□ 胸の焔











 体温が消えていく。
 死は、泥に飲まれるような感覚だと、カカシは指先すら動かせない己の身体を冷静に観察した。冷たい肌。不気味なほど静かな思考は、仙人の域にすら達しそうだが、
 ――噂に聞く三途の川は見えないな。
 深い意識の底で、カカシは茫洋と考えた。
「間違いない。はたけカカシ上忍だ」
「‥これほどの人が、こんな死を迎えるとはな」
「逝ってしまった戦力を惜しんでも仕方が無い。我々は任務を遂行しよう。眼球を摘出したら、残りは判別できないように始末する」
「他里の忍に渡すことはできない。貴重な写輪眼だからな。しかし、こんな形で拝めるとは‥」
 ――ああ、うざいね。
 遠くで響くうっとうしい会話。実際には、真上で飛び交う声は、呼吸をしなくなった自分の身体の処置を話し合っている。木の葉の死体処理班らしいが、内容によれば、用があるのはこの左目の写輪眼だけ。
 ――結構なことだ。このド素人ども。
 音もなく嗅いもないのが、忍者の死に様。写輪眼を所持する自分の末路は疾うの昔に受け入れているが、生憎くたばったつもりはない。
 外見からは立派な死体と化したカカシだが、実際は違った。追手をやり過ごす為に仮死状態になっているだけだ。死体と仮死を区別するのは口腔。木の葉の里の忍だけが知る目印を仮死者は残す。
 ――確認もせずに、いきなり解剖とはご挨拶だね。
 薬を服用し、仮死状態になったのは数時間前。そろそろ効力が切れてくるはずだが、身体が動けるようになる前に本物の死体になりそうだ。
 ――さて、どうしようかね。
 暗澹の森。獣の気配と使者である自分を除けば、人の気配は二人。
 ‥いや、もう一人。
「待ってください」
 三人目の忍の声。
「里まで‥戻れない距離ではありません。遺体を連れて帰りましょう」
 この場に不似合いな間の抜けた声は、ありえない提案をした。
「その必要はない。まだ敵忍が潜伏しているかも知れないのに、重要な秘密を持つ死体を背負って移動するのは危険だ」
「発見されれば的になるぞ」
 ――‥ま〜そうだね。賢い選択じゃない。
 カカシにとってはいい時間稼ぎだが、同じ忍として同意はできない。
「ですが‥、その方は、木の葉の里の為に戦って、命を落とされたんです。抜け忍ではありません。‥‥‥こんな寂しい場所で、仲間の手によって跡形も無くしてしまうなんて」
「それが我々の任務だ」
「違います。火影様から受けた任務内容は、捜索及び送還です」
「だからこうして持ち帰るんだ」
「しかし‥」
「もう黙れ、中忍」
 一人が苛立ったように唸った。
「荷物もちに連れてきたが口の減らない男だ。死体処理の仕事を見るのは初めてか? しかしお前も忍のはしくれなら理解できるだろう」
「‥‥‥‥‥‥」
 ――ありゃ、黙ったね。
 上忍か特別上忍の死体処理班二人に、雑用に連れてこられた凡人の中忍といった構図か。もう少し時間が稼げるかと思ったが、中忍の立場はあまりに不利だ。
「中忍。器具をよこせ。始める」
 無造作に伸びた手が、カカシの覆面を外しかけた。
 ――嫌だな。冷たいメスが目に入る感触は好きになれない。
 無骨な手が額当てに触れる。が、
「俺が責任を取ります」
 押し黙っていた中忍が、突然口を開いた。
「その人を背負って、里まで戻ってみせます。あなた方に迷惑はかけません」
 ――‥‥背負う?
 一瞬思考が止まった。死体処理班の二人も、言葉を無くす。
 その間に、つかつかと歩み寄る足音が響き、ぐいっと力任せに身体を起こされた。
 膠着した体を、誰かが背負う。
 肉眼で確認せずとも分かる。――忍とは思えない謎の中忍。
 よいしょ、と声を上げる中忍に、他の二人は慌てた声を上げた。
「‥‥発見されれば的になるぞ。お前ごときの腕で対処できると思うか」
