□ かくれんぼ









 情報の横流しを受け取るはずが、予定がどこかで狂ったらしい。
 どれだけ待っても相手は現れず、待ちくたびれたカカシはさっさと撤収を始めた。
 いつもの姿ではない。どこにでもいそうな男に変化していた。
 約束を違えた相手と、さてどうやって連絡を取ろうかと歩き出すと、
 
「―――カカシ先生?」

 あれが声をかけてきた。
 まただ。
 カカシは憂うつな気分で振り返った。
 変化は完璧だったのに、なぜいつもこの男には分かってしまうのだろう。
 いいかげんはっきり理由を判明させなければ、今後の任務にも支障をきたす。


 しかし、カカシの詰問にイルカは困った顔で首を傾げるだけだ。
 ただなんとなく分かったと、わけの分からない説明。
 それじゃあ話にならない。
「任務中に声をかけてすみません」
 謝るくせに、いつも声をかけてくる中忍。 
 カカシは気になって仕方がなかった。
 変化は完璧で、中忍に一発で見抜かれるようなヘマはしていない。
 試しに、任務以外で変化してわざとイルカの近くを通ってみれば――百発百中。
 薄気味悪くなるほど、イルカはカカシの変化を見抜く。
 
「‥アンタさぁ、なんでオレのことが分かるんですか?」

 困ったように首を傾げる中忍が心底うざい。
 命取りになりかねない隙が自分にあるのだ。まったく笑えない。
 カカシは、イルカの行動を注視するようにした。
 何か彼だけが特異な力を持っているのかも知れない。
 本気でそんなことすら考えていたが――事はもっと単純だった。
 いや、複雑か。

 イルカは、よく自分を見ていた。
 目が合うと慌てて外される。
 答えは、そこにあった。


 その日は屈強な男に変化していた。
 試しに向かえば、イルカの目はまっすぐ見上げて――意味深に微笑む。
 分かってますよ、というように。
 変化を見抜かれて通算二十回目に、カカシは確信した。

「アンタ、オレのこと好きなんですか?」

 言った途端に、イルカの耳は真っ赤になった。
 なんて分かりやすい。
 そう。オレに惚れてたの。だから見てたわけ。
 自分に惚れていると聞いて少し溜飲が下がる。
 同時に、持ち前の意地の悪さも出てきた。

「じゃあ、さっそくお願いできますか」
「‥‥‥え?」

 さっさと連れ込んだ先は、自分の家。
 だって、そうと決まればすることは一つでしょ。
 


「カカシ先生‥‥‥、その姿は‥やめてください‥‥‥」
 イルカは震えた声で抵抗した。
 訴えの意味は分かる。
 カカシはまだ変化を解いていなかった。
 イルカの上に伸し掛かるのは――カカシであってカカシではない。
 見知らぬ屈強な男。
 しかし、カカシはわざと変化を解かなかった。
「‥‥‥嫌だ‥‥‥」
 イルカは最後まで抵抗し、
 ずっと泣いていた。




「‥体が辛いでしょ。泊まっていったらどうですか」
 行為後、やっと変化を解いたカカシが声をかけても、戻ってくるのは沈黙。
 イルカの目元は赤く、服を着た彼は姿勢を正して、

「‥‥今まで、すみませんでした」

 深く頭を下げて、そのまま出て行った。
 見送ることもせず、寝台に転がったままのカカシはぼんやり天井を見上げる。 
(‥‥いい大人が‥ぼろ泣きしてたね)
 身体的にはすっきりしたはずだが、後味はあまりよくなかった。
 反応しない体を好き勝手にして、今までの鬱憤も晴らした。完全なる八つ当たりであり、謝るとは思わなかったが、半分はそう言わせるつもりで抱いた。
 これだけはっきりと気持ちを裏切れば、どれだけ打たれ強い人間でもくじけるだろう。
 後悔はしていない。
 自分を見破る人間など、百害あって一利なしだ。
 自分側に引き込めるなら問題ないが、イルカは男で、中忍。
 同等の力がなければ、そこまでの信頼はおけない。

