□ オオカミは歌う
第9話
当日は、やはり雨だった。
日が昇る前の空は、重く暗い。
まだ消えぬ闇にまぎれ、カカシを含む暗部たちは情報を待っていた。
泳がせる意味を込めて、イルカに目立った監視はつけていないが、その行動は遠方から逐一観察されている。
待機することに慣れた忍たちだが、今回は上からの命令による任務ではない。
任務ですらない、己の足元を守るためだけの過去の清算。
あかのイサヤを捕獲し、口を封じる。そして、過去の記憶を持つイルカの暗殺。
全員に張り詰めた空気が流れ、口を開く者もいない。
忍び耐えるのが忍であっても、誰もがこの空気を好ましいとは思っていなかった。
「――イサヤは来るだろうか」
一人が耐えかねたように疑問を発する。
「もう後には引けない。失敗は許されないんだ。絶対に始末しなくては‥」
「うろたえるなよ。相手は二人とも中忍だ」
「その中忍に今まで逃げられてきたのは誰かね〜」
「‥カカシ、他人ごとのように言うな。お前がもっと早く手を貸していればすぐに始末できた」
「そんなこと言っていいの? 自分たちの能無しぶりを認めるようなもんだよ」
「黙れよ、写輪眼。さんざん、とぼけヅラの中忍に毒されたくせによ。お前も偽善ぶるつもりか?」
「残念だけど、アンタらと同じ外道だね」
だから、とカカシは言葉を切った。
「危険因子はいつでも消してくよ」
その言葉が示すのはイサヤたちではなく、常に噛みつく仲間の男に向けられていた。
忌々しげに舌打ちしながらも、カカシの眼光に男は顔を背けた。
「‥作戦前だ。いがみ合うのはそれくらいにしてくれ」
いつもの疲れた声が仲裁に入るが、
(罪を軸としたチームなんて、すぐにバラバラになる。わかってないね)
カカシは冷めた目をした。
それとも、分かっていても離れられないのか。
数多くのチームに属してきたカカシは、仲間たちの統率の無さを見抜いていた。
個々の力が剥き出しになりすぎている。
――夜明けだ、と誰かが呟いた。
陽が顔を出したようだが、空の明るさはほとんど変わらない。
今日という日に、太陽が人を照らすことはないのか。
誰の心にも、おそらく一年前のツルギの死の場面が思い起こされていることだろう。皮肉なことだと、カカシは苦虫を噛む。
雨は気分を重くする。体も心も。
太陽は、とことん自分たちを見放すつもりらしい。
「――報告が来た」
声が響いた途端、全員に緊張が走った。
少し慌てて現れた監視の男が、一同を見渡し、
「緊急事態だ。赤虎の群れが逃げ出した」
赤虎は、その体躯は一軒家ほどある巨体で、里の飼育地にて隔離されている猛獣だった。
血を好物とする赤虎は、獣の本能のまま行動するが、知能に優れ、忍の班のように群れで正確な行動をする。
赤虎は、昔から木の葉の里にいたわけではない。過去の戦で、他里から送り込まれた敵獣であった。
多くの赤虎はその戦の際、ほぼ壊滅されたが、群れの一つが生き残り、木の葉の里はそれらを隔離することになる。
牙を押さえていれば殺すのは容易いが、赤虎は人為的に構成された実験動物だった。
今後のことを懸念し、赤虎は生かして調べることとなったが―――根は猛獣。
牙を押さえ、首輪をつけても安全と言えず、完全な隔離状態で囲われていたはずだが‥、
「――いるな」
緊張を含んだ仲間の声に、森を見詰めるカカシは頭を掻いた。
赤虎が逃げ込んだ場所は、第十二演習場。
トラップの数も多いこの森は、普段は使われていない。人よりも動物たちの数が圧倒的に多い放置場所とも言えた。だがその分、演習場を囲む防壁は強固で、中の動物たちが里へ出てくる恐れはない。赤虎といえど、条件は同じだ。
外から中の様子を伺えば、見張り係か、赤虎が一頭寝そべっていた。
一匹程度ならすぐに始末できるが、
「あれに何かあったら、奥から続々出てくるな」
「人間並の知能があると聞いた。‥‥片付けるには骨が折れるぞ」
「騒ぎも大きくなる。―――火影様より召集命令が来た」
赤虎の群れが逃げ出した先が、囲いのある演習場内とはいえ、一般市民の町へ出てくる恐れもある。
火影の召集は絶対。
逆らえない命令に、「よりによってこんな時に‥」と不満の声が漏れたが、
