□ 親愛なるあなたへ
第2話
カカシと出会ったのは、金髪の問題児を預ける際、元担任として挨拶に向かった時だった。
はっきり言って第一印象はよくない。猫背で、胡散臭くて、間延びした口調だが、低く響く声。相手が中忍でも敬語を使う礼儀正しい人だったが、何を考えているか分からない目はちょっと恐かった。できればこれっきりで会いたくない人だと思ったけれど、その後、何度か彼の方から誘いを受けた。
向かう先は主に居酒屋。話の種は元生徒の成長や、なんでもない会話で、カカシは意外に聞き上手で話しやすく、優しかった。おしゃべりは楽しくて、沈黙も苦ではない。むしろ心地良く、誘いを断る理由なんてなかった。
そんな関係を続けていくうちに、イルカは彼に対して抱いていた警戒心をすっかり無くしていた。もともと、懐に入れてしまった人間に対しては家族並の愛情を注ぐイルカのこと、こうなるだろうとは自分でも薄々感じていた。
―――が、
カカシから告白を受ける、ということまではさすがに想像もつかなかった。
ただの告白ではない。カカシは、自分を恋愛対象として見ていた。
その時の衝撃といったら。
イルカは戸惑った。
カカシに対し、すでに家族並の愛情を感じていたイルカだが、それは彼の[好き]とは完全なる別物だった。彼の気持ちには応えられない。
でも――拒絶したくない。
[好き]の種類は違っても、自分に向けられる愛情は嬉しかった。なんとかして彼の気持ちを受け入れたいと、イルカは様々な言い訳を考え、種類は違っても愛情には変わりないのだから、きっと分かり合えると、そう思った。
――――でもそれは、浅はかな考えだった。
告白を受け入れた時、カカシは心底嬉しそうにしていたが、その笑顔には少々翳りが見えた。その時はとくに気にならなかったけれど、彼には分かっていたのかも知れない。
その後、晴れて恋人同士になってからの二人の日常は、しばらくの間とくに変わりはなかった。今までと同じように、飲みに行ったり、イルカの家で二人で夕飯を食べたりと、イルカの望んでいた平和な生活が穏やかに流れていた。
そうイルカは思っていたけれど、
その晩、カカシはめずらしく深酒をした。会話も弾まず、沈黙もなんだか重かった。帰ろうとするカカシの頼りない足取りに泊まっていくことを勧めたイルカだが、あんな事になると分かっていれば断じて言わなかった。
自分は成人した男だ。性欲に淡白とはいえ、まったく無いわけではない。男のそういった生理現象を理解していたつもりだが、まさか、自分がその対象にされるなんて。
イルカは、自分がカカシの覚悟を嘗めていたことに気付かされる。
[好き]の種類が違っても、同じ愛情だからなんとかなるなんてどうして思えたのか。
これほど、決定的に違うものが存在するというのに。
イルカは自分の浅はかさを認め、同時にカカシを拒絶した。
あれほど躊躇っていた拒絶なのに。
でも、駄目だ。
―――俺は、あなたを[好き]ではないんです。
その夜以降、カカシとの仲はぎくしゃくしたものとなった。
それでもカカシは、何度か関係を修復しようと接してくれたが、イルカはそうはいかない。今まで通りなんて無理だ。自分は、カカシの気持ちを受け入れることはできない。
別れた日は、今でもはっきり思い出せる。
俯いたまま、最後まで顔を上げようとしないイルカに、カカシは別れを了承しながらも、これからも普通の友人として話し掛けてもいいかと言った。
嬉しかった。
けれど、それではまた同じことを繰り返してしまう。
イルカは頑なに首を振り―――ふたりの関係を完全に断ち切った。
