□ 孤灯 最終話
すぐに駆け寄りたかったけれど、足が竦んで動かなかった。
見たくない。
嫌がる足を無理矢理進ませる。
カカシは、
「や、見つかっちゃった」
――生きていた。
仰向けに倒れて、腹から血に濡れた小刀を生やして。
「予言的中。すごいね、イルカ先生。これが例の報いってやつ?」
覆面が下ろされているので唇の色が分かる。飄々と話しているが、血の気がない。
(予言のつもりじゃなかった)
言い訳のように何度も繰り返した言葉。しかし、いざとなると弁明するのは億劫だ。
カカシは自分を愛したかった。けれど結局は――自分を傷つけたかったのかも知れない。
「‥‥‥自業自得ですよ」
「うん、まあね」
しゃあしゃあと肯定される。イルカはため息をついた。
「どうして‥彼女に同じことをしなかったんです?」
「ああ、それはやめました。可哀相なんで」
「‥‥‥やめる?」
「ええ、もうやめますよ。ぜーんぶ。囲ってる女、みんなに謝って別れてきました」
「‥‥‥」
「赤毛の子はねぇ、入院したばっかだし、どうしようかと思ったんですが、今日中にカタをつけたかったんで会いに行ったんですけど、追い返されたんです。出直そうと一度あんたの所へ行こうと思ったら、オレを追いかけてきたらしく――ぐさっとね」
「‥刺されてあげたんですか」
「どうしようかと思ったんです。でも分かんなかったから。好きにさせたら痛い痛い」
「あたりまえです」
「でもまぁ、これでチャラですよね」
奇妙なほど陽気な声に、イルカは頭が痛くなった。
――そんなのは、この男の頭の中だけのことだ。
血をだらだら流しながら話すカカシの能天気な話に怒りが生まれる。
「怒ってる?」
カカシが面白そうにイルカを見上げた。
「ごめんね。でも、これからはあんたが背負ってくれるんでしょ?」
「――――」
「あんたが分かってくれた。だから、もうあんたしかいらない」
カカシは嬉しそうに笑い、
「イルカ先生がいればいい」
(いればいいって)
なにを当たり前のように言うか。
人をさんざん振り回して、あげくこんな醜態を晒して。
「‥‥心外です。俺はあなたなんか嫌いですよ」
「うーん、聞こえない」
薄く笑い、カカシは目を閉じた。
血の気のない顔はそうすると死人のようで、イルカは膝をついた。
「‥死ぬんですか?」
知らず声をひそめて訊くと、「それもいいねぇ」とカカシは嘯いた。
焦りは見えない。むしろ今までで一番穏やかな表情を見つめ、イルカはぐるぐると思考が巡る。
――死ぬ? 死ぬ気?
気がついたら、
「―――‥‥っ」
イルカの手は、がしっとカカシの腹に刺さった小刀を掴んでいた。
振動に、カカシが息をつめる。イルカの突飛な行動に目を剥いて、
「え、なにすんの、とどめ?」
あくまで楽観的な口調を崩さない男に、覚悟が決まった。
「黙っていなさい。――抜きます」
この刀がいけないんだ。
ぬめる感触に眉を顰め、イルカはゆっくりと力を入れた。
刃をすべて飲み込んだ硬い腹がびくびくと動く。うめき声を出さないが、カカシの額には汗が浮かんでいた。
(どうしよう)
抜きたいのに、力が入らない。
イルカの手は震え、
「ひどい」
気がつくと、声に出ていた。
「――あなたはひどい。俺に、こんな真似させて」
「‥イルカ先生、それは八つ当たりというものです」
カカシはあきれた声で言ったが、目は笑っていた。
「オレが死ぬのは嫌?」
「嫌ですよ、悪いですか‥‥っ」
「うん、じゃあ死ぬのやめるから、泣くのやめて?」
言われて、自分が泣いていたことに気づく。
瞬きすると溜まった涙がこぼれた。
「‥やめますか」
「うんうん」
刀を掴むイルカの手に触れて、カカシは笑った。
「オレの負けですよ。――だから抜いて」
ぐ、と力が込められ、イルカの手は一気にカカシの腹から小刀を抜いた。
傷口から蛇口のように溢れる血を、イルカは急いで掌で押さえつける。止血する布がなく、自分の服を破って押さえると、
「‥抜いた方が出血が酷くなるって思わなかった?」
カカシが楽しそうに言った。
その通りだが、失念していた。
ただ早く、カカシから刀を抜きたかった。
あんなものがカカシの腹にあるなんて耐えられなかったから。
――カカシが自ら落としてきたイバラの棘。
最後の最後に深く刺さった棘も、これで完全に取れただろうか。
ぐったりするカカシを見詰めていると、
