□ ヒガンバナ 2
「あ〜‥はいはい。言いたいことは分かってますから」
夜遅く訪れたカカシは、玄関に仁王立ちして待ち構えていたイルカに間延びした声で言った。
「あの子供、いますね?」
「寝てます」
イルカは川原で子供を見つけたことを言った。
居間のバケツには、カツミがしっかり握っていた彼岸花が水につけられている。
ひとまず家に連れて帰ったイルカは、一緒に風呂に入ってご飯を食べさせ、ベットに眠らせた。
カツミは最初の夜よりずっと落ち着いていたが、血の匂いは完全には消せなかった。
居間に通されたカカシは、やれやれと座り込む。
「大体の事情はわかりましたよ。あの上忍、個人的に任務を受けて自分の子供にやらせてるようですね。それも、かなり汚いやつ」
「‥‥‥っ」
「うまいことやってるみたいでね。母親は遊女だし、そういう子供を保護する団体も、なかなか踏み込めないようで」
「‥‥そんな‥‥っ」
「母親もなんとか子供の親権を取り戻そうとしたようですけど、父親は上忍だし、たいていのことは融通ききますからね〜」
「‥‥‥‥‥‥」
「オレが調べただけでも、ずいぶんレベルの高い仕事こなしてますよ。‥オレの子供ってのも、ありえない話じゃないかもね」
「カカシさん‥っ」
イルカは軽い口調の男を睨みつけた。
「今の発言は不愉快です」
「ふ〜ん‥」
カカシはそんな苛立ったイルカの批難を受け、珍しそうに頬杖をついた。
「怒ってるんですね、イルカ先生」
「怒ってます」
イルカの脳裏に、彼岸花の中で座る子供の姿が浮かんだ。
「‥母親が黄泉の国から迎えに来るのを、待っていると言ってたんです。誰が、どの大人があの子にそんなことを言わせたんですか」
――――あの子供は、もう何もかも諦めているのかもしれない。
母親のことだけじゃなく、自分のことも。
あの父親は駄目だ。こうなったからには、子供がアカデミーに通い、元気に笑える環境状態になるまでイルカはカツミと関わる決意をしていた。
親権が問題だと言うのなら‥‥‥、
「言っておきますが、オレは自分の子供だって認めませんよ」
「カカシさん‥‥」
イルカの迷いを見透かすように、カカシが釘を刺した。
「だってね、本当は分かってるんですよ。あの子はオレの子じゃありません」
「‥‥‥‥‥」
「あんたは優しいね、イルカ先生。でも、カツミは子供だけど、もうすでに忍びです。周りの大人がすべて面倒を見なきゃいけないってことはないんですよ。オレだって、あの年のころは戦場を走り回ってました」
「あの子はあなたとは‥‥っ」
言いかけて、イルカは急いで口をつぐんだ。
この言葉は、以前にもカカシに吐いた。海よりも深く後悔したくせに――また。
「‥‥すみません‥‥」
自分の行動すべてが情けなくて、イルカは悔しさに涙がこぼれた。
「‥すみません‥‥‥」
「‥‥‥‥‥謝らないで下さいよ」
カカシが嘆息し、静かに膝を寄せてきた。
伸ばされた指が涙を拭き取り、すっと唇に触れる。なぞられ、顔を上げると覗き込むカカシと目が合った。
近づく顔に離れる理由も見つからず、触れる指先に任せてしまおうと思った。が、
「‥‥‥‥‥‥」
カカシとイルカは同時に視線を動かした。
その先は寝室。そして、沈黙に引き寄せられるようにおずおずと子供が顔を出す。
「‥‥ごめんなさい‥」
それは、邪魔をして、とのことだろうか。
急に恥かしくなったイルカは急いでカカシから離れたが、
「なに? 子供は寝る時間だよ」
カカシは不機嫌を隠さない。大人気ない態度に、「花‥‥」と子供は口ごもってしまった。
「彼岸花のことか? 大丈夫、ちゃんと水につけてるから」
イルカはすぐに察し、バケツの彼岸花を指差した。
すぐに彼岸花のところへ行こうとする子供の手を、「待ちなさい」イルカはおもわず掴んだ。
「――カツミ、ちゃんと話そう」
真剣なイルカの声に、子供は戸惑った顔を見せた。
彼岸花をちらと横目を見ながら、でも外さないイルカの手に、迷いを見せながらもその場に正座する。
イルカも習って正座した。カカシは胡座のままだったが。
聡い目だ。
見上げるカツミの瞳に、この子は本当に賢い子だとイルカは思う。
「詳しいことは聞かない。‥どんな事情にせよ、クナイを握っていた間のお前は一人の忍だ。任務の話は、然るべき場所で行うべきだ」
イルカの固い口調に、カツミはしっかりと頷いた。
「‥ただ、これだけは言いたいんだ。カツミ―――死んだ人間は迎えには来ない」
