□ 親愛なるあなたへ




第1話








 その手紙を拾ったのは、曇天のすっきりしない昼のことだった。
 手に取り、裏、表とひっくり返して見てみたが、白い封筒には差出人も宛名も記されていない。なんの変哲もない手紙。中に便箋が入っているようだが、しっかり糊付けされている。
 さっき学校の方へ配達忍がやってきた。落としたのは彼だろうか。
(‥‥配達さんも困ったもんだな)
 封筒についたわずかな泥を払い、イルカは苦笑した。
 最近働き出した新人らしいが、配達を役目とする忍が大事な届け物を落としてどうするのか。
 上司に叱られるも可哀相だと思い、届けてやろうと歩き出したが、はたと立ち止まる。そういえば、さっき学校へ文を届けに来てそのまま次の駐屯地へ出発してしまった。次に来るのは――――たしか5日後。
「‥‥‥あー‥‥まいったな」
 鼻の傷を掻き、イルカは手の中の手紙を見下ろした。
 忍特有の情報伝達に使用する巻物と違って、一般的な封筒は機密度が低い。おそらく、家族や友人からのただの便りだろうが、
(‥早く読みたいよなあ。手紙なんて滅多に来ないし)
 もしかしたら、緊急を要する内容かも知れない。
 5日後に訪問する配達忍に確認を取っていては、手遅れになってしまうかもしれない。
 イルカは迷った。
(‥‥‥開けて‥‥いいものかな)
 人一倍罪悪感を憶える性格のイルカは、その迷いに頭を悩ませたが、差出人も宛名もないのでは‥‥‥。
 イルカはため息をひとつこぼし、誰か分からぬ差出人と受け取るはずであった人間に謝り、手紙を開封した。
 ぺりぺり、と糊が剥がれ、中から白い便箋が出てくる。
 なんの飾り気もない無臭の便箋には、大人の字で文章が記されていた。
 イルカは、ゆっくりその文字を追う。


 

  北風吹く寒さの厳しい季節ですが、
  そちらでの暮らしには慣れましたでしょうか。
  木の葉の里は変わりありません。
 
  まず、不躾な突然の手紙をお詫び申し上げます。
  以前、貴方のお姿を遠くから拝見する機会があり、それ以来強く記憶に残っていました。
  しかし、声をかける間もなく姿を見失い、遠い北の駐屯地に派遣されたという風の噂に、貴方の安否が気にかかり、こうして筆を取っている次第です。
  お返事は必要ありません。
  ただ、貴方のことを案じている人間がいるということだけ、心に留めて置いてください。
 
  慣れない土地での生活は戸惑いが多いことと察しますが、
  どうぞ無理のないよう、くれぐれもご自愛ください。





「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 読み終えたイルカは、急いで便箋を封筒の中に戻した。
 胸に湧き上がるのは、深い後悔の念。
 しまった。
 やはり読むべきではなかった。
 ―――これは、
(‥‥‥恋文じゃないか)
 礼儀正しい文章から、相手を思いやるいたわりがひしひしと伝わってくる。
 イルカは深いため息をついた。
 いったい誰に宛てたものだろう。
 この手紙が、木の葉の里から送られたものには間違いない。北の駐屯地というのも、この色葉の町のことだろう。だが、誰に宛てたものなのか。
「‥‥‥読んだら‥まずかったな」
 まさか、こんなむさい男に読まれるとは、書いた人間も夢にも思ってないことだろう。
 ため息がまたひとつ。
 開封された封筒が、風にぴらぴらと虚しく揺れていた。
 