それ以来、カカシと会話をすることも、目を合わせることもなくなった。正直に寂しい、と思った。イルカにとっては友人を一人無くしてしまったようなものだ。
‥その考え自体、カカシに対して失礼であるのだが、情に熱いイルカのこと、息の詰まる現状にすぐに耐え切れなくなる。そんな時だった。転勤の話を耳にしたのは。
間のいいことに、その頃アカデミー内ではちょうど転勤組の志願者を募集していた。
しばらく里を離れられるし、外の町で教職をすることに前々から興味のあったイルカは自ら志願した。
話は火影にだけ通した。
できれば、自分の行く先を里の皆に知られたくなかったから。
そんな事をすれば周囲の人間たちが――とくに金髪の少年が心配することは分かっていたけれど、あの子にはもう仲間がいる。新しい先生もいる。あくまで臨時の転勤なので、二度と戻ってこないわけではないし、イルカ自身、新しい地でしばらく自分を見つめ直したかった。
火影はイルカの考えを承諾した。その日の内に支度を終えて、イルカは新たな教え子の元へと旅立っていった。
向かう場所は極秘となったが、急な転勤。イルカは同業者のアカデミー教師たちに後の引継ぎを頼み、たっぷり買い占めたカップラーメンを金髪の少年の家に置いてきた。
――――なにも、もう戻らないわけではない。
陽が顔を出したばかりの早朝、障壁門をくぐり、里を後にしたイルカは、後ろを振り返らなかった。けして逃げるのではない。乱れる自分の感情を見つめ直し、もう一度自身と向き合いたい。これは修行と同じ。
新たな地での生活も、予想していたほどの問題はなかった。
いつでも新鮮な気持ちで生徒と向き合い、自分の役目を果たす。ここはとても静かで、里にいた頃と比べて、イルカの心は格段に落ち着いていた。
だが、
もう大丈夫だと。そう思っていたのに、手紙を書いた主がカカシだと分かっただけでこのしまつ。
もう帰ってもいいかと思っていたけれど―――これでは到底顔などあわせられない。しかも、勝手に彼の手紙に返事を書くなんて、もし彼が知ったらまた傷つけてしまうか、怒らせてしまうか。
自宅で休んでいたイルカは、物思いから我に返り、そっと懐から手紙を取り出した。
カカシは、フジナのことが好きなのだ。
あれから一年。彼はとっくに歩き出しているのに、自分はまだ立ち止まったまま。歩いていると思っていたのに。その距離がとても離れていたことに気付かされた。
(‥‥この手紙、フジナさんにもう一度渡した方がいいかな)
ぼんやり考えて、それはまずいと打ち消す。
なによりまずいのは、自分が迂闊に書いてしまった返事の手紙を、あの配達忍が持っていってしまったことだ。あの後、急いで後を追いかけたが、さすが配達忍。足だけは並じゃない。
この手紙をフジナに渡すなら、何もかも暴露する必要がある。
そんなこと―――できるものか。
(‥‥‥大変なことになっちまった)
フジナの非難を受けることはとくに堪えない。責めを受けるのは当然だが。カカシから軽蔑の眼差しを向けられることを想像するとぞっとする。
いや、いっそそうなってしまった方が、すっぱり諦められるのか。
(‥‥‥なにを諦めるって?)
己の無意識の思考に、イルカは首をかしげた。
自分はまだ、彼と友達の関係に戻りたいと思っているのか。
「‥‥‥‥‥‥」
しばしの無言の後、イルカは手紙をそっと机の引き出しに閉まった。
(‥‥‥寝よ)
彼のことを思い出すのは辛い。
これ以上考えていたら、きっと夢の中にまで現れるだろう。
夢の中の彼は、笑顔だろうか。
それとも‥‥‥?
