□ もうすぐさよなら









 道端に倒れているカカシを発見した。
 ぎょっと立ち止まったイルカは、自分の見ているものを疑う。
(え? え?)
 仰向けになり、丁寧に胸の上で手を組み、一見眠っているようにも見えた。
 しかし、ここは往来で、夜だから人通りは少ないが、落ち着いて考えれば眠れるような場所ではない。
(大変だ‥っ)
 ばたばたとカカシの元へ走り、イルカは膝をついた。
「大丈夫ですか! カカシ先生っ」
 声をかけると、露な右目の方がばちっと開く。
「イルカ先生‥‥」
 ぶるぶると震える手を差し出され、イルカはその手を握り締めた。これはただごとではない。
「どうしたんですかっ、どこか怪我を‥?!」
「違うんです‥‥オレ、オレは‥‥‥」
 切なげに眉を顰め、カカシは顔をそむけた。
「オレのことは‥放っておいてください」
「そんな‥っ」
 初めて見るカカシの頼りなげな表情に、イルカは胸をつかれた。
 子供を通してカカシと出会い、元担任、現担任として言葉少なくだがそれなりの付き合いはあった。上忍として尊敬すべき人で、木の葉の里になくてはならない人で‥。
「とにかく‥どこか休める場所へ‥」
「‥‥うう、それならば、イルカ先生の家が‥‥」
「俺の家ですかっ。分かりました!」
 イルカは深く考えず、カカシに肩を貸した。





 家につき、お茶を用意する頃には、カカシも落ち着いたようだ。
 きょろきょろと家の中を見回す姿に、イルカもほっとしたが、
「それで‥いったい何があったのですか?」
 二度目の問いに、カカシはもごもごと口ごもる。
 お茶を前にして、当たり前のように口布を下ろす。初めて見る素顔に、ずいぶん男前だとイルカはぼんやり思った。
「実は‥‥‥」
 やがて、カカシが重い口調で語り始めた。

「オレ、もうすぐ死ぬんです」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「‥‥え‥‥、死ぬ?」
 呆然と聞き返すと、カカシは沈鬱な面持ちで頷いた。
 冗談を言っているような顔には見えない。
「‥そ、それは‥火影様は知っているのですか‥」
「いいえ、イルカ先生が初めてです」
「そんな大事なこと‥‥っ」
「いいんです。――どうせ、もうすぐ死ぬんですから。もうどうでもいいんです」
「‥‥カカシ先生‥‥っ」
 顔を伏せ、投げやりな態度を見せるカカシに、イルカは苦渋した。
「でも、いったいどうして‥‥」
「治る見込みのない病なんですよ。‥‥オレは忍びですから、いろいろ身の回りの整理をしてきたところです。何もかも終わると、なんだかどうでもよくなって」
 だから、あんな所で寝転がっていたというのか。
 カカシの心の痛みを思い、イルカは目頭が熱くなった。
 どう言えばいいのか。死を覚悟した人間に。
「俺に‥‥何かできることがあれば‥‥」
 ただそれだけやっと言うと、
「―――あります」
 がしっと手を握られた。
 真剣な眼差しにちょっと気圧されたが、握った手には尋常ならぬ力がこもっていた。
「‥‥はい、なんでしょう‥‥」
「オレ、童貞なんです」
「はい‥、え?」
「だから、死ぬ前に‥‥オレ、どうしても童貞を捨てたくて」
「そ‥‥‥そそ‥‥‥」
 イルカの顔はみるみる赤くなった。そんな告白、予想してなかった。
「あの‥失礼かも知れませんが、遊郭など‥」
「愛のない行為に興味ありません」
「では恋人など‥」
「残念ながら、任務に明け暮れる毎日に‥‥恋人なんて‥」
「‥‥‥そうですね」
 その点に関しては、イルカも似たようなものだ。――奥手という性格もあるが。 
 しかし、遊郭も駄目。恋人も駄目となると、どうやっていたすのか。
 難しい問題だと頭を悩ますと、握られた手にさらに力がこめられた。
「イルカ先生‥‥何でもと、さっき言いましたよね」
「あ、はい」
「じゃあ、オレの最初で最後の人になってもらえませんか」
「は‥‥」
 すぐに理解できず、イルカは首を傾げた。
 真剣な眼差しと、固く握られた手。そして、今までの流れから推測するに、
「‥‥ぅ‥え!?」
 思わず手を振り払いかけたが、拘束からは逃げられなかった。
「あ、あの‥‥俺は‥‥っ、男ですが‥‥っ」
「そんなことは分かってます。でも、こうしてイルカ先生に助けられたのも縁だと思うんです。それに、イルカ先生だったら‥‥オレ」
 眠たそうな目が熱っぽく瞬き、イルカは冷や汗が出た。
(どうしよう、この人本気だ。変態だ) 
 イルカは初めて真理に突き当たったが、ぱっと離された手に我に返る。
 俯いたカカシの背が、小刻みに震えていた。
「‥‥すみません。そうですよね‥‥こんなこと突然。‥‥でもオレ、すごい奥手で、この歳まで童貞だっていうことも恥ずかしくて、誰にも打ち明けられなかったんです。‥‥でも、イルカ先生なら、オレの話、親身に聞いてくれるんじゃないかって。助けてくれるんじゃないかって、勝手に‥‥」
「‥カカシ先生‥‥‥」
 イルカは戸惑った。
 切ない肩の震えに、心が動かされそうになった。
(‥‥童貞って、そりゃ辛いよなぁ‥‥)
 そんなイルカも、実はまだ経験がなかった。何事も生真面目に考えてしまう性格ゆえの現状だが、落ち込まないわけではない。だから、カカシの気持ちは痛いほど分かった。
(‥‥‥でも、男同士ってどうやってやるんだろう。こ‥擦りあう‥とか?)
 考えるだけで顔から火が出そうだが、しばらく悩んだすえ、イルカは覚悟を決めた。
 死を前にしたカカシの不安を、取り除く手助けをしようと。
「分かりました」 
 決意をこめて返事をすると、カカシがぱっと顔を上げた。
「本当ですか‥っ」
「はい! カカシ先生の気持ち、とても分かります。だって俺も‥‥俺もまだですから」
 勢いに任せて白状すると、カカシの目が点になった。
「それは本当に好都合」
「ええ、初めて同士がんばりましょう!」
 好都合の意味を初心者同士、と受け止めたイルカに、カカシがふと顔をそらす。
 震える肩に、感極まったのかと、イルカもつられて泣きそうになったが、カカシの口元が笑いを堪えているように見えた。
 はて、と思った瞬間には、カカシはきりっとした顔に戻り、
「よろしくお願いします」
 真摯に態度に、イルカも強く頷いた。
 互いに頭を下げ――長い夜はスタートした。







