□ 親愛なるあなたへ




第3話








 カカシがこの町にやってきた。

(‥‥‥駄目だ。もう‥‥‥隠し切れない)
 すべてがばれるという恐怖に、イルカは決意した。
 もはや、すべてを暴露して謝罪するしかない。
「‥‥‥フジナさん」
 力の入らない腹を震わせ、イルカは黄色い声を上げているフジナの名を呼んだ。
 きょとんとする相手の腕を掴み「ちょっとお話が」と、むりやり教室から連れ出した。
 戸惑う他の教師たちの視線を受け、人気のない場所へと促していく。
 すべてがばれてしまうというのなら、まず謝らなくてはならないのは、勝手に隠れ蓑に使った彼女が一番だ。
「どうなさったの? イルカ先生」 
 人気が消えた所で立ち止まったイルカは、困惑するフジナと向き合った。
 整った眉を寄せる美女に、
「すみません!」
 勢いよく頭を下げる。
 下手な言い訳などしない。
 イルカは、偶然手紙を拾ったことからすべて話した。フジナが捨てた手紙をまた拾い上げ、勝手に返事を書いたこと。何度か手紙のやりとりをして、頃合を見て別れの手紙を送ったが、本人が訪れてしまったと。
「勝手なことをしてすみません。‥‥‥でも、あんなに心のこもった手紙を捨てることは俺には‥‥‥」
 息継ぎもろくにいれず、一気に話すイルカの説明に、フジナは目を丸くした。
「‥‥‥え‥‥‥、あの手紙‥‥‥って‥‥‥じゃあ」
 口元に細い指を当て、混乱する頭を整理しようとしているフジナに、イルカは申し訳なさでいっぱいになる。
 自分のふりをして勝手に見知らぬ相手と文通していたなんて、客観的に見ても気持ちの悪い話だ。許してもらえるとは――思っていない。
 殴られることを覚悟して、イルカはじっとフジナが事を理解するまで待った。
「‥‥手紙‥‥‥、ちょっと、よく分からないんだけど、あの手紙を書いたのは‥‥」
「はたけカカシさんです」
「‥‥‥っ」
 フジナの目が大きく見開かれる。
 そのまま平手か拳が来るかと思ったイルカだが、
「‥‥うっそ! そうと分かってたら捨てなかったのに