***
またよく眠れない毎日が続き、再び配達忍が訪れる日。
さんざん迷い、思案に耽っていたイルカの元へ、想像を越える展開が訪れた。
「‥‥‥あの〜、すみません」
職員室にひょっこり顔を出したのは、配達忍。
「あ、こんにちはっ、イルカさん!」
「配達‥ご苦労さま」
突然の登場にうろたえた表情を見せないよう、イルカは顔を引き締めた。
昼時の職員室はがらんと人気がなかった。午後のテストの用意をしていたイルカだけの職員室に配達忍は頭を掻きながら、
「フジナさんって、今日はお休みなんですか?」
「え?」
予想外の問いに、イルカは驚きながらも今朝の記憶を探る。そういえば、くの一教師たちはグループごとに慰安旅行に出ていた。フジナは今週のグループに入っていたはず。
「たしか、旅行に‥‥‥」
「ああ〜、やっぱり。探しても見つからないと思いました。どうしよう‥‥。困ったなあ」
「彼女に‥‥‥なにか配達が?」
「あ、えー‥‥‥実は」
少し口ごもったが、配達忍は周囲を見渡し、そっとイルカの席に近付いた。
「実はですね。カカシ上忍からのお手紙をまた預かってまして」
「‥‥‥っ」
声をひそめて囁く配達忍に、イルカの胸はどくんと騒いだ。
「フジナさんの返事を渡したら、その場で読み出して、その日の内に返事を用意したんですよ。ちょっと足止め食らっちゃいましたが、あんなに真剣な顔で頼まれちゃ断れませんよ。絶対本人に直接渡してくれって言ってたんですが‥フジナさん、いつ頃戻られます?」
「あ、たしか‥‥‥三日後ぐらいには」
「そうですか。‥‥‥仕方ないなあ。じゃあ、その頃になんとかルートを変更してもう一度立ち寄れるように‥‥」
「あの‥‥っ」
うーん、と悩む配達忍に、イルカは思わず声を上げていた。
「‥もし良かったら、俺が預かるが?」
「―――え、イルカさんがですか」
突然の申し出に、配達忍はぱちぱちと瞬きをした。
あつかましかったかと、イルカは内心冷や汗が出たが、
「それは助かります〜!」
配達忍はぱぁっと顔を輝かせてイルカに手を握った。
「実は木の葉の里での足止めに仕事が詰まってまして。イルカさんが預かってくださるのなら安心です。どうかお願いします!」
嬉々と鞄から一枚の手紙を取り出し、配達忍はイルカの手に押し付けた。
「あ、それと‥‥ですね。できればこの事は内密にお願いできますか‥‥‥。他の人に預かってもらったなんてばれたらカカシ上忍に怒られちゃうんで。‥‥‥その上、拾ってもらったなんて‥‥‥」
青ざめて震える配達忍に、イルカは苦笑を浮かべた。
「誰にも、言わないよ」
言えるわけがない。
手の中の手紙を握り締め、イルカは内心の動揺を出さないように必死に冷静を保った。
じゃっ、お願いします、と元気に立ち去っていく配達忍をそのまま見送り、
「‥‥‥‥‥‥」
完全に気配が消えてなくなったのを確かめたイルカは急いで立ち上がった。
向かう先は図書室の奥の、滅多に人の入らない書庫。
じっと手紙を見下ろし、イルカは震える指で糊付けされた部分に爪をかけた。
一気に開く前に、イルカはきょろきょろと辺りを見回した。完全な個室であるのに、他人に宛てられた手紙を開ける罪悪感に胸が必要以上に鳴り喚く。
慎重に、震える指で手紙を開いた。
前に拾った手紙と変わらぬ大きさ。中身の便箋も同じだった。
返事を書いてくれたことを心から感謝します。
いらないと強がってはみましたが、本当はあなたの近況を知りたいと思っていました。
本当はもっとあなたの事を知りたい。でも多くは問いません。
その地が、あなたを優しく受け止めていることを嬉しく思います。
今、木の葉の里では冬祭りの準備で賑わっています。
今年は遠方から氷の彫刻が届き、アカデミーの子供たちが喜んでいました。
そちらでは、もう雪は降りましたか?
