□また明日 3
朝、目覚めても、起きている実感が薄い。
頭にモヤがかかったようで、そのくせスッキリと軽い。どこにでも行けるような自由感と、行き場のない不安。
そんな最悪な気分で、カカシはいつも目を覚ます。
見知らぬ家で、見知らぬ男が挨拶をする。
「おはようございます」
ぼんやりするカカシに、男は何やらメモを取り出して説明を始める。在籍や人名、聞いていく内にゆっくりと記憶が浮上する。そうだ。ここは木の葉の里で、自分は木の葉の忍び。――実感は薄いが、思い出した。
最後に、男は名乗った。
「うみのイルカと申します。あなたの身の回りの世話をさせて頂いてます」
「…………それは、ありがとうございます」
名を聞いて、何か引っかかった。
頭の奥で、何かが出てきそうになったが、すぐに濃い霧が覆う。こうなっては思い出すのは難しい。カカシは気になったが、あっさりあきらめた。
「…で、今日はオレは何をしてればいいんです?」
「午前中の内に病院へ。午後は火影様の屋敷で報告があります」
「オレの術は解けそう?」
「……申し訳ありません。私には何とも」
「そ。別にいいよ」
「食事の用意が出来ています。検査のためにも軽くお腹に入れてください」
「ええ。いただきます」
運ばれてきた食事は、どれも出来たてで文句なしに美味かった。
食欲はなかったが、自然と箸が進む。イルカは気をきかして部屋を出た。いてくれても構わないが、いなくなると少しほっとした。
あの男がいると、何だか胸がざわざわして落ち着かなかった。
悪い意味じゃなく――うまく言えないが、
(妙に気になる)
お味噌汁の茄子を口に入れ、美味しいと思った。
(これ好物かも)
できればまた明日も、作ってもらいたい。
(頼んでみようか)
世話係ならきっと明日もいるだろう。――だが、
(そうか。オレ、あの人のこと忘れるか)
一人きりで食事をしながら、カカシは突如、途方もない孤独感を抱いた。
他の人間のことはどうでもいいのに、
あの世話係のことはなぜこんなに。
(……人肌が恋しい)
いい大人なので、寂しいとは言わず――下世話だが女の身体を思った。
自分とは違う温かい身体が欲しい。
交ぜあえばこの冷たい体も、少しは人間らしくなって……、
「………………っ」
カカシは思わず咳き込んだ。
隣の部屋で身じろぎする気配。カカシは先に「大丈夫です。何でもありません」と断り、呼吸を整える。
今あの顔に出てこられては、もっと咳き込みそうだ。
どうしたことだろう。男なんて趣味にないのに。
――身体の下に組み敷いていたのは、今朝初めて会ったうみのイルカだった。
*
カカシの異変には気づいていた。
今朝は妙に自分を意識している。かといって思い出してくれたわけでもなく、なぜカカシが時々自分を見つめているのかイルカには分からなかった。
昨日はカカシから世話係を代わってくれと言われて、酷くショックを受けた。
本当にそうしてしまおうかと思ったが、まだ諦めがつかなかった。正直つらい。だがカカシはもっとつらいはずだ。
仲間のことを忘れて、その力だけを必要とする世界にひきずりこまれ様としている。そこでカカシを待つのはけして平穏じゃない。かつて荷物のようにうずくまって丸くなっていたあの姿は、もう二度と見たくない。
手を離してはいけない。離さない。
それが、一晩考えたイルカの結論だった。
「あ……」
病室から出てきたカカシに、イルカの思考は途切れた。
「終わりましたか」
「ええ。あちこち弄られてもーうんざりです」
その言い方に実感がこもっていたので、イルカはつい笑ってしまった。するとカカシの目が、またじっとイルカを凝視する。
しまった。笑うのは失礼だったか。
イルカは急いで顔を戻し、カカシを先導した。
「次は火影様の屋敷へ向かいますが…検査で疲れたでしょう。お昼時だし……あの…」
病院を出て、カカシと並んだイルカは少し口ごもった。
手にした荷物がよけいに重く感じるが、ここは勇気をふりしぼって言ってしまおう。
「お弁当を作ってきたので…どこかで一緒に食べませんか」
どこか店に入れば済むものを、わざわざ弁当にして二人で食べる。
見えない暗部の見張りは、イルカの行為にきっと呆れているだろう。のんきなことだと。だが、二人の仲を知っているならば同情の目で顔を背けるか。
どっちでもいい。イルカがそうしたかったのだから。他人は関係ない。
しかし…肝心の相手は……。
「いいですよ」
あっさり承諾した。
誘ったイルカが驚くほど。
「えと…でも男二人で弁当つつきあうなんて、ちょっと変かも知れませんが…」
「そんなの関係ないですよ」
カカシはにっこり笑って言った。
「オレはうみのさんの手料理が食べたいです」
いったいどういう心境の変化だろう。
昨日はあれほど拒絶したのに、今日はなんだか距離が近い。
それとも昨日のことがきっかけとなったのか。
もう一度言ってみたらどうだろう。
自分は、恋人だと。
(……いや、だめだ)
今のカカシを刺激するのはよくない。昨日も見張りに注意を受けた。
これ以上問題行動を起こし、上から世話係をやめろと命令を受けたら断れない。カカシのそばにいられなくなっては困る。
(……にしても……)
芝生に広げたお弁当箱から、次々とおかずが消えていく。
ぱくぱくと豪快に食べるカカシに、イルカは呆れながらも安心した。
どんな時でも食欲があるなら、人間は大丈夫。