  ***
 



 うみのイルカは、元は木の葉の里でアカデミーの教職についていた。
 この[色葉の町]、木の葉の里の忍たちによる駐留地に転籍したのは一年前のこと。
 故郷の里とは比べ物にならないほど小さな町だが、ここにも忍を育てる学びの家がある。いずれは木の葉の里へ赴くことになる忍の卵たちを育てるために、色葉の町に籍を移したイルカはここでも教職についていた。
 [色葉]と呼ばれるこの町では、遠征に出た忍たちの補給や、伝達などの橋渡しを請け負う。小さな町だが、木の葉の里の志は深く浸透し、ひとりひとりが互いを想い合う、気持ちのよい住みやすい町だった。
 時折、周囲を森で囲まれた地形が災いし盗賊などの的になることもあったが、少ない戦力でも忍として優秀な人材が揃っているので大事に至ることはない。が、治安も設備も、木の葉の里に比べて格段に落ちるこの町に、イルカ自身、最初に訪れた時不安を抱かなかったと言えば嘘になるが、今ではこの町がすっかり気に入っていた。
 自分を慕ってくれる生徒たちは皆将来有望で、教職の仕事は非常にやりがいがある。木の葉の里が恋しくないわけではないが、この町はすでに第二の故郷と言っても良かった。
 色葉の町には、ここで生まれ育った者もいれば、イルカのように木の葉の里から派遣される忍も多い。そんな単身赴任者にとって、文の便りはなによりも待ち望むものだが‥、
(‥‥‥どうするかなぁ)
 色葉アカデミーの食堂でひとり、イルカは懐の手紙について考え込んでいた。 
 昼食のピークを過ぎたので、食堂には人もまばらだ。狭いアカデミー内のこと、全員顔見知りだが、難しい顔で悩みこんでいるイルカに周囲は遠慮しているようだった。
 服の上から手紙に触れ、イルカはそっと眉を顰める。
 思えば、手紙なんてもうずいぶん書いていない。新しい生活に早く慣れるためにとくに意識していなかったが、木の葉の里を離れてもう一年になる。 
 イルカは、ここに転籍する事を誰にも話さなかった。正しくは、火影以外。
 自分がここにいることについて火影様はけして他言しないだろう。そう頼んだのは自分であり、火影様は約束を破る人ではない。だが、小さい頃から面倒を見てきた金髪の問題児に関しては、イルカも出発の日ぎりぎりまで迷った。
 突然姿を消せば、あの子が戸惑ってしまうことは目に見えていた。下忍になり、仲間もできたが、自分に寄せてくれる信頼の大きさは理解していた。
 せめて、手紙でも書こうか。
 偶然拾った手紙の内容に、イルカは大きく心を動かされていた。
 今まで筆不精の性格のため、手紙なんてろくに書いたことはなかったが、文章の中にこれほどのあたたかさを込められるなんて。馬鹿にはできない。
(‥‥‥この手紙、いったい誰が書いたんだろう)
 何気なく手紙を取り出したイルカは、まじまじと見下ろした。
 ぴらぴらしていた部分には、新しく糊付けをして元通りにした。罪悪感の重さに何事もなかったようにしたかったが、よく見れば開封したことはバレバレだ。その上、結局中身を見ても何も分からなかった。
 やはり五日後にやってくる配達忍に確認を取ってみないことには‥‥と、
 そんな事を考えていた時。
 ガタガタっと激しい物音が入り口の方で鳴った。
 全員の視線がそちらに向けられ、イルカもそれにつられる。すると、扉から転がり込むように噂の配達忍が入ってきた。
「‥‥‥あ」
 声に出して噂をしたわけではないが、ことわざ通りの出現にイルカは驚いた。グットタイミングだ。
「あの、す、すみません‥‥‥っ」
 若い配達忍の男は息を荒げ、真っ青な顔で食堂の忍たちを見渡した。
「実は、あの‥‥‥、大事なものを落としてしまって‥‥‥見ませんでしたか‥?」
「なにを落としたんだ?」
 一人が尋ねると、配達忍はさらに青ざめた。「いえ‥‥‥あ、あの‥‥‥」と口ごもる様子から、イルカは青年の心境を察する。
(まさか、配達忍なのに手紙落とした、とは言えないよなぁ)
 下手をすれば職から降ろされるだろう。
 泣きそうな顔でおろおろしている配達忍に、イルカは内心苦笑しながら立ち上がった。「探し物はこれか?」そっと配達忍に歩み寄り、周囲の視線からは見えない位置で手紙を差し出すと、
「‥‥‥‥‥‥!!」
 配達忍は、ぱくぱくと声を出さずに頷いた。
「あ、ありがとうございます‥‥っ、いったい何処で‥‥‥」
「水飲み場に落ちてたよ。あ、それと一つ言っておくことが‥」 