「貴重な写輪眼を敵忍に奪われる恐れもある。了承などできるか」 
「‥‥‥その時は」
 ぐ、と強く冷たい腕を掴まれた。温かい手。
「この人の身体もろとも、自爆します」
「――――」
 長い沈黙が落ちる。
 死体処理班たちは、さぞかし滑稽な顔をしているだろう。
 だがオレは気分爽快だ。
 非常に楽しい。笑える。最高だ。なんなんだ、この男は。
 ――自爆。よりによって、自爆。確かにそれなら遺体は残らないだろうけど、なんでアンタまで付き合って死ぬ必要があるかね。
 楽しい。楽しすぎる。
「そんな無謀な真似、認めるわけにはいかん‥‥‥っ」
「我々死体処理班の面目にも関わる! その体を渡せ。これは任務だ!」
「任務でも‥‥‥っ、こんな扱い、俺は納得できません‥‥!」
「背くのであれば、貴様自身も無事ではいられぬぞっ」
「早くこちらに渡せっ、これ以上の茶番は‥‥」
「――あ〜、うるさいよ」
 ‥おや?
 周囲の空気が一瞬止まる。
 カカシも首を傾げた。今の声はよく耳にする。間違えようの無い、自分の声だが?
「‥なんだ、もう声出るじゃない」
 動きは鈍いが、膠着していた身体も急速に体温を感覚を取り戻していく。薬が効力が切れたのだ。
 中忍に背負われていたカカシは、多少ふらつきながらも自分の足で立った。
「‥‥あ‥‥‥、ど、‥‥どう‥‥」
 死体処理班は真っ青になって狼狽していた。死体だと疑わなかったカカシが、生き返った。それはつまり、仮死状態であったという事実であり、同時に確認を怠った自分たちの失態でもある。
 カカシも、無論見逃してやるつもりはない。  
「ええと、そこのアンタら。とりあえずツラ覚えたから。里に戻ったら覚悟しといて」  
「‥はたけ‥上忍殿。私たちは‥‥‥」
「目障りだからもう消えて? オレはこの人に送ってってもらうから」
 もう脚力はしっかりしていたが、わざと中忍の背にもたれかかった。
 しっしっと手で追い払うと、死体処理班は驚くべき速さで消えた。敵に追われるかのような逃げっぷりに、残された中忍は呆然としている。その顎を掴んで、顔をこっちへ向けた。
 思った通りの普通の顔。だが、鼻筋を真横に走る傷が印象的だった。高く縛った黒髪が犬の尻尾のようで好みだ。
「アンタ、いいわけ? オレが生き返ったからいいようなものを。立派な命令違反だよ? おまけに一緒に自爆するって。忍としてありえないんだけど」
 突然の展開に言葉を無くしていた中忍は、ぐっと口を引き締めた。
 覚悟を決めたその表情が、ひどく扇情的で、目を奪われる。
 カカシは口の端を上げ、中忍の背に体重を預けた。
「――オレね〜、あんな情熱的な殺し文句、初めて聞いちゃった」
「‥‥‥‥‥‥」
 中忍はしばらく考えている。
 意味を理解し、わたわたと慌てだした。
「‥‥‥っ、あ、あれはっ、こ、殺し文句なんかじゃ‥‥‥っ」
「アンタ、名前なんて言うの」
「え、あ‥あの、うみの‥‥です」
「下の名前」
「‥‥‥イルカです」
「そ、じゃ帰ろーか」
「‥‥‥‥あの、離れてもらえませんか? 歩きづらいんですけど‥‥」
「まあまあ」
 べったりと背中にひっついた上忍に、中忍イルカは諦めのため息をついた。
 
 
 

 胸の焔、という言葉があるが、この中忍の言葉は文字通りオレの胸に火をつけた。ついでに心臓すら動かす、強烈すぎる殺し文句。
 ――面白い人間、見つけちゃった。
 歩くつもりのない自分をずるずる引きずりながら進むイルカに、カカシは密かにほくそ笑んだ。






END






  

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2002.11.06

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