寒さは厳しくなる一方ですが、どうぞお体を大事になさってください。
遠くから、あなたのことをいつも想っています。
―――冬祭り。
それは、木の葉の里でいつもイルカが参加していた祭だ。
そうか。木の葉の里ではもうそんな時期か。
手紙を読み返しながら、イルカは自分が笑っていることに気づいた。
―――人の手紙を盗み見してるくせに。
「‥‥‥‥‥‥」
懐かしい里の風習に和んでいた心は、たちまち罪悪感に塗れた。
イルカは憂鬱気に眉を顰めた。
この手紙をフジナに渡すと配達忍に約束したけれど、渡したところで事情は混乱するだけだ。‥渡さずにいることも、また混乱を招くが。
(‥‥‥俺)
便箋に綴られたカカシの字を見詰め、イルカは思った。
(また返事を‥‥‥書きたい)
―――嘘なら、もう吐いた。
しかし、さらに嘘を重ねる覚悟が、自分にあるか。
イルカは自分の心に自問した。
(‥‥‥書きたい。‥‥‥‥‥‥こんなこと間違ってるけど、どうしても、書きたい)
何度問い掛けても、
―――書きたい、と心が叫んでいた。
配達忍の約束は、守れそうにない。
***
イルカは二度目のカカシの文に、また返事を書いた。
手紙を再び送ってくれたことの礼と、なんてことのない日常の話。
雪は時々降るだけで、まだ積もるほどではないと書き、締めの言葉を書いて薄い紅色の封筒に入れた。
三日後にフジナは旅行から戻ってきたが、手紙は渡さなかった。
深い罪悪感があるイルカは、その日一度もフジナを見ることができない。本当は、何度も迷った。カカシからの手紙は懐にあり、いつでも渡せる状態にあったが、結局手渡すことはできなかった。
その上、さらに二日後、イルカは朝早くから町の入り口が見える場所で待っていた。
配達忍が町に入る前に接触したい。万が一、フジナに例の手紙を受け取ったかどうか聞かれたりしたら、すべてがばれてしまう。
(‥‥‥来た)
元気よく走る音が耳に届いたイルカは、急いで樹木の頂上から地上へ降り立った。配達忍の前に姿を見せると、相手はびっくりしたように立ち止まる。
「あっ、イルカさん」
だが、すぐに笑顔を見せた。
すっかり気を許してくれている彼に対し、今から自分の吐こうとする嘘に吐き気がしたが――、
「あの‥‥‥例の手紙は、フジナさんに渡したから」
「あっ、ありがとうございます! お手数おかけしてすみません」
「それで‥‥‥これ」
懐から取り出したのは、薄紅色の封筒。
配達忍は顔を輝かせ、
「フジナさんのお手紙ですねっ。了解しました! カカシさんにちゃんとお届けしますっ」
何の疑念もなく受け取った。
いそいそと鞄の中へ仕舞う様子を見ていたイルカは乾いた唇を舐め、
「それで‥‥‥言伝も預かってるんだ」
「え? なんです?」
「その‥‥‥手紙のことは内緒にしたいから、もしまた、手紙が来たら直接届けに来ないでくれって」
苦しい説明だったが、
「ははー。最初、皆がいる前でゴミ箱に捨てたことを気にしてるんですね〜」
配達忍はうんうんとしたり顔で頷いた。
「まあ、相手はカカシ上忍ですから、無理もないですかっ。‥‥‥えと、でも直接フジナさんに渡せないなら、どうすれば‥‥‥」
ここが肝心だ。
イルカはさり気無さを装い、震えそうになる唇を開いた。