 いそいそと懐に手紙を入れる配達忍に、実はもう開封してしまったことを話そうとしたイルカだったが「あ‥‥」先に配達忍が気付いた。
 手紙を手に、じーっと疑わしい目を向けてくる配達忍に、イルカは慌てて手を振る。
「い、いや、でも仕方ないんだ。宛名も差出人もなくて、急ぎの手紙だったら困ると思ってつい開いてしまって‥‥‥」
 語尾の方は自分でも小さくなっていたと思う。
「‥すまん」
 開けたことは事実なので、潔く謝った。――と、
「この文‥‥‥っ、やはり恋文でしたか!?」
 ずいっと配達忍が顔を寄せてきた。囁かれた問いは小声だが、好奇心がぱんぱんに詰まっている。
 気圧されながらも頷くイルカに、
「は〜っ、やっぱりそうでしたかっ。いやー、なんだかわけありの手紙で僕も内心中身が気になって仕方なかったんですよ〜」
 そうかそうか〜と、配達忍は興味深げに手紙を見つめ直した。
「‥わけありって、どういうことだ?」
 その様子に、ついイルカも興味が出てきた。
「いや〜、差出人の名前が無いのはですね、本人が自分の名を明かしたくなかったらしく、僕に直接相手に渡して欲しいと頼まれたんですよ」
「まあ‥内容が内容だからなあ」
 その気持ち、理解できないことはない。
「他の手紙と分けて持っていたのが災いしました。まさか落としてしまうなんて‥。あの人にどれだけ謝っても謝りきれないところでした」
 再度、ありがとうございますと頭を下げられ、イルカは笑って手を振る。
 しかし、いったい誰に渡す気だったのだろう。
 興味をそそられる。しかし、聞いていいものかと考えていると、
「‥あっ」
 配達忍の目線が、入り口に向けられた。
 その視線の先にいるのは、アカデミーの女教師たち。お茶でも嗜みに来たのか、楽しそうに談笑している一団へ「す、すみませんっ」と、突然配達忍が突入した。
「あの、フジナさんはあなたですか?」
 面食らっている女教師たちは、配達忍の言葉にぱちぱちと瞬きする。
「フジナは確かに私だけど‥‥‥?」
 その内の一人の女が一歩進み出た。艶やかな黒髪の、色葉の町で一番美しいと噂される美女。そのしなやかな手に「お手紙ですっ」と、例の手紙が手渡されるのを眺め、イルカはなるほどねーと納得する。彼女なら、それこそ毎日恋文を受け取っている。遠くから見て、一目で惚れてしまう気持ちも分からないではない。
「‥‥‥手紙?」
 文を受け取った女はしげしげと封筒を見詰めた。その瞳が不審そうに瞬いているのは仕方がない。宛名も、差出人の名も無いのだから。
 それでも、否応でも集まる周囲の視線に、女はぺりぺりと手紙を開封した。一度開けた痕跡は上手くばれなかったらしい。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 取り出した便箋に、フジナは沈黙のまま目を通した。
 わけありの恋文を無事に手渡すことの出来た配達忍は、うきうき顔で女からの返答を待っている。イルカも興味があった。野次馬根性だが、あんな思いやりある文章をもらって心を動かさない人間なんて‥‥、
「なによ、これ」
 いるようだ。
 ひらひらと便箋を振る女に、配達忍は予想と違った反応に焦った。
「あ、あの、僕はただフジナさんに渡してくれと頼まれただけで‥‥‥」
「差出人は? 名前書いてないけど」
「あ、えと‥‥実は、僕も‥‥‥」
「分からないのっ? あなた、そんな得体の知れない手紙を私に持ってきたわけ? しかも一回開封してるみたいな風だし?」
 ばれてた。
 イルカはそっぽを向いたまま、女の険を含んだ物言いに辟易する。
 そうなのだ。黙っていれば花のような美女だが、いかんせん、彼女はすこぶる性格が悪かった。
「‥とにかく、こんな手紙は今度から断ってちょうだい」
 フジナは全員から注目を浴びていることを確認しつつ、手に持っていた文をゴミ箱へ捨てた。もしかしたら差出人がこの中にいるかも知れないと、見せしめの意味を含めての行動かもしれないが、
(――あ)
 イルカは心の内で思わず声を上げる。
 ひらりと、ゴミ箱の中に入ってしまった手紙があまりに儚げで。
 配達忍は、すみませんすみません、と何度も謝っていた。
 すっかりしょげかえった姿に、可哀相だなあと思いつつ、関わりあいたくなかったのも事実なので、そっと食堂を抜け出した。
 職員室でテストの答え合わせでもしよう。
 あの手紙のことは、
 忘れてしまうのだ。







