□ そこは陽だまり
受付所がざわついた。
彼がやってきた。
銀髪に色素のうすい肌。ひょろとした長身を前かがみにして、報告書を片手にやってきた。下忍担当の教師、はたけカカシ上忍。
男の姿を目にしたある者は急いで退出し、ある者は手持ちの上着を羽織るが、
(‥‥服忘れた‥‥‥っ)
防寒服を持ち忘れたイルカは、受付所でわたわたと慌てた。
今日来ると分かっていれば、受付所の仕事なんて引き受けなかったのに。
「‥‥‥あ〜‥‥」
入ってきたカカシはがりがりと頭を掻き、周囲をきょろきょろと見回す。
「これ消すよ?」
誰かに問い掛ける、というよりは独白に近い声を出すと、カカシは近くにあったストーブの火を消した。
そして、ぱたぱたと手で自分の顔を扇ぎ「暑いね〜」と呟きながら、受付所の窓を片っ端から開け始める。
途端、びょおおおおっと吹き込んでくる冷たい風に、室内にいた全員がぶるっと体を震わせた。今夜は雪が降ると予想される、そんな夕刻。吹き込む風はみるみる人々の体温を奪っていくが、
「あ〜すずしい」
報告書でさらに顔を扇ぎ、カカシは軽い足取りで受付へと歩き出す。
「これ、お願いします」
「は、‥はい‥‥‥っ」
受付には、すでにイルカしかいなかった。
他の受付員はカカシが窓を開けた瞬間、奥へ引っ込み扉を閉めてしまった。ちなみに、受付にやってきた他のギャラリーも早々に退散している。
結果、
逃げそびれたイルカと、涼しい顔をするカカシのみが受付所に残されていた。
(‥‥‥さ、寒い‥‥‥っ)
がたがたと震える手を止められなかった。
イルカは、寒いのが嫌いだ。大っ嫌いだ。家はとっくにコタツを出してるし、週三日は鍋。出勤帰宅の防寒服は完璧に近い。
が、今日は運悪くこの場に服を常備していなかった。
―――ナルトたちの新しい担任、はたけカカシは極端な暑がりだ。
その異常なまでの暑がりは周囲まで巻き込み、あついあついと言っては向かう先の暖房器具を止め、窓を開け放し、外と変わらぬ冬の気温を運び入れる。
彼の暑がりは里中に広がり、知らない者はいない。よって、冬の彼は周囲から嫌煙されていた。はたけカカシの行く所、吹雪あり。
上忍でどれだけ実力があろうと、覆面の下が美形であるとの噂があっても、冬は誰も彼に近寄らない。悪いことに、それに本人も気付いていない。
(‥いや‥‥性格悪そうだから、皆が寒がってるの分かっててやってるんだな‥‥)
イルカは震える指を酷使し、必死に報告書の確認を続けた。
ソファに腰掛けるカカシは、ふんふんと鼻歌をしながら読書している。信じられない人だ。
「お、終わりました‥‥‥」
なんとか終了し、震える声で呼びかけると「あ、どーも」と、カカシが立ち上がる。
最後に確認のサインを指示し、
(‥‥早く帰ってくれ‥‥‥っ)
やっとこの極寒から解放される喜びに、イルカはおもわず笑みが出そうになったが、
「イルカ先生、アンタもう上がれませんか」
「‥‥‥え?」
ふいにかけられたカカシの言葉に目を剥いた。
「今日はなんだか飲みたい気分なんですが、一人じゃつまらないでしょ。ちょっと付き合ってくださいよ」
「い、いや‥‥‥でも‥‥」
断りの言葉に詰まった。
ナルトの元担当、現担当という立場から、互いに出会ったら挨拶ぐらいは交わしたが、階級の違いからとくに仲がいいわけじゃない。飲みに行ったって、自分が気を使う羽目になることは目に見えていた。それは嫌だ。なにより、こんな暑がりと真冬の夜を一緒に過ごすなんて真っ平だ。
(こ、断るんだっ)
受付所に吹き込む風に、ガタガタと歯を鳴らしながらイルカは口を開こうとした。が、それより先に、
「じゃ、外で待ってるんで。遅かったらまた様子見にきますよ」
―――それは脅しというんだ。
イルカは呆然と立ち去るカカシを見送る。