「――‥‥俺に‥‥‥預けてくれれば」
「えっ、イルカさんにですか?」
配達忍はちょっと驚き「それはご面倒をかけるんじゃ‥‥‥」眉を八の字にした。イルカは慌てて、
「いや、いいんだっ。俺が頼まれたことだから‥‥‥」
申し訳無さそうにする配達忍に弁明する。――嘘八百だったが。
「‥‥‥そうですか。分かりました!」
配達忍は実直な性格だった。
内心冷や汗を流すイルカに警戒心のない笑顔を向け、またカカシからの手紙があればイルカに預けると言った。イルカもまた、フジナからの手紙は、自分が配達忍に渡すと言った。
真実を知らぬは―――カカシとフジナと配達忍のみ。
(‥‥俺、なにやってるんだろう)
立ち去る配達忍の背を見詰め、イルカは罪悪感に押しつぶされそうになった。
真実を知るのは―――嘘に塗れた自分のみ。
風が肌を刺すように吹き抜けていく。
寒さは感じない。心と同じように、身体まで麻痺してしまったようだ。嘘の重さに。
(なに‥やってるんだろう)
冷めた目で佇み、イルカは思う。
嘘を背負う覚悟はあるのに、自分の行動を説明することができない。
だだひとつ言えることは。
嘘をついてでも――――カカシの手紙が欲しかった。
***
不思議な文通はその後も続いた。
配達忍は何の疑いもなくカカシの手紙をイルカに渡し、フジナによけいな詮索もしなかった。
罪悪感は当然心を蝕んでいる。
実直な人たちを欺く嘘をきっと一生後悔するだろうと思うが、それでも手紙は待ち遠しかった。とくに、手紙を配達忍に渡してからの五日間。配達忍がやってくる日は朝からそわそわして落ち着かない。
手紙の内容は、互いに些細な日常的会話だった。
すでに十回以上続けられている文のやりとりに、イルカは何度も何度もカカシからの手紙を読み返した。
フジナに宛てられた手紙のせいか、手紙の中のカカシはイルカの中にいる彼と異なった印象を与えた。
いつも礼儀正しい、というよりも一線置いて遠慮している節のあったカカシ。手紙の丁寧さには納得するが、こんなに色んなことを見ている人だったのか。
冬祭での教え子たちの様子や、氷の彫刻。祭の賑やかさや、雪の積もった木の葉の里の光景。職員たちが忙しそうに雪かきをしている所や、六花の草が蕾をつけたこと。
カカシは様々な木の葉の話を手紙に書き記していた。
――――優しい人だということは、分かっていた。
彼は一見冷たい印象を与えるけれど、本当は仲間を大事にする理性的な人だ。
自分との間にあった一線は、おそらく彼なりの配慮だったのだろう。
カカシの覚悟を嘗めていたイルカはその気遣いを察することができなかった。
(‥‥‥俺、あの人のことを理解しようと思ったことがあったっけ)
寝付けない深夜。布団の中で身を起こしたイルカは引き出しから数枚の手紙を取り出した。
もそもそと布団の中に引き込み、その紙の感触を確かめる。
カカシのことを考えた。
木の葉の里を出てからは、なるべく考えないようにしていたけれど、
カカシの性格。
(‥仕事は真面目じゃないけれど、頼りがいのある人。同じ忍として尊敬している。‥‥‥それと、優しい人。いつも自分を気遣ってくれる)
それと‥‥‥、
‥‥‥‥‥‥。
(‥‥‥?)