「―――ねえ、あの人は?」
カカシは、報告に来た男に聞いた。
「‥‥あの中忍は‥‥‥」
なんとなく口ごもる男に、
「あの虎を逃がしたの、イルカ先生でしょ」
「‥‥‥っ」
カカシの言葉は一同に衝撃を走らせた。
集まる視線に、
「前にね。赤虎の飼育を短期研修したことがあるって言ってたから」
「‥‥監視役っ。お前、何のための監視だ!?」
「あの中忍が赤虎を逃がすのを、ぼんやり眺めてたのか!」
報告者は仲間の怒号に狼狽した。
「い‥いや、‥‥だが、まさか、あの中忍がそんな行動に出るとは‥‥‥」
「これじゃあ、カカシに能無しと言われても仕方が無いな」
忌々しい口調で、暗部の男は演習場をにらみつけた。
「おかげで、俺たち暗部は全員招集だ。泳がせるはずが、監視も無し。――うみのイルカは完全なフリーの状態になる」
「おまけに、この騒ぎに乗じて‥‥‥イサヤも入り込んでくるだろうな」
「案外、もう入り込んでるんじゃないの?」
のん気な声で、カカシは示唆した。
中忍にしてやられ、これで現役暗部とは笑わせる。個人の力が強くとも、統率が無いのでは、やることなすことグダグダだ。
「召集前にうみのイルカを捕獲するか?」
一人が提案したが「現時点での中忍捕獲は無理だ」と報告者が言った。
「‥赤虎の群れと一緒に、第十二演習場へと消えた」
「―――この森の中にいるのか」
全員が森に視線を向け、言葉を失った。
度肝を抜かれたのは何度目か。
カカシは大声で笑いたい気分になった。
イルカは賢い。
その思い切りの良さは、一種の爽快感すらある。
里の何処にいても安全はない。なら、迫る敵よりもさらに強い敵の元へ。
自暴自棄のようで――上手くいけばこれ以上の安全な地はない。
「イルカ先生、上手いこと盾を作ったね。‥じゃあ、例の薬も飲むな」
「! まだ取り上げていなかったのか!?」
カカシの独白に、仲間が驚きの声を上げた。
記憶を呼び戻す薬。その存在はすでに暗部たちは承知の上だった。
イサヤの持ち込んだ薬の調合材料までは分からなかったが、イルカがアカデミーの一室を使って薬を完成させた後、残り香などから性質は判明した。
劇薬のため、すぐには服用しないことを予測し、タイミングを見て奪い取る手筈であったが、
「最悪の展開だな‥」
誰かが力なく漏らした。
夜が明けるまでは、絶対的な勝利を確信していたのに。
「――劇薬使用後の症状は、おそらく極度の睡魔と衰弱が予想される。飲むのを防げずとも、その後、捕獲すれば済むことだ。――――カカシ」
全員の視線が、カカシに向けられた。
「暗部に召集命令がかかった以上、今動けるのは脱退者のお前だけだ」
「まあね」
「召集後、おそらく赤虎捕獲に再びここへ来るだろうが――他の暗部隊も合流する。表立った行動はできない。だから、カカシ。先に入り込み、うみのイルカを狩れ」
「オレだけ働くわけ?」
「‥今は仕方がない」
声音は苦渋に満ちていた。
カカシは森を見詰め、
「‥猛獣に守られた眠り姫か」
自ら危険地帯を選んだイルカ。
彼自身にも赤虎という危険が迫るが、滅多なことでは襲われないだろう。
あの人は獣に好かれる体質で、扱いも心得ている。
さて、おかしな状況になった。
動けるのは自分だけ。
賢いイルカは、当然それも予測していただろう。
(――オレに来て欲しいの? イルカ先生)
ならば望みどおり行動しようと、カカシは思う。
殺し方は、何度も頭の中でシュミレーションした。
苦しまないように、優しく――できれば腕の中で眠らせたい。
あたたかい肌が冷たくなるまで、抱きしめていたい。
雨が一段と強くなった。
耳の後ろから首元に入り込む水が、高揚した肌を舐めるように落ちる。
「殺せよ」
いつものうるさい男が念を押すように言った。
「はいはい」
言われなくても――ね。
防壁を飛び越えた早々、見張りの赤虎が牽制するが、クナイの一振りで黙らせた。
しかし、地に轟く呻き声は、奥の獣たちに届いただろう。
隠れ蓑に獣の巣を選んだイルカの案は面白い。
だが、獣には――獣だ。
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