 実際、テストの答え合わせを始めたイルカは紙面に集中し、手紙のことは忘れた。
 夢中になっていて気付かなかったが、ふと顔を上げた時には外はとっぷり更けていた。そろそろ用務員が戸締りに回る頃だろう。
 答案用紙を束ねてとんとんと揃えると、イルカは帰る身支度をはじめた。
 イルカは色葉の町の職員寮に住んでいる。狭い寮だが、単身赴任の多い町のこと、気さくな人間たちに囲まれていつも賑やかだった。
 女が欲しい、欲しいと毎夜のように騒がれるのには呆れるところだが、仕方がない。
(‥‥知らない土地に来たら、ますます人のぬくもりが欲しくなるよな)
 季節もまだ寒い、人恋しい時期だ。
 どうりで最近、ますます独身男たちの自棄酒が多くなったわけだとイルカは納得する。
 あの手紙に心を動かされたのも、イルカ自身、気づかぬ内に寂しさに心を囚われていた為かも知れない。
 平気だ、平気だと思っていたけれど‥‥‥、
「‥‥‥」
 まっすぐ廊下を歩いていたイルカは、ふいに足を止めた。
 立ち止まったそこは、食堂の前。
 しばらく考え込んだ。自分の行動を客観的に見てみようと試みるが、どうも上手くいかない。こういう時は、頭ではなく心で動いている。いつもいい結果にならないので、やめておいた方がいいと思うのだけれど、
 ――ガラガラと、
 イルカの手は食堂の扉を開けていた。
 それでも、もしそれがすでに誰かの手によって処分されていたならば、そのまま帰ろうと思っていた。これは一つの賭けだ。勝手極まりない賭けではあるが、試したいとイルカは思った。
 そして、覗く。
(‥‥‥‥‥‥あった‥‥‥)
 ゴミ箱の中に、ぽつんと残された封筒と便箋。
 後ろめたさと同時に、宝物を見つけたような嬉しさがイルカの胸に押し寄せた。
 イルカはそっと手紙を取り上げ、埃を払い、懐の中へと隠し入れた。
 確か、一度捨てられたものには誰の所有権もないはず。
 つまり、これを自分が持ち帰っても問題はないだろう。
 だが、
(‥‥‥こんなこと、まずいのになぁ)
 イルカは今度こそ帰宅の途につきながら、自分のやろうとしていることに胸の痛みを感じた。
 道徳心のある人間なら考え付かないことだ。
 この手紙は、フジナへ届けられたものなのに、