イルカはぱちぱちと瞬きをした。
思いつかない。短かったとはいえ、半年間も一緒にいた人なのに。
”優しい人”
”親切な人”
――――ただそれだけ。
(‥‥‥‥‥‥‥‥‥)
イルカは手紙を見詰め、眉を顰めた。
自分は、カカシを見ていたようで見ていなかったのか。
ごそごそと封筒のひとつを開封し、一番新しい文に目を通した。
教え子たちが悪戯をして愛読書を川に落としたらしく、罰としてアカデミーの掃除をやらせたらしい。しかし、結局自分も引っ張り出され、慣れない床拭きをしたら風邪を引いた、と。
この頃は本当に他愛無い生活の話を聞かせてくれる。
文章は相変わらずくだけないが、イルカは何気ないカカシの話の方が好きだった。
手紙の中には、今までイルカの知らなかったカカシがいる。
眠そうな目は、意外に里全体を見渡し、なんでそんな事でと思う小さなことで腹を立たせて根に持ち、結局墓穴を掘る。要領がいいようで、実は貧乏くじを引いていた性格なんて、あの半年間に一度たりとも気付かなかった。
(‥‥‥‥‥‥俺、変だ)
手紙を読み返し、イルカはため息をついた。
カカシの文を読むたびに、胸がどきどきする。配達忍が訪れ、真新しい手紙を手渡されると、嬉しさに顔が緩んでしまう。
早く、早く次の配達の日が来ればいいのに。
毎日毎日そう思い、待ち遠しく思う自分にイルカは戸惑い、押さえられない昂揚感を懸念していた。
いけない。
これ以上続けてはいけないと分かっているのに。
(‥‥‥痛い)
イルカは胸を押さえた。
もう手紙を読めないと思うだけで、ぎゅーと胸が締め付けられる。
息ができなくなるほどの喪失感に、目頭まで勝手に熱くなり、慌てて首を振る。
(‥‥‥俺、‥‥‥病気かな)
激しくなる動悸を止めることができない。忍のくせに。どうしてこれほど情緒不安定なのか。
やはり罪の意識のせいか。
(‥‥いや、‥‥‥‥‥‥たぶん、違う)
イルカは自分の考えを否定したが―――説明をつけようとは思わなかった。
そもそも、間違った行為なのだ。
決意を揺らがせてはいけない。
イルカは起き上がった。深夜の冬の寒さに裸足が冷えるが、机の前に移動する。
そこには、真新しい便箋とペンが用意されていた。眠る前から、ずっとそこに。
明日、配達忍がやってくる。
その時に手渡す手紙を、イルカはまだ書けずにいた。
迷っていた。
終わりの手紙を書くことを。
(もう、こんなことやめなきゃ)
そう決意してから数日間、いまだ一行も書けていない。机には、真っ白な便箋があるだけ。
今日もさんざん迷って、結局明日考えようと布団に入ったが、眠れるはずはない。
「‥‥‥‥‥‥」
イルカは意を決した。
ペンを持って、文章を書き綴る。
――――この文通を、終わりにしたいと。
何度も何度も考えた。相手を傷つけず、やんわりとこの文通を終わらせる方法を。
手紙を送らなければ、おそらくもう送ってこないだろう。返事を書くから、カカシは律儀に手紙を送ってくるのだ。
自然消滅が一番楽だと、そう思ったけれど、イルカは手紙で決着をつけたかった。
だが、内容はずるい。
結局、イルカは自分が勝手に書いていたことを暴露できず、あくまでフジナが書いたものとしてもう手紙は書けない、気持ちに応えられないと書き記した。
卑怯だと自分でも分かっていたけれど―――フジナではなく、自分が手紙を書いていたなんて、カカシに知られたくない。
滑稽な真実に、カカシは呆れた顔をするだろうか。軽蔑の眼差しも非難の言葉も、自分に受ける勇気はない。どんな傷の痛みにだって耐えるが、カカシから与えられる傷には赤子のように辛抱がない。
―――――死んでしまうかも。
「あっ、イルカさんっ。おはようございます!」
「‥‥‥っ」
思考にとらわれていたイルカははっと我に返った。
にこにこと駆け寄ってくるのは配達忍。そうだ。自分は彼を待っていたのだ。
一睡もしていないイルカは青い顔にむりやり笑顔を浮かべた。
「配達ご苦労さま」
「今日は手紙はないのかと思いましたよ〜。いつも入り口のところにいらっしゃるのに‥‥‥、あれ? イルカさん顔色悪いですよ? 大丈夫ですか」