カカシが出て行ったことで、わらわらと現れた他のギャラリーたちによって窓は閉められ、ストーブには火が灯り、受付所は瞬く間に温暖の地と化したが、イルカにはそれを味わっている余裕はない。
周囲の懇願の視線が、ちくちく痛い。
外で待つ吹雪の人は、イルカが出てこなければまた入ってくると言う。この温暖の場を守るため、今一人の中忍の犠牲が暗に求められていた。
(‥‥‥やっぱり、性格悪い‥‥‥)
ぽん、と仲間に優しく肩を叩かれ、逃げられない状況を噛み締めたイルカはしぶしぶ帰宅準備を始めた。早く帰れても、ちっとも嬉しくない。
せめての情けとばかりに、同僚たちからマフラーやら手袋を貰いうけたイルカは、待っていたカカシと合流した。
最初、どこかの居酒屋に行こうかと言う話になったが、ここでイルカが我にかえる。
(‥店に迷惑がかかるっ)
向かう場所が火影宅であろうと、暑がりカカシは怯まない。一般の店など、三秒で極寒の地にしてしまうだろう。まずい。それはまずい。
苦渋の決断だった。
皆の平和を守るため、イルカはしぶしぶカカシを自分の家へと招待した。
「へえ、結構酒そろってますね。イルカ先生、いけるクチでしたか」
イルカ宅の台所に隠された地酒の数に、カカシは上機嫌の様子だったが、イルカはすでに凍死しそうな状況だった。
家に入ると同時に窓を開け放したカカシに、当然暖房器具は使えない。「これ邪魔ですね」とコタツまで部屋の隅に追いやられてしまった。死ぬ、確実に凍え死ぬ。イルカは青ざめた顔で酒の準備を始めた。
―――正直、
いつ意識を失ったのか覚えていない。
自分では、カカシと酒を酌み交わしていたつもりだったが、
(‥‥‥うう‥‥‥)
かすかに戻った意識で、イルカは自分が居間に倒れていることに気付く。ガタガタと手が震え、軽い凍傷まで起こしているようだ。死ぬ、まじで凍え死ぬ。
「あらら、もう駄目ですか」
けろりとしたカカシの声が頭上から聞こえた。
憎らしい‥‥っと、僅かに怒りの焔が胸に燃えたが、ひょいと体を抱き上げられた。感覚も意識もほとんどないので分かり難いが、どうやら布団に体を移してくれたようだ。
(‥‥‥助かった‥‥‥っ)
この男にも情けは存在したらしい。あたたかな布団の中で、イルカはやっと生還を味わったが、ひやり、と冷たい感触が体を包む。
(―――――――!!)
ベットが狭い。もぞもぞと入り込んできたカカシに、イルカは心の中で絶句した。
「‥‥‥ん〜、オレの肌だとよけい体温取るかなあ」
(その通りだ‥‥‥っ、だから離れてくれっ、帰ってくれっ)
「でも‥‥この人‥‥‥」
(‥‥‥?)
後ろからイルカを抱きこんだカカシは、冷たい黒髪に鼻を埋め、
「‥あったかくて気持ちいい」
(‥‥‥‥‥‥)
イルカは何も考えられなかった。
背中で寝息が聞こえてくる頃、うっすら目を開けたが、まだ体は動かない。だが、じんわりと温かさが戻ってくる。それは、自分の体を抱きしめるカカシの腕と共用しているようだった。
(‥‥‥カカシ先生も‥‥実は、寒いって思うことも‥‥‥あるのかな)
人肌があたたかくて気持ちいい、だなんて、まるで子供のようだ。
ふふ、とイルカは笑った。
開けっ放しの窓からは風が吹き込み、白い雪がひたりとイルカの頬につく。寒い。でもまあ、くっつきあってれば凍死はしないだろう。
男同士というのが甚だ不本意ではあるが、相手を子供と思えば平気だ。
イルカはもぞもぞと右手を動かし、なんとか自分とカカシの体に布団をかけ直した。
明日はアカデミーの雪かきをしなければ、と考えながら、
(この人‥‥‥まさか入り浸らないよね‥‥‥)
そんな予感めいた不安も、抱くのであった。
END
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2002.11.25