「‥‥‥‥‥‥っ」
「行けない場所ばかり思っちゃいけない。今、自分のいる場所を見るんだ。そこに、お前を想う生きている人間がいるだろう?」
はっきり告げると、小さな唇がぎゅっと引きしめられた。酷なことだ。だが言わねばならないことだ。
イルカは手を伸ばし、小さな手をしっかり握りしめた。
やわらかい手。
誰がこの手にクナイをもたせ、血を浴びさせたのか。
俯く白銀の頭に、イルカは優しく声をかけた。
「‥‥それに生きてるならきっと会えるさ」
「‥そう‥‥でしょうか」
「そうだ。まだお母さんが死んだと決まったわけじゃないだろう? お前が一番信じなくてどうするんだ」
「‥‥、‥ぅ‥‥‥っ」
大きな目にみるみる涙が溢れた。
嗚咽を堪えるように、小さな体がぎゅっとイルカに抱きつき、
その背中を、イルカはしっかりと抱きとめた。
泣き疲れた子供を、イルカは再びベットに寝かしつけた。
まだしがみついたままなのでイルカも横になっていたが、いつの間にかカカシが恨めしそうな顔でベットの端に顔を乗せていた。
「そこにアンタと入るのはオレのはずだったんですがね〜」
「しー‥‥っ、静かにして下さい」
大人気ない男だ。
ぎっと睨むと、カカシはわざとらしく欠伸をもらした。
「あの話‥アンタのことですか」
「え」
「死んだ人間は迎えには来ない」
「‥‥‥」
図星だった。
「えらそうな事‥‥言いました」
イルカは目を伏せ、過去の自分を思い出す。両親に他界され、一人の自分に苦しんでいた幼い自分。思い返すのは辛い。
胸にすがる子供の体温に、イルカはゆっくり目を閉じた。
「‥‥どれだけ願っても、俺は一人でした。今でも少し寂しいですが―――もう気づきましたから平気です」
「なにに?」
「そばにいてくれる人に」
「それってオレ?」
「‥‥‥も、含みます」
「オレだけでいいじゃないですか〜」
不貞腐れた声を上げる男にイルカは苦笑した。手招きすると、
「せまいですよ」
「文句言わない」
ぶちぶち言いながらも、もそもそとベットに入ってくる。
さすがに狭く、大きく動くと左右の大人は落っこちそうになるが、ぽかぽかとちょうど気持ちのいい温度になった。
気持ちよさにうとうとしかけると、
「仕方ないから」
カカシがぽつりとこぼした。
「え?」
「アンタと子供、オレがまとめて面倒みてやってもいいですよ」
肘を立ててこちらを見るカカシに、イルカはふ、と笑い――手を伸ばしてその耳を引っ張った。
「‥面倒かけてごめんなさいの間違いじゃないんですか?」
「いたた」
カカシの痛がる声が響き、一緒にくすくすと笑う声も聞こえた。
「ほら、カカシさんがうるさいからですよ」
大人に囲まれた子供は、うっすら目を開けていた。
まだ夢の中なのか、ぼんやりした眼差しで二人を見上げて微笑み、少しだけ頭を上げる。視線を居間の方に向けて、
「ばいばい」
――確かに、そう言った。
イルカとカカシは顔を見合わせ、カツミが見ていた方角に目をやる。
そこには、バケツに入った彼岸花があった。
黄泉の国と繋がっていると言われる赤い花は、闇の中でも怪しく際立っているようだったが、
―――翌朝、一同が目覚めると、彼岸花は枯れていた。
***
早朝、ガンガンガンっと叩かれる玄関の音が、家中に響いた。
誰であるかは想像つく。眠りを妨げる招かざる客に、
「めんどくさいね〜」
今度はカカシが立ち上がった。
玄関を開けると、思ったとおり肩をいからせる大柄な男。
「カツミを出せ‥!」
「芸がない男だね。それしか言うことないの」
最初から交戦する気のカカシに、とてとてと後ろから子供が顔を出した。イルカはその横につく。
「カツミ‥! お前は面倒ばかり‥‥っ、さっさと来い!」
子供の姿を目にした父親は猛然と奪い取ろうとしたが、カカシの手が邪魔をした。
「‥‥カツミ‥‥‥っ」
怒鳴る父親に、カツミはイルカとカカシの顔を見上げた。
カカシはその小さな肩を叩き、
「お前が決めろ」
一言、告げる。
「‥‥‥‥‥‥」
子供はしばしの逡巡の後、一歩進み出た。
しっかりと父親を見上げ、
「あなたは、お母さんは死んだって言うけど、‥‥僕はもう信じない」
「‥‥‥なに‥‥っ」
「お母さんはきっと生きてる」
カツミは凛とした声で、きっぱりと言った。
「待つんじゃない――僕が探しに行くんだ」
「‥‥‥‥‥‥っ」
「つーわけで、アンタは用無しね」