 シャワーを使う音が聞こえる。
 ベットに横たわるイルカは、ぼんやり意識を取り戻し――動けない体に気がついた。
 記憶は瞬く間によみがえり、
(‥‥絶対あの人、初めてじゃない‥!!)
 イルカは、やっと自分が騙されたことに気づいた。
 右も左も分からず、わたわたとうろたえる自分を、カカシは我が物顔で征服した。
 素人なんかじゃない。口にするのも恥ずかしい愛撫の数々に、イルカの頭はあっという間に霞みがかかり、しかも、男が耳元に囁く卑猥な言葉の雨! 泣かされた喉はずきずきと痛み、下肢に残る酷い痛み。
 まさか、男同士であんなところを使うなんて。
 知らなかったわけではないが、ありえないとイルカの常識からは外れていた。
 傷口がどうなってるのかと恐る恐る触れてみると、濡れた感触があって慌てて離した。
(‥‥う‥‥っ)
 鼻の奥がつんと痛み、泣きそうになった。
 酷い。童貞だって言うから信じたのに。
「‥‥‥っ」
 シャワーの音が止まり、カカシが浴室から出てくる音に、イルカは気づいた。 
 カカシの姿を見るなり上体を起こし、どういうつもりかと怒鳴ろうとしたが、
「ありがとうございました」
 カカシは、朗らかに礼を口にした。
 頭を下げられ、イルカは怒鳴るタイミングを失う。
(あれ‥‥? ち、違うのかな‥‥)
 さっきベットの中にいたカカシとは別人のようだ。いつもの、礼儀正しい尊敬する上忍。
 途端に、イルカの怒りが萎んでいく。
 しかし‥‥、
 疑り深い目でカカシをじっと見ていると、急にカカシがうずくまった。
「カカシ先生‥っ」
 激しく咳き込むカカシに、イルカはびっくりした。痛む体を我慢して急いで駆け寄り、その背中を優しく擦る。
 カカシは苦しそうな顔に笑顔を浮かべ、
「これで‥もう思い残すことは‥‥」
 言われて、イルカははっと思い出した。――そうだ。この人はもうすぐ‥‥。
「何を言うんです!」
 イルカは精一杯励ました。これからが人生だと、真剣に力説すると、ぎゅっと抱きしめられる。
「‥‥‥そうですね。‥‥ありがとうございます」
 弱々しい声に、イルカの胸はずきずきと痛んだ。
「‥‥イルカ先生に励まされると、オレ、なんだかまだ生きていけそうな気がします」
「そうですよ‥っ。元気出してください!」
 涙目になってイルカはカカシを見つめた。
 互いの視線が狭くなり、気がついた時には唇が合わさっていた。
 あれ? あれ? と思っている間に、イルカは気がついたらまたベットにいた。
 結局、ベットから離れられたのは、翌日の昼になってからだった―――。










 月日は流れ‥‥、
 ――――――そして、カカシは。






(‥‥この人、いつ死ぬのかな‥‥‥)
 けして、その死を待ち望んでいるわけではないが、イルカは日々思わずにはいられない。
 不治の病と打ち明けられて半年。
 目の前で、イルカの作った夕飯をもりもり食べているカカシは、どこからどう見ても健康体だ。弱るどころかむしろ任務の業績も上げ、軽快な行動力で毎日イルカの家にやってくる。
 逆に食欲の失せ始めたイルカは、ちょっと遠い目をした。
 カカシはすっかり家に居着き、寝る時は当たり前のようにベットに入ってくる。
 おかげですっかり童貞とはおさらばし、むしろ淫乱と言われても仕方がないほど夜の自分は別人だ。思い出すだけで眩暈がする。
 いくら鈍い自分でも分かる。

 ―――ああ、騙された。

「おかわりくださ〜い」
 嬉しそうにカラの茶碗を差し出すカカシに、イルカはさめざめと涙した。 









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2004.06.19

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