 これでいい。
 あの男は、もうオレを探そうとはしないだろう。
 耳に残るイルカの泣き声に、カカシはうんざりと目を閉じた。 
 あんたが悪いんですよ。
 

 そんなまっすぐな目で、オレを見つけるから。
 






 その夜以降、イルカの姿は見なくなった。
 それどころか故意に会う時間を外し、徹底して人を避けてくれる。
(律儀なことで)
 まあいいかと思う。
 予定通り。これで任務の邪魔をされることはない。

 しかし、安堵を抱けたのは最初の数日だけだった。
 日が経つにつれて――今度は見えないことに苛立ちを抱く。
 夜になるとイルカの泣き声を思い出すし、
 視線を感じればあの黒い目かと思う。
 女の誘いにも気乗りがせず――やっぱりね、とため息がこぼれる。

 あの男は、まずいと思ったんだ。





 受付に、イルカを探しに行った。
 こうなったら会って話をするつもりだったが、姿は見えない。
 係りの人間に聞いてみれば、その男もイルカを探していた。
 明日の早朝に使う予定の教室の鍵。
 本人に渡すために男もイルカを探しているようだが、
「それ、オレが届けてあげるよ」
 カカシは鍵を受け取った。


 イルカを探す自分が滑稽に思える。
 しかし、
(――こそこそされるのは好きじゃない)
 会ってどうするか分からないが、とにかくイルカの姿を探した。
 足取りを追ってあちこち回り、 
「え? ‥おかしいですね。さっきまでそこに‥‥」
 アカデミーの職員室で、教師の一人が言った。
 後を追えば、外に出て行ったと聞く。
 避けられている。
 明らかに逃げているイルカに、カカシも足を早めた。
 一瞬だけ、人波に消える黒髪が見える。
 捕まえられると確信したが――そこにイルカはいなかった。
 おかしい。
 カカシは流れる人波をじっと見た。
 その中で、大人達の間をかきわけて、小走りで走る子供がいた。
 何の変哲もない子供に見えたが、

「‥‥イルカ先生‥‥‥?」

 カカシの呼びかけに、ぴたり、と子供の足が止まった。
 振り返った顔には鼻の傷もなく、どこもイルカと似通うところはない。
 しかし、カカシには確信できた。
 あれはイルカだ。
 一歩踏み出す。すると、子供も一気に逃げ出した。
 脱兎のごとく。
「‥‥ちょっ‥‥と‥‥‥っ」
 イルカはすばしっこかった。
 子供の身体を最大限に利用して、大人には通れない道ばかりを選ぶ。
 追い詰めた、と思ったが、また変化された。
 人込みにまぎれて姿が分からない。
 だが、カカシは手を伸ばした。
「‥いい加減にしなさいよ‥、イルカ先生‥‥っ」
 頼りない感触。
 捕まえたのは見知らぬ少年だが――間違いなくイルカだ。
「‥離せ‥‥っ」
「嫌ですよ。――なんでアンタの言う事聞かなきゃいけないんですか」
 カカシは少年の身体を小脇に抱え、その場を離れた。






 大樹の枝に下ろすと、イルカは急いで距離を取った。
 全身で警戒する姿は見ていて面白くない。子供の姿だと尚更むかつくのが不思議だ。
「こっち見なさいよ」
 顎に手をやったが、嫌がる。
「その変化もさっさと解いてもらえますか」
 ぶんぶんっと首を横に振られたが、
「いいですよ。ガキには興味ないですが、アンタがそういうの好きなら」
 脇から侵入する手にイルカは驚いた。
 カカシを突き飛ばしたはずみに、枝からバランスを崩して落下してしまう。
 くるん、と途中で体勢を整えたが、身体の大きさから地面までの距離が予測し切れなかった。
 危うい所を――カカシが抱きとめる。
 小さな顔がおそるおそる顔をあげると、

