□ 朧の夢  1









 その日からイルカは、三日間の有給を取っていた。
 別に用事があるわけではないが、勤勉なイルカのこと、どんどん溜まっていく有給を消化しろと上司にせっつかれたのだ。
 ちょうど季節も涼しく、久しぶりにのんびり湯治でも行こうかと計画したイルカ。そう考えるとなんだか楽しくなってきて、いそいそと帰宅の準備をしていた。
「よし、帰るぞ」
 机をきちんと整頓し、イルカは同僚に声をかけて帰ろうと受付に向かった。
 見知った背中を目に止め、口を開きかけたが、
「?」
 時間的にすいているはずの受付が、妙に騒がしかった。
 何事かと顔を覗かせたイルカに、
「あ、ああっ」
 同僚が人を顔を指差し、声を上げた。
 いきなり指をさされたイルカは「?」と首を傾げ、受付へと足を踏み入れる。と、
「イルカ〜、ちょうどいい所にっ」
「どうしたんだ?」
「いや、急に任務に出たいとか言う上忍がいて困ってたんだ。しかも4〜5日の短期任務」
「そりゃ‥‥急だな」
「任務的には、あることはあるんだが、今サポートの忍が出払ってるんだ。本人は今すぐにでも出発したいらしいが‥‥‥、な、イルカ?」
「‥‥‥」
 説明していた同僚の目が、次第に懇願を帯びたものに変化し、嫌な予感を感じたイルカは自然沈黙に落ちた。
 ――まずい。
「お前、せっかく有給を取ってる所悪いんだけど‥‥サポートとして任務に参加してくれないか?」
「‥‥‥」
「お前が一週間前から湯治ガイドを見て嬉しそうにしていたのは知ってる。だけど、ここは受付管理職を助けると思って!」
「出発を一日ずらせば、サポートの忍も戻るんじゃないか? そう説明したらどうだ」
「はたけ上忍にそんなこと言えるか!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥え?」
 イルカは思いもよらなかった人名に、ぽかん、と口を開けた。
「その急な任務を要求したのって、はたけ上忍?」 
「そうだ。‥‥‥お前、知り合いだろ?」
「いや、知り合い‥というほどでは」
 意外な人物の名に、イルカは閉口した。
 出会ったのは以前。
 アカデミーの卒業の季節のこと。
 頭から爪先まで教師であるイルカは、ナルトという問題児を含む卒業生を預ける上忍にいちいち挨拶に出回っていた。
 大概の上忍は、快くイルカの教師としての心根を受け取ってくれたが、
 ――――はたけカカシ。
 この男は曲者だった。
 
”アンタ、よっぽど暇なんですね〜”

 そんな暴言を、真顔を吐いた。
 だが、悪気がある態度には見えない。本人はいたって、本音をぶつけてきたのだ。
 それ以後、何度か受付で顔を会わすことはあったが、ろくに話はしていない。
 知り合いの域にも達しない、遠い人間だ。
「でも、はたけ上忍、お前のことを指定してきたぞ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥え!?」
 ぼんやり嫌な記憶を探っていたイルカは、同僚の言葉に目を剥いた。
「そ、それは、どういうことだっ?」
「さっきまで、はたけ上忍はここにいたんだ。急な任務で、サポート役はいないって説明したんだが、勝手に忍の登録名簿を見て”この人、空いてるんじゃないの?”って聞いてきたんだよ〜」
「まさか‥‥‥」
「そうだよ、お前の名前だよ」
 同僚は問題の名簿を見せて、泣きそうな顔をした。
「確かに空いてるけど、それは明日から有給を取っているからですって説明した。けど、任務の方が優先でしょ?とか言うんだっ。やんわり脅すんだっ。お前、あのコピー忍者に逆らえると思うか!?」
 日頃から気の弱い同僚は、すでに逆ギレに入っていた。
「ま、‥まあ、分からないでも‥‥ないが」
 名簿を振り回していいわけする仲間に、イルカは長嘆をこぼした。
(任務の方が優先。‥‥‥‥‥‥ま、正論だな)
 反論の余地は無い。
 認めた時点で、イルカの有給は泡と消え、
 ――――先行き不安な短期任務が決定したのである。