 ―――その返事を、勝手に書こうだなんて。






  ***






 
 フジナに手紙を出すということは、差出人は十中八九男だろう。
 同性の人間があんな文章を書いたなんてなんだか信じられないが、イルカは職員寮の自室にて机と向き合っていた。
 目の前には、例の手紙と、まっさらな便箋。
 差出人は、フジナからの返事だと思うだろう。それが、実はむさい同性が書いたものだと分かったら、それこそ謝っても謝りきれない。
 だが、この手紙を無かったことにしたくなかった。
 ゴミ箱に行くべき文ではない。返事はいらないと手紙にも書いているが、イルカはこの差出人の気持ちに応えたかった。勝手な考えだ。欺瞞だと言われればそれまでだし、自分でも十分に理解している。
(‥‥‥お手紙‥‥‥ありがとうございました)
 迷い出せばきりがない。
 イルカは覚悟を決め、心の赴くままに真新しい便箋にペンを走らせた。




  お手紙ありがとうございました。
  まず初めにお礼の言葉を。
  突然の手紙をいただき、正直戸惑いましたが、あなたの心遣いに感謝します。
 
  顔も名も知らぬお方、
  自惚れた言葉と取られても仕方のないことですが、今の私には、誰かに心を預ける余裕はありません。しかし、貴方からの手紙は遠い地で暮らす私の心に木の葉の里の記憶を思い出させてくれました。 
  返事は不要とありましたが、あなたの気遣いに一言お礼の言葉を届けたいと、筆を取った次第です。    

  豊かな木の葉の里に比べて戸惑う所も多いですが、この町はとても気持ちのよい人たちが住む所です。
  ここを第二の故郷と思い、自分にできる精一杯の役目を果たそうと思います。

  まだまだ寒さの厳しい季節です。お体おいといください。





 書き終えたイルカはペンを置き、長い息を吐いた。
 椅子に背を預けると、ぎしり、と音が響く。寮の中は無音だ。すでに時間は真夜中過ぎになり、寮内で起きているのはおそらくイルカだけだろう。
 書き上げた文章を見詰め、イルカは静かに新しい封筒へ便箋を入れた。
 糊付けをして、しっかり封をする。
 名無しの手紙と同様に、差出人や宛名は書かない。並べて見るとまるで同じ形の封筒だが、イルカの用意した封筒は薄い紅色だった。
 なるべく女性らしい封筒にしようと思ったのだが、今に思えば浅はかな考えに思う。
 期待させるつもりで返事を書くわけではない。せめて、この人が傷つかないように。安心するように。
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
(やっぱり、自己満足だな‥‥‥)
 イルカはため息をついた。
 どういい訳しても、やってることは悪い。でも、そんなことは分かってる。
 二つの手紙を引き出しの奥に入れ、イルカはもやもやした思考を頭から追い出した。
 まだ渡すと決めたわけじゃない。次に配達忍が来るまで五日間ある。
「‥‥‥‥‥‥」
 どうなるかは分からないと、自分にいい訳している部分はあるが、
 イルカは五日後の自分の決断に、すべてを任せることにした。  
 現実逃避した、とも言える。