激怒した父親が行動に移す前に、カカシが子供の前に出て牽制した。
眠そうな目は、いつもより鋭い。
「三代目は平和ボケした年寄りじゃない。お前、やばいことに関わってんなら、そろそろ逃げたほうがいいんじゃないの? 三流ごときに暗部は防げないよ」
「‥‥くそ‥‥っ」
父親は忌々しげに吐き捨て、素早く身を翻した。カカシに指摘された通り、痛いところがあるようだ。
「お前はオレと一緒ね」
カカシは子供を見下ろした。
「――然るべき場所で、今までの自分に決着つけろ」
「はいっ」
ぴん、と背を伸ばし、カツミはしっかりと答えた。
出発した二人を見送ったイルカは、アカデミーへの出勤準備を始めるが、
「‥‥‥‥‥」
居間のバケツに残された枯れた彼岸花に気づく。
水につけていたので、こんなに早く枯れるはずはない。
かさかさになった花を手に取り、イルカは思う。
カツミが、死への誘いをきっぱり断ったせいではないかと。
(あとは‥‥生きている人間が足掻こう)
イルカは強く誓った。
――カツミの母親を、見つけ出すのだ。
***
カツミの母親捜索には、三代目が特別なはからいをしてくれた。
任務の空きがある忍のほとんどが動員され、大規模な捜索が日夜続き、
――そして。
「‥‥‥痛‥‥‥」
呻き声を上げながら、イルカは落ちるようにベットから降りた。
背筋にも走る下肢の痛みに涙が滲む。まさか、こんなに無理をさせられるとは。
服を着てよろよろと台所へ行くと、
「あ、おはようございます」
はい、水。とカカシがコップを手渡してくれる。
その水をカカシの顔にぶちまけたい衝動にかられたが、喉が痛むほど渇いていたので素直に飲んだ。
少しの動きでも痛い。つい顔を顰めると、
「すみませんね、無理させちゃって。でも、さんざん焦らしたあんたも悪いですよ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
もはや何を言っても負けそうなので、イルカは沈黙に徹した。
遊郭通いをしていたとは聞いていたが、カカシの別の一面を見てしまった気分だ。
(‥いちいち‥恥かしい真似させて‥‥‥)
カカシの手管に完全に敗北したイルカは、昨夜の自分に眩暈がした。
もう思い出すまい。
赤い顔でコップを齧っていると、玄関が叩かれた。
大きい音だが、叩き方は優しい。
迎えに出ようとしたが、がちゃ、と勝手に扉が開かれる。
「ごめんくださぁい」
ばたばたと賑やかに入ってきたのは女だ。
化粧気のない顔は凡庸としているが、笑顔が印象的だ。
大きな手荷物をテーブルに置き、女はイルカとカカシににっこり笑いかけた。
「あのね、突然ごめんなさい。実は今から出発することが決まっちゃって。ちょうど目的地に行く荷車があってね。一緒に乗せてもらえることになったのぉ。でも、カカシくんとイルカさんにはお世話になってるから、絶対、絶対ご挨拶に行かなきゃって思って来たんだけどぉ‥‥‥ごめんね。お邪魔しちゃって」
おっとりした喋りだが息継ぎが少ない。
唖然と聞いていたイルカは、「お邪魔」という言葉に敏感に反応する。以前にも聞いた。その時は息子の方だが。
もじもじと女の後ろから顔を出すカツミに、イルカは顔を真っ赤にした。
どうして分かるんだっとわたわた慌てる姿に女はくすくす笑う。
そして、深く頭を下げた。
綺麗にお辞儀をする背中が折れそうなほど細い。
「どうもありがとう。‥‥二人には心から感謝します」
顔を上げた女は――母親の顔だった。
カツミの母、ナツが発見されたのは行方不明になってから一週間が経過してからだった。
大規模な捜索により、香山とその周辺の山々もくまなく探し回った結果、山賊のアジトを発見。壊滅と同時に、囚われの身となっていたナツの身柄も保護した。
ナツはずいぶんと衰弱していたが、意識ははっきりしていた。
彼女を浚ったのはやはり遊郭に出入りしていた山賊の一味で、目的は身勝手な思い込みによるものだったが―――ここで別の首謀者の名が出る。
カツミの父親。現在は暗部の手によって拘束され、監禁中の身の男が、山賊一味に入り知恵をして、ナツを誘拐させたのだと判明した。
今まで、捜索しても見つけられなかったのは、父親が情報を漏らしていたためと思われ、火影三代目はきつく、この男は処罰することとなる。