「ガキ」

 冷たいカカシの目とぶつかった。
 イルカの目に初めて怒りがこもり、地面に下りた途端、元に姿に戻った。
「なんなんですか‥‥っ、あなたは! どうして人を追い掛け回すんです!」
「自意識過剰ですよ、イルカ先生。オレはアンタへ届ける鍵を預かっただけです」
 冷静な説明に、イルカは顔を真っ赤にした。
 悔しそうに唇を噛んで俯く。
 相変わらず直情的な男だ。
 カカシは鍵を手渡し、その手を握った。
「‥‥離してください」
「やだ」
「‥‥‥‥お願い‥‥ですから」
 イルカは泣いていた。
 拭うつもりはなかったけれど、気がつくとその頬に触れていた。
 噛みしめる唇に指を押し当て、口の中に入れようとするとやわらかい舌が侵入を拒んだ。
 涙を舐めてみようと舌を伸ばすと、触れた途端にイルカの身体がビクっと震える。
 嫌がる素振りを見せるけれど、
 口付けた唇は甘く、止める気もなかった。
「‥‥ッ、‥あなたは‥‥酷い‥‥‥」

 そんなことは分かってますよ。







 さて、これはどういうことか。

 もそもそ服を着込むイルカの隣で、あぐらをかいたカカシは茫洋と考えた。
 抱きたいと思ったから抱いた。
 自分の感情に従ったまでだが、それではイルカは納得しないだろう。
 さて、どうしたらいいものか。
 自分なりの答えを出そうと難しい顔で考えていたが、
「‥‥どうして‥‥‥」
 イルカがぽつりとつぶやいた。
「え?」
「どうして、‥俺だと分かったんです‥‥?」
 問われて、はて? と思う。
 イルカの変化が下手だったとは言わない。自分でもすぐに判別するのは難しい。
 だが、
 何故だか一目でイルカだと分かった。
「‥‥‥さあ」
 はっきりした理由などない。あれは直感だった。
 そしてふと気づく。
 イルカも、こんな感覚だったのかと。


「‥‥イルカ先生」
「はい」
「もうオレに、愛想尽きましたか?」
「‥‥‥」
 イルカはしばらくの沈黙し、
「いいえ‥‥‥」
 ふる、と首を振った。
「‥‥馬鹿みたいですけど、俺‥嬉しいです。‥こんな状況だけど、やっと、あなたに触れられて‥‥」
 丸まった後姿を見つめ、カカシは大仰なため息をついた。
「まいったねえ‥」
 腹の底から、困った声を出た。
「――アンタってさ、ハマるとやばそうなんですよ。抜け出せなくなりそうで。オレ、相当にしつこいですけど、大丈夫ですか」


「あんたを絶対に幸せにはできませんよ」


 長い、長い沈黙。
 遠くで響く鳥の鳴き声の後に、
 イルカは小さな声で言った。

「‥幸せは貰うものじゃありません」

 ――気づかぬうちに、そこにあるものです。
 




「言うね」
 カカシは破顔し、イルカの手を引っ張った。
「来てよ、イルカ先生。どうせなら夜までサボりましょう」
「‥‥‥火影さまに見つかったら大目玉ですよ」
「大丈夫ですよ。誰もオレたちを見つけられやしません」

 ――オレたち以外はね。

 カカシにしては珍しい言い回しに、
 イルカはやっと笑顔を浮かべた。
(可愛いねぇ)
 現金なものだが、いったんふんぎりがつくと、あれだけ嫌だったイルカの眼差しも今では心地いい。
 笑った顔もいい。
 でも大丈夫かねえ。
 オレ、本当に嫉妬深いんだけど。



 もう一回、と組み敷くと、ふわりとイルカの手が背に回った。
 固い男の腕だけど、しなやかにオレを包み込む。
 そうだねえ。
 この人なら、大丈夫かもね。





 捕まえたのは、
 捕まったのは、
 はて―――どちらだったか。











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