 



  ***





 急なシフト決定から一夜、イルカはカカシと共に里を出発していた。
 早朝、受付に伝言として残していった待ち合わせ場所で待機すること一時間。はたけ上忍は堂々と現れた。
 彼の遅刻グセは知っていたので、行儀よく沈黙を守ったが、
「じゃ、行きましょうか」
 カカシの第一声はそれ。
 ――――もっと他に言う事はないのか。
 正直、イルカはむっときたが、ここも堪えた。
 それ以降は会話は極力控えた。必要最低限な会話しかせず、目的の町まで約一日半、カカシとはろくに会話をしていない。
 カカシはカカシで、愛読書だけが友、とでも言うように、イルカのことはまったく気にしていなかった。邪険にされないだけマシだが、最初の第一印象通り、本当に、
(――無神経な男だ)
 目的の町を間近に、カカシはやっと急な任務に参加させたことを謝罪した。
「すみませんね〜。せっかく休暇取ってたのに」
「いえ。任務ですから」
 街道を進むカカシの背に、イルカは固い口調で返答した。
 初の謝罪には違いないが、いかにも急に思い出したような口ぶりが引っかかる。
 自然と口調も固くなるのも仕方がないというものだが、
 ちらり、と肩越しにカカシの右目がイルカを顧みた。
(あ、‥‥ちょっと素っ気無い返事だったかな)
 その視線を非難と受け取ったイルカは、気まずい気持ちで俯く。
 カカシは先を歩きながら、
「えーとですね。町につく前に、もう一度任務の内容を再確認しておきたいのですが」
「あ、‥‥‥はいっ」
 イルカは慌てて顔を上げた。
「オレたちの任務は、田舎町で偉ぶってる小名を捕獲することです。かなり道理に外れた悪事に手を出しているようで、年貢の納め時というやつですね」
「はい」
「依頼主は各大名です。名は伏せてますけど、どうでもいいですね。とにかく、その小名を正式な解任に追い込むには、本人捕獲は必須です。勢い余って殺さないように」
「足は引っ張りません」
「けっこうです。‥が、たいした任務じゃないですから、気張らなくていいですよ。ちょっとだるいのは、その小名の所在確認が取れないことと、強者の忍が護衛についてることですかね」
「行方は掴めないのですか?」
「いえ、分かってます。その小名の身辺調査で明らかになったんですが‥」
「‥‥‥?」
 ふと、言いよどんだカカシにイルカは首を傾げた。
「任務を選ばなかったせいか、しんどいのに当たりました」
「‥‥はい?」
「小名はですね。ちょっとどころじゃなく変態体質でして」
「はい」
「週に一度、必ず[朧桜]と言う店に娯楽を満喫しに来るそうです」
「ああ、では捕獲は簡単ですね」
「ま、ね。そこが普通の遊郭なら問題ないですよ」
「え‥‥‥、遊郭なんですか?」
 花街に出かけたことのない生真面目なイルカにとって、そこは未知の領域だ。
 おもわず想像して慌てるイルカに、後ろ向きのカカシは首を振った。
「それならオレも大喜びです。が、変態体質だって言ったでしょ」
「‥‥‥?」
 町を肉眼で確認できる頃、小高い丘でカカシはくるりと振り返った。
 覆面と額当てにより右目しか確認できず、その上いつも無表情で淡白な印象を与える顔は、珍しく眉間に皺を寄せ、憂鬱感を表していた。 
「その小名が入り浸る場所は、男娼宿です」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 言葉は出ない。
(行きたくねぇ‥‥)
 イルカは心の底から思う。
 そんな嫌な事実を今まで隠していたカカシも、嫌だ。
 町は目の前。
 逃げられない状況に、イルカは脱力したい気分に落とされた。 









 

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