■ 噛んで
カカシの機嫌がすこぶる悪い。
原因は、カカシの家で見つけた毒薬だった。
――今日はオレの家で。
一方的な誘いの言葉を残して、カカシは立ち去った。
いつものことなので慣れているが、カカシが自分の家を指定するのは珍しい。
普段はイルカの家に転がり込んでくるが、
(そっか。俺の家、今は風呂が使えないから‥)
ここ二、三日、アパート全体が断水状態になっていた。明日には業者が入って直るが、風呂が使えないのはたいそう不便なことだ。とくにあの男が来るのでは。
自分一人なら銭湯を使用すればいいが、深夜はさすがに閉まっている。この暑い時期に、べたべたの身体で同じベッドで眠るなんて‥‥。
(ええい、くそ)
赤くなる顔をぱちんと叩き、イルカは妖しくなる思考を止めた。
仕事を終えてから一度家に帰り、夕食の買い物をしてカカシの家に到着したが、当の本人は留守だった。まだ帰ってきていないのか。
カカシの家の合鍵は持っている。
ガチャガチャと鍵を開け、中へ入ったイルカは、整頓された部屋にちょっと驚いた。
何度か来たことはあるが、こうしてじっくり見るのは初めてだ。
トラップなどは仕掛けられていないが、下手に触ると何かがありそうだ。
イルカは何もつつかず、まっすぐ台所へ向かって夕食の準備を始めた。
――それを見つけたのは、偶然だった。
食器棚の開き戸の奥。
調味料を探していたイルカの手が、赤い瓶に触れた。
冷たい感触に引っ張り出すと、赤い液体がたっぷり入っている。中に、細い葉が何枚か浮かんでいた。何かの薬のようだが――、
「‥‥‥‥‥‥」
怪しいものには、何かしら引力が存在するのかもしれない。
イルカは奇妙な好奇心を持って、瓶の蓋を開けて匂いを嗅いだ。
――間違いない。
「なんですか、これは」
帰ってきたカカシに、イルカは赤い瓶を見せた。
カカシは少し目を見開き、すぐにいつもの眠そうな目に戻った。
「あ〜、それは自前の毒薬です」
「‥‥‥どうしてそんなものを食器棚の奥に置いてるんですか。危ないでしょう」
「普段はオレ以外、棚なんて触らないんで」
「何に使用してるんですか」
「任務」
「‥‥‥食器棚の奥に置いてるのに?」
「疑り深いですね〜」
今日の晩御飯は何ですか、と覗き込むカカシに、イルカは追及を緩めなかった。
ぐいっと鼻先に瓶を押し付けると、これ見よがしにため息をつかれる。
「‥だって、イルカ先生怒りそうだし」
「怒るような使い方をしてるんですか」
「ちょっと舐めてるだけですよ。いや、昔の習慣っていうか」
少し言い訳じみたカカシの説明に、イルカはみるみる眉をつりあげた。
「舐めてるって‥‥なんでそんな危ないこと‥!」
「毒に慣れるためですよ。忍びなら大抵やってるでしょ」
「それはそうですが‥っ、でもこれは、猛毒の葉です! それに、ずいぶん使い込んだ瓶のようですが、頻繁に試すことは寿命をいたずらに縮めることになりかねないんですよ!」
そこまで言って、イルカは急に思い当たった。
いつもは自分から押しかけてくるカカシだが、時々絶対に近づかない日がある。
まるで触られてはまずいことがあるように、妙によそよそしい距離を置いて。
あれはまさか、毒をうつさないため?