これを機に、カツミの親権は全面的にナツに移行し、母親は新たな職と新天地が与えられた。カツミは忍びとしての優秀な才能を持っていたが、父親と共に関わってきた任務の内容は最後まで明かされず、その重要度が知れる。
いずれ忍びを目指すにしても、木の葉の里でアカデミーに入学するにはまだ時間が必要だと三代目は判断し、親子もそれを受け入れた。
しばらくは、普通の家族として暮らしたいと母と子は思ったのかも知れない。
――そして、肝心のカカシの隠し子疑惑だが。
「だから、本当は寝た覚えなんてないんですよ」
童顔は趣味じゃなかったんで、とあっさりカカシが言い、
「あれは咄嗟についた嘘でしたの。ごめんなさい」
カカシは好みじゃなかったと、母親もあっさり嘘を認めた。
遊郭を出ようと決意してから、元夫と親権について話していたナツは、本能的に身の危険を感じていた。何より気になったのは息子のカツミのことで、咄嗟にカカシのことを父親だと周囲に言った。
カカシの人格を把握せず、少々浅はかな嘘ではあったが、それだけ時間もなく、結果的にはそれが幸いした。
親子はしばらく休養した後、新たな地へ引越しをすると聞いていたが、
「‥‥‥まさかこんなに急だとはな」
大きな荷物を背負った小さなカツミを見下ろし、イルカは眉尻を下げた。
里の大門には、出発を待つ荷車と母親が待っている。
「向こうへ行っても元気でやるんだぞ」
目線を合わせ、イルカは励ますように笑顔を浮かべた。
――と、
「ん?」
カツミから白い花を手渡された。小さく可憐な花。――たしか、鈴蘭だ。
「イルカ先生、大好き」
にっこりと、カツミは満面の笑顔を浮かべた。
あまりの可愛らしさと率直さに顔を赤らめていると、子供は隣のカカシを見上げ、
「カカシパパも、好き」
「――も、ね」
パパと、からかう余裕のある子供に、カカシは苦笑いを浮かべた。
「ま、しっかりやれよ」
「はい」
カツミは強く頷き、もう一度だけイルカに抱きついた。
しっかり抱き返すと、ぱたぱたと元気よく母親のもとへ走っていく。
鈴蘭の花束を握りしめ、イルカは荷車が見えなくなるまで手を振り続けた。
―――願わくば、あの子の周りの大人たちが優しい人間であるように。
そう、心から思わずにはいられなかった。
「‥じゃ、帰りましょうか」
荷車が去ると、カカシが口を開いた。
はい、と頷き、イルカは一緒に歩き始めるが、少しびっこを引いていた。
親子の前では無理をしていたが、もう歩くのも辛いのが本音だった。
「おんぶしましょうか?」
本気で言っているから恐い。
早朝とはいえ、ぽつぽつと出勤する人の姿が見え始めている。無論、誰もいなくても嫌だ。
「結構です」
「今日は休みましょうよ。座るのもきっとしんどいですよ」
「いいえ、仕事は休みません」
「じゃあ、せめて行く前に風呂に入りましょうか。一人じゃ不便だろうから一緒に‥」
「お断りします」
「優しくしますから」
「‥昨日の夜もそんなこと言ったくせに‥」
イルカはため息をつきながら、勝手に赤くなる頬を擦った。
仕事に行く気はあるが、どうもまたカカシに流されてしまいそうだった。
長いため息をつき、イルカは手元の鈴蘭に目を落とした。
白い小さな可憐な花。
まるであの子の心のようで、イルカはつい立ち止まって後ろを振り返った。
――もう見えるはずはないのに。
知らず寂しそうな顔をしているイルカに、「なんて顔してるんですか」とカカシが呆れた声を出した。
「アンタは、もう一人じゃないんでしょ?」
「‥‥‥‥‥‥」
ぶっきらぼうな口調だが、確かに感じたあたたかみに、イルカは視線を戻した。
カカシが立ち止まり、自分を待っている。
「‥‥‥はい」
イルカは嬉しさに素直な笑みを浮かべた。
大丈夫。
あの子も、自分も、もう一人じゃないから。
微笑むイルカに、カカシが目を細めた。
嬉しそうな笑みに、イルカは心から思う。
傍にいてくれる人に感謝と、同じだけの愛情を返そう。
笑顔でいたい。
幸せを呼ぶように。
そして出来れば、
(‥‥長生きできますように)
カカシの手を取り、イルカはそっと心の内で願った。
END
一周年のお祝いのお返しに、千沙さんへ差し上げたものです。
リクエスト「彼岸花」‥オリキャラ満載ですみません‥‥‥。
そして、ちょっと予定よりも長くなってしまいました‥。
こんな話ですが、精一杯書きました(笑)
ありがとうございました!
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