イルカは食べるのも忘れて見入り、知らず口元をほころばせた。
すると、ぴたりとカカシの手が止まり――じっと視線を向けられる。
「…………?」
本当に、今朝からいったい何なんだろうか。
「……俺の顔に、何かついてますか…?」
「いや、…あー……」
カカシははっとしたように瞬きをして、目を背けた。
説明はない。口をにごす様子に、イルカはますます不審に思った。
何か身体に異状があるなら話してほしい。
イルカはさらにつめよろうとしたが、
「イルカ先生ー!」
遠くから呼ぶ声が。
振り向くと、駆け足でこちらに来る青年の姿が。
二十歳前後の若者で、かつてのイルカの生徒だった。最近格上げされ、新米上忍として任務に明け暮れている。だが今でも、イルカを先生と親しみこめて呼ぶ生真面目な若者だった。
「お話し中申し訳ありません。…あの出発の前にどうしてもご挨拶がしたくて」
黒髪の若者はぺこりと頭を下げ、イルカを見つめた。
「俺、東の原に遠征が決まって、ちょっと長く里を空けることになりました。たぶん数年ぐらい…」
「そうなのか………」
突然の話に、イルカの顔はみるみる消沈していく。
だが見送る者が辛気臭い顔をしていてはいけないと、ぐっと堪えた。
「大変だが頑張れよ! 無茶はしないように、基礎を大事に、…あとちゃんとご飯を食べろ!俺みたいに…」
「ラーメンばっかり食べるな?」
後の台詞をついだ若者に、イルカは口をぱくぱくとして、「そうだ!」できるだけ重々しく頷いた。
若者は思ったとおり吹きだし、
「はい…、はは、…分かりました。イルカ先生」
どうもかっこつかない。イルカは頭をかいたが、にっと笑う。
「元気でな。帰ってくるのを待ってるぞ」
「はい!行ってきます!」
若者は姿勢を正し、大きな声で言った。
そしてカカシにもぺこりと頭を下げて、足早に去っていく。
荷物を担いでいることから、きっとこのまま出発するのだろう。できれば門まで見送ってやりたいが、それは過保護すぎるように思えた。
彼はもう、一人前の忍びなのだから。
イルカは感慨にふけり、青年が見えなくなるまで見つめていたが、
「――あの忍び、死にますね」
茫洋とした声が後ろから響く。
「…………は」
ふり返ったイルカは、同じように若者が去った方角を眺めるカカシの言葉に唖然とした。
「東の原は今激戦区です。あそこに派遣されるということはかなり優秀なんでしょうが、新米にはきつい。オレの見たところ生き残るのは難しそうな…」
「やめてください…!」
イルカは声を荒げた。カカシがはっと口をつぐむ。
隻眼がびっくりしている。
驚く、ということは悪気はないのだ。――だが、なんて無神経なことを……っ。
期待とやる気に満ちた目で走り出す若者に、お前の行く先は死だと、なぜ淡々と言える。
怒鳴りたい。だが……、
「…ちょっと、飲み物を買ってきます…」
イルカは踵を返し、その場から逃げ出した。
(怒らせた)
消えたイルカの背に、カカシは眉を顰めた。
イルカが怒った原因を考えてみる。
確かに、前途ある若者に対するはなむけの言葉にはふさわしくないが、事実だ。
事実を言っただけで、どうして。
(……いやぁ……ちがうな)
自分は、前々からこうだった。
場を読まない無神経な発言で、よく人を怒らせた。
仲間はきっと少なかっただろう。…今となっては、ほとんど思い出せないが。
忘れる程度なら、たいした仲間じゃなかったのかもしれない。
そう考えて、カカシは知らず落ち込んだ。
(なんか…嫌んなってきた)
よく知らない里で、よく知らない人間たち。
ここは自分のいるべき場所じゃない。何かがそう囁く気もする。
これが術のせいなら、もういっそ身を任せてみようか。
自分のような人間は――もしやいない方が、
「…わ…っ」
ぴたと頬につけられた冷たい感触に、カカシはのけぞった。
考え事をしていて気配を感じられなかった。
すぐ近くまで来ていたイルカが目を丸くして、ずいっと缶を差し出す。
「喉渇いたでしょ。……どうぞ」
「は………どうも……」
受け取った水を、カカシは大人しく口にした。
隣に座ったイルカも、ぐびぐびと呷る。
何か言った方がいいだろうか。さっきのことを謝るとか。
カカシは考えあぐねたが、
「――信じてあげてください」
イルカが先に口を開いた。
カカシは「え?」と聞き返す。
「あの子は大丈夫。強い子です。もしあの子が自分の力を疑っても、俺たちが信じてあげればいい。…俺はそう思っています」
「…………」
「…さっきは、大声を出してすみませんでした」
「いや…あれは…オレが悪かったです。……すみません」
すんなり謝罪の言葉が出た。
カカシはそんな自分に驚き、イルカの思いをかみ締める。
もうさっきのピリピリした空気は消えていた。前の通り、穏やかな時間が流れる。
いや、このゆったりした時間は、
この人がいるからだ。
「……うみのさんは」
「なんですか?」
「…いえ、なんでもないです」
そういうところ、すごいねなんて。なんだか子供っぽい。
言うに言えず、カカシは黙り込んだ。そして卵焼きを口に放り込む。美味しい。
「お料理が上手ですね」
誤魔化して別の話題にふると、イルカはゆっくり微笑んだ。
朝からずっと追いかけるその笑顔。
――まるで春のようだ。
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2005.12.17