「大丈夫ですよ〜。はいはい、もうこの話はなしにしましょ」
カカシが強引に話をまとめた。
瓶を取り上げられて、さっさと部屋の奥へ持っていく。
その背中に、イルカは何も言えなかった。
上忍の世界は、一つ上の、しかし遥かに遠い場所だ。
自分には踏み込めない場所で、とくにカカシは、若い頃から暗部にも所属していた。それらを経て今のカカシがあるのなら、自分はそれを受け入れなくてはならない。
そう思って、毒の瓶についてはあれ以上追求しなかったが――やはり気になった。
「ああ? カカシの家に毒があった?」
めんどくさそうな反応に、イルカは生真面目に姿勢を正してうなずいた。
カカシの性癖を知るには、彼の周辺の人間に当たるしかなかった。それ以外、イルカには知りえる手段がない。
アスマ上忍は古くからカカシと付き合いがあると聞いていた。そしてイルカの期待通り、
「そりゃあ当然あるだろ。毒は、あいつの酒みたいなもんだ」
当然のようにアスマは肯定した。
毒に慣れるため、というのは本当だが、痛みを麻痺させるために使用することもあった。カカシは過去に使いすぎて、時々タバコを嗜むように毒を舐める癖があると、アスマは淡々と話した。
イルカは青くなり、動揺を顔に出さないように必死だった。
これは、思っていた以上に手強そうだ。タバコや酒よりも、はるかに質が悪い。
おまけに、相手はあのカカシで。
「楽しいことを取り上げられるのは、誰でも腹が立つ」
思いつめた顔のイルカに、アスマは鷹揚に言った。
「――うまくやれよ」
しかし、うまい方法など思いつかなかった。
あのカカシから毒を取り上げるなんて。
説得しても、きっとのらりくらりとはぐらかされてしまうだろう。口では勝てそうにない。
イルカはさんざん悩んだすえ、
思い余ってカカシの家を無断であさり、毒を集めるだけ集めて、
すべて放棄した。
「あんたね、これは立派な泥棒ですよ」
自宅にやってきたカカシが土足で上がってきた。
眉間に皺を寄せて、見たこと無い険悪な顔をしている。はっきりした苛立ちを宿した目は、それだけで威圧感を与えてくる。無意識か、故意か。当てられるイルカは内心冷や汗をかいた。
不満や駄々ならいくらでも聞いたが、カカシが怒ることはめったにない。
「よく俺だと分かりましたね」
「あんたじゃなきゃ殺してる。いいからさっさと返しなさい」
「捨てました。正しい廃棄手順で」
「‥全部?」
「すべて」
「‥‥‥イルカ先生。オレを怒らせたいの?」
「怒られても、仕方がありません」
視線を逸らさない、堂々とした態度のイルカに、カカシは長いため息をついた。
「一応言い訳を聞いてあげます。‥‥‥どうぞ?」
「毒を嗜むなんて、やめて下さい」
「‥‥‥は」
「寿命を縮める行為なんて、黙って見ていられません」
「ちょっと待ちなさい、イルカ先生。――なにかオレが悪さして、腹を立ててやったって言うのならともかく、オレの趣味に口出ししてんの? 本気?」
呆れと怒りの交じった口調に、イルカはぐっとこぶしを作って堪えた。
「俺は‥嫌なんですっ!」
「イヤって‥」
「あなたの家に毒があるのも、それをあなたが隠れて使っているのも、考えるだけで身が凍ります。必要でなければ、やめて下さい」
「だから‥それはあんたが口出しすることじゃ‥」
「やめてください‥!」
声を張り上げた途端、感情が高ぶって涙が出た。
ごしごし顔を袖で拭うと、「ずるい〜」とつぶやくカカシの声が聞こえる。
「泣き落としなんてずるいですよ、イルカ先生」
「やめてくれるなら‥どんな手だって使います」
「おっと。――じゃあ、今夜はフルコースですね」
「‥‥‥」
ふざけた物言いに顔を上げると、カカシはいつもの調子に戻っていた。
思わず言葉に詰まるイルカに、カカシは苦笑を浮かべる。
「はい。負けました」
泣き落としは予定に入っていなかったが、功を奏したようだ。
毒を処分する時は、さすがに最悪の状況も考えていたが、うまくやめさせられて良かった。
カカシは確かに約束してくれた。
もう持たないし、使わない。
任務に使う分は仕方が無いが、家にはけして置かないと。
それから数日後。
カカシの家で夕食を作ることになり、イルカは材料を持って訪ねた。
今夜はイルカの方から誘った。
疑う心がなかったと言えば嘘になるが、何もないカカシの家に安心しておきたかった。
台所で調理しながらこっそり棚の奥を見たが、妙なものはない。
その様子に気づかれ、
「いいですよ。全部見て下さい」