「いや、ちょっと仕事がたまっててな」
言いながら、イルカは懐から手紙を取り出し、差し出した。
「あ、お預かりします!」
元気よく言って、配達忍は薄紅色の封筒を受け取った。いそいそと鞄の中に入れる姿を、イルカはじっと静かに見詰めていた。
心は凪いでいる。見た目ほど冷静ではなかったが、鞄の中に消える手紙を奪い返したいのか、そのまま早く持ち去って欲しいのか。自分でもどうしたいのか分からない。
「‥イルカさん、本当に大丈夫ですか?」
心配そうに覗き込む配達忍に、おもわず目を逸らした。
早く行ってくれと声を荒げたい理不尽な行為を押し止め、
「‥‥‥今日は早めに休むよ。俺は大丈夫。それより、配達頑張れよ」
笑顔は作れなかったが、なるだけ穏やかな声を出すように意識した。
はいっと気持ちのいい返事をして走り出す配達忍を見送り、
(‥‥‥渡してしまった)
完全に姿が見えなくなったのを確かめたイルカは、小さくため息をついた。
今から走っても彼の足には追いつかない。あの終わりの手紙はカカシの手に届くだろう。
カカシはどうするだろうか。
フジナのことを諦めるのか。
手紙の中に見たカカシならば、きっともう手紙は来ない。上手く説明できないが、彼からの手紙はもう来ないと確信できる。
「‥‥‥‥‥‥」
長く立ち尽くしていたらしい。
ふと、近付いてくる足音に気づいた。軽い足取り。振り向くと、見知った子供が走ってくる。
「イルカせんせーっ、こんにちはーっ」
ぽふっと抱きついてきたのはアカデミーの生徒だった。
人懐っこい幼い生徒に、イルカは膝を折って目線を合わせた。挨拶を返そうと口を開きかけたが、
「あれ? せんせー、どうしたの?」
子供がぱちぱちと瞬きをした。
「どこか痛いの? 目にゴミが入ったの?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥っ」
あたたかい小さな手に頬を触られ、イルカの目からぽろりと涙が落ちた。
「な、‥なんでもないよっ。大丈夫っ」
慌てて目を擦り、イルカはにっこり笑った。
―――泣いてるなんて、自分でも気づかなかった。
子供の手を引き、途中まで一緒に歩き始めたイルカは自分の涙に戸惑った。
一年前、カカシと別れる時ですら涙は出なかったのに。
きっとあの時は―――仕方がないと諦めることができたからだ。
でも今は‥‥‥、
(‥俺って、馬鹿だ)
小さな手を引きながら、イルカはこっそり鼻をすすった。
再びカカシのことを忘れる日が続いた。
だが、今まで届いたカカシの手紙を捨てることはできなかった。万が一のことを考えて隠し棚に保管してある。固く鍵をかけ、自分でも簡単に取り出せないようにした。
フジナとはなるべく普通に接するようにしているが、まっすぐ目を見ることはできなかった。
罪悪感も重なって、今度の傷は深く、数日経ってもイルカの心は晴れない。
いつの間にか、五日経った。
今日は配達忍が訪れる日だが、色葉の町は朝から騒がしかった。
アカデミーに出てきたイルカは、なにやら話し合う教師たちに首を傾げる。
聞けば、
木の葉の里から忍の一団が視察に訪れたと言う。
(―――まさか)
胸が騒いだ。嫌なほど勘が働く。
「臨時の視察らしいけどね‥‥‥その中に」
「嘘っ、本当に!?」
「すごいっ、わたし絶対会いたい!」
フジナを含む女性教師たちがにわかに色めき立っていた。
「―――あのはたけカカシさんが来るなんて!」
(‥‥‥‥‥‥‥‥‥!!)
彼女たちの会話が、イルカの胸に突き刺さる。
カカシさんが――この町に?
衝撃を受けたイルカは、激しい眩暈を感じた。
―――甘かった。
あの人は、きっと手紙は書かない。
確信が持てたのは、カカシならそんなまどろっこしいことはしないからだ。
優しい人。でも、時々びっくりするほどの押しの強さを見せた。
(カカシさんが‥‥‥)
ばれてしまう。
すべて。―――――すべて。
途方もない恐怖に、イルカは声もなく立ち尽くしていた。
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