  ***





 五日後、運命の時はやってきた。
 のどかな色葉の町。いつもと変わらぬあたたかな日差しに包まれた町の中で、イルカだけは朝から極度の緊張を強いられていた。
 午前中には、配達忍がやってくる。その時、自分はどうするのだろうか。
(‥‥‥どうするもこうするも)
 イルカは、自分の懐の中にある薄紅色の手紙に触れる。
 しっかり持ってきている時点で、渡すことを決めているようなものだが、それでもまだ迷っていた。この五日間、結局悶々と考え込んできたというのに。
「こんにちは!!」 
「――――‥‥‥っ」
 配達忍の出現は突然だった。
 色葉アカデミーの職員室に、いつものように配達忍が元気よく入ってくる。
 各教員から伝達の文を受け取っていく配達忍に、イルカの緊張はピークに達する。
 渡すか。それとも。
「じゃ、失礼します!」
「‥‥‥あ」
 逡巡は意外に長かったようだ。うんうん悩んでいる間に、配達忍は快活な動きで職員室を出て行く。
 イルカは思わず立ち上がり、その後を追った。
「ちょ、ちょっと待っ‥‥っ」
「あ、はい」 
 勢いよく出てきたイルカに、配達忍は廊下で振り返った。
 顔を見て、あっと驚いた表情をする。
「あなたはこの間の‥‥。あの時はどうもお世話になりましたっ」
「あ、うん。いや‥‥あれはいいんだが」
 呼び止めることに成功したイルカは、配達忍と向き合うとまた緊張を憶えた。呼び止めてどうするつもりなのか。
「あのー、なにか僕に届け物でも?」
「‥‥ん、‥‥‥いや」
 無邪気な様子で尋ねられると、非常に言いにくい。
 イルカは迷い、迷いながらも、右手が自然と懐に入り、あの薄紅の手紙を取り出していた。
「あ、やっぱり届けものですか。お預かりしますー」
 イルカが何か言う前に、配達忍ははきはきと言いながら手紙を取った。が、
「‥‥‥ん?」
 表、裏とひっくり返し、配達忍は怪訝な顔をした。
「あのー、これ宛名がありませんけど」
「‥‥‥そ‥れは‥‥‥」
「‥‥? ‥‥‥あ、もしかして‥‥!!」
「?」
「これ、フジナさんからの返事ですか!? あの人、ゴミ箱に捨てたくせに、ちゃんと礼儀をわきまえてたんですねっ」
「あ‥‥」
「良かった〜。返事はいらないって差出人からも言われてたんですけど、勘のいい僕には分かりましたよ。あの人、絶対返事を欲しがってるって。良かったですっ。この手紙を届けたら、きっとあの人喜ぶなあっ」
「‥‥‥え? 確か、差出人は分からないって言ってなかったか?」
「あ、えーと、実は口止めされてたんで」
 配達忍はえへへと誤魔化すように笑い、
「あなたには色々とお世話になってますし、ここだけの話なんですけどね‥‥‥」 
 急に声をひそめ、イルカの耳に囁いた。
「フジナさんに恋文を出したのは、なんとあのはたけカカシさんなんですよ!」
「‥‥‥っ」
「有名な写輪眼のカカシさんがいったい誰に手紙を出すのかと僕も興味津々だったんです。フジナさんだってのは頷けますが、あの人ちょっと性格きつそうですよねえ。まあ、人の趣味をどうこう言えませんが。あれ、どうしました?」
 なんか顔色悪いですよ? と、覗き込む配達忍に、イルカは目を泳がせた。
 ―――気分が悪いなんてもんじゃない。
 まさか、相手があの人だったなんて。
(‥‥‥手紙‥‥‥っ)
 はっと我に返ったイルカは慌てた。あの手紙。フジナが書いたのではない。本当は自分が書いたあの手紙を返してもらわなくては。
「じゃっ、僕急ぎますんで!」
「あ‥‥待っ‥‥‥」
 ショックは、自分でも驚くほど大きかったらしい。喉が引き攣ったように声が出なかった。その間に、当の配達忍は風のように立ち去ってしまう。
 廊下に残されたイルカは、呆然とその場に立ち尽くした。

 はたけカカシ。
 彼とは知らぬ仲ではない。
 木の葉の里にいた頃、卒業生の引継ぎの時に知り合った彼と半年間、イルカは心を通わせあった。
 しかし、付き合い始めた当初からあった小さなすれ違いが次第に大きくなり、確かな心の繋がりを作れていなかったふたりの関係を呆気なく壊れてしまった。
 カカシと別れ、木の葉の里を離れてもう一年経つ。
「‥‥‥カカシさん」
 よく見れば思い出せたのに。あの人の字だったのだ。
 イルカはなんとなく一緒に持ってきてしまった手紙を懐から取り出し、その文章を指でゆっくりなぞった。あの人の字だ。あの人が書いた、あの人が触れた手紙。
 彼を傷つけた自分に、昔のことを懐かしむ筋合いなどないことぐらい分かっているのに。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 胸に込み上げてくる熱い想いに、イルカはそっと息を吐いた。










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