苦笑して言われ、イルカは顔を赤くしながらも、我慢できずにごそごそとあさり始めた。
一時間ほど熱心に探し回ったあと、イルカは安堵のため息をついた。
良かった。無い。
ふとカカシを見ると、色違いの目が面白そうにこっちを眺めている。
罪悪感と恥ずかしさに顔を伏せ、なんて謝ろうかと視線を巡らせると、
(――‥‥)
イルカの視線がベランダで止まった。
立ち上がり、窓を開けたイルカは、並べられた鉢を見下ろす。
ハイビスカスのような青い花が、美しく咲いていた。
「‥きれいですね。カカシ先生が育ててるんですか?」
屈んで訊ねると、
「もらったんですよ。殺風景だし、観賞用にね」
カカシは下手な嘘を吐いた。
声は変わらないが、きっと動揺していることだろう。
だてに長年教師をやっていない。これが何の花だが、一目で分かった。
美しい――有毒の花。
木の葉の里にはない。ごく一部の地域で取れる毒の花を、わざわざ取り寄せたのだろうか。
(きれいに咲きやがって)
心の底から忌々しい。
まだこの人から離れないか。甘い毒たちは。
「‥本当にきれいですね」
イルカは言いながら手を伸ばし、花をぶちっと千切り取った。
そして――ぱくりと食べる。
もぐもぐ口を動かし、ごくんと飲み込んでしまう様子を、カカシは呆然と見ていた。
イルカが二つ目の花に手を伸ばすと、
「イルカ先生!!」
カカシがすごい勢いで飛んできた。
「なにやってんの! ‥出してっ、‥ほら、吐いて!!」
血相を変えたカカシが、むりやり口に指を突っ込んでくる。
イルカは慌てず、口に入れた二つ目の花を飲み込んだ。
「ば‥っ」
カカシの指がすごい力でこじ開ける。痛かったので、思い切り噛みついてやった。
「‥ッ‥っ、出しなさいって‥! 死にたいの、あんたっ」
「この程度で死ぬわけないじゃないですか。――俺だって忍びですよ」
イルカはぺっとカカシの指を吐き、挑むようにカカシを睨んだ。
カカシほどではないが、自分だってある程度は毒に慣れている。
途端、カカシが脱力して、
「‥なにそれ、やり返したつもり?」
疲れ切った大きなため息をついた。
専用の解毒剤と水を飲み、横になったイルカはうとうとしていた。
少しだけ身体が痺れている。たった花二つ程度だが、毒性は強かったようだ。
半分意識を飛ばしていると、ガタガタと周りが騒がしい。
目を開けると、ビニール袋に鉢を丸ごと捨てているカカシがいた。
「‥‥分別しないと、駄目ですよ」
かすれた声で注意すると、カカシが難しい顔で振り向いた。
「全部燃やすからいいんですよ」
「‥きれいだったのに」
「はいはい。オレが全部悪いですよ」
「子供みたいだ‥」
「あんたもね」
ビニール袋を玄関に置き、カカシが濡れタオルをもってやってくる。
傍に座り、脂汗を浮かべるイルカの額を拭き、
「‥どこまで痺れてますか」
感覚の薄い手をとって、マッサージするように擦る。
振動が、内部をくすぐるように心地いい。イルカを包む眠気はさらに濃くなった。
「‥‥駄目ですよ、寝ないで下さい。眠ると毒の回りが早くなるんです」
「でも‥ねむ‥」
「なにを幸せそうに‥‥‥憎い人だなぁ‥‥」
ずるいずるい、と詰られて、ぎゅっと抱きしめられた。
カカシの指がごそごそと服を開き、首筋にいたずらをする。妖しい手つきにイルカが目を開けると、
「一晩寝かせませんから、感謝して下さい」
「‥‥毒がうつりますよ」
「慣れてますから」
「‥嘘つき」
「――‥‥それは謝ります。すみません」
「また‥食べますからね」
「もう置きませんよ。――絶対。こんな冷や汗は二度とごめんです」
カカシの声には真実味があった。
イルカはやっと、本当に安堵の息をはき、嬉しさに微笑みを浮かべた。
その無防備な笑顔に、カカシがまた「ずるい」と嘯き、がぷりと噛み付いてきた。
(‥花の味がするのかな?)
イルカはぼんやり考えて、小さく笑った。
美しい青い花は、少し苦くて――とろけそうなほど甘かった。
イルカも負けずにがぷりと噛み付き、舌で舐め上げた。
「‥熱心ですね」
半分とろけた思考で、イルカはカカシの愛撫に応えた。
甘い花に負けないくらい――カカシを捕らえたくて。
そのためなら、いくらでも噛んでくれていい。
伝えると、さっそく噛みつかれた。
(‥‥明日の朝は、多分ものすごく怒ると思うけど)
理不尽でも我慢してもらおう。
まどろみながら、イルカは熱い快楽に身を落としていった。
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