鳴を無視し、思い切り引きちぎった。
 カカシの時と違い、糸はあっさり切れた。
「―――あ、切れた」
「な、なんてことぉぉぉ!!」
 雄叫びを上げ、小天狗はオロオロとうろたえた。
「わたくしの縁の糸が切れるなんて‥‥‥っ」
「‥‥あのなぁ、小天狗‥‥‥。俺には、こういうものは必要ないんだ」
 鳥かごからぐいーっと顔を出す小天狗の頭を、イルカは指で優しく撫でた。
「お前には悪いんだが、こんな糸で想いが左右されるなんて、俺は納得いかないんだ。‥上手く言えないんだが、そんなもの飛び越えていくのが想いってものじゃないかな? ‥‥お前の気持ちは嬉しいが、俺は自分の気持ちを信じたい」
「‥‥‥主殿‥‥!!」 
 妖怪は衝撃を受けたように身を震わせた。
 そして、うるうると瞳を潤ませ、
「‥‥‥糸を必要としなかったのは主殿だけです」
 涙を落としながら目を細めた。
「そもそもわたくしは、人の縁を繋げるだけの妖怪。‥‥わたくし、主殿に教えられました。人の想いとはなんと深い。己が恥かしゅうございますっ」
「うん。お前は少し思い込みも激しいしな」
 照れ笑いを浮かべながら、イルカは釘を刺すことも忘れなかった。
 そして、右手で鳥篭に触れ、
「?」
 不思議そうに首を傾げる小天狗の前で、びっと封符の札を破いた。
 鳥篭を囲んでいた封陣が鈍く光り、
 途端に、妖怪を捕らえていた封陣は効力を失う。
「あ、主殿‥‥?」
 手招きするイルカに、おそるおそる、ギィ、と鳥篭から出てくる小天狗は困惑気味だ。
 イルカは、唇に人差し指を当て、 
「もう人に迷惑はかけるなよ?」
 開かれた窓を指差す。
「主殿‥‥っ」
 小天狗は感極まったようだ。
「名に誓ってっ、これから先は人の縁に手は出しませぬ!」





 その後、イルカはこっそり火影宅を後にした。
 外に出ると屋敷がにわかに騒がしくなり、
「妖怪が逃げた!」
 と響く多数の声を聞く。
 だが、イルカの心はとても晴れていた。
 運命の糸なんて必要ない。
 それは強がりではなく、本心だ。
 カカシと、もう一度向き合いたいと思う気持ちも。










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