「泣き虫」
低い声がからかう。
「‥医療班を呼んできます」
動きたくないほど疲れ切っていたが、このままでいるわけにはいかない。イルカは立ち上がった。
「イルカ先生」
カカシが呼び止める。
「――オレを助けて」
今まで聞いたことのない穏やかな声で、カカシは言った。
染み渡る声音には何の皮肉もなく、すとん、とイルカの胸へと届く。
「やっと言いましたか」
イルカはにやりと笑い、
また涙をひとつぶ零した。
***
「イルカ、帰るのか? これから皆で飲みに行くのに」
お前も行こう、と誘ってくれる同僚たちに、イルカは苦笑いで誤魔化した。
「悪い。ちょっと用事があるから」
買物をして食事を作って、万全の用意で待っていたい。
今日は、傷も完全に治ってないのに、あっさり任務に出て行ったあの馬鹿男が帰ってくるのだ。
――カカシが深い傷を負ってから一ヶ月。
イルカの周りはずいぶんと落ち着いた。
病院のベットから離れられなくなったカカシは借りてきた猫のように大人しく――途中で抜け出したが――品性もマシになった。
女の影は見事に消え去った。本当に全員と別れてきたらしい。
カカシに傷を負わせた女は、カカシの方に問題があるとはいえ、さすがに無罪放免とはいかず、精神面の不安定な状態を考えてしばらく里の外へと身柄は移された。
旅立つ前に彼女と話をしたかったが、付き添いの人間たちに拒まれて会わせてもらえなかった。元は笑顔の可愛い女性だ。今回のことは――気の毒としか言いようが無い。
カカシと――自分に関わったから。
いつかちゃんと話せる日がくればいいと思うが、このまま別の道を進む方がいいのかも知れない。
(‥ちょっと遅いな)
時計を見上げて、イルカは窓を見た。
もう深夜近い。明日は仕事だし、お腹も空いたが――今日だけは待っていたい。
入院している間は何度か訪ねたが、二人きりの時間はなかった。
今日をちゃんとしなければ、何も始まらない。イルカはそんな気がしていた。
そわそわと動き回りながら、少しだけ苛々する。
(‥‥外に出てみようか)
大袈裟かと思ったが、待ちきれなくなって外に出た。
歩道に一歩踏み出し、
「――‥あ」
イルカは声を出した。
闇の中に人影。
突っ立ってる長身に、
「‥‥なにやってるんですか‥‥‥」
イルカは心底呆れた声をかけた。
「――うん、なんだか迷っちゃって」
カカシは悪びれず答える。いつからそこにいたのか。どれだけ迷っていたというのか。
「‥‥ご飯とっくに出来てます」
「うん」
「俺は明日仕事です。お腹も空きました。それなのに何に迷ってるんですか」
「‥‥いやぁ‥ほら、オレ色々迷惑かけたでしょ。しばらく頭冷したら、なんかいいのかなぁと思って―――いたた」
カカシの耳をひっぱり、イルカはじろりと睨みつけた。
「今更です」
「はぁ‥おっしゃる通りで」
いつもの不遜はどこへやら。されるがままのカカシに、イルカは込上げてくる笑いを堪えた。
これはいい。しばらく仕返ししてやろう。
耳を離し、先に家に向かう。
くるりと振り返り、
「いいから――どうぞいらっしゃい」
動かないカカシに笑って言った。
テーブルについたカカシは、まるで初めて来たようにきょろきょろしていた。
あまりの落ち付きのなさにイルカは首を傾げるが、
(でもまぁ、大丈夫か)
迎えることができたし、カカシも戻ってきた。
ここからもう一度始めればいい。
(――本当に、今更だしなぁ)
闇の中で迷っていたと言ったカカシを思い出し、イルカは笑いを噛み殺した。
見上げた電気が眩しくて、カカシは目を細めた。
さっきまで闇の中にいたので、目が慣れていない。
明るいな、と思い――違うな、と否定した。
この場所が明るいのは電気のせいじゃない。
明るいのは自分の周りで、
イルカがいるから。
カカシは自分の周りを見て、
「‥あかるいなぁ」
小さく呟き、
嬉しそうに目を閉じた。
END
以上で、50000キリリクを終了させて頂きます。
リクエストしてくださったあき様。大変お待たせしました。
そして、今頃になって気づきましたが、リク内容と全然違いますね。
申し訳ないですが、こんな形になりました。
少しでも楽しんでもらえたら幸いです。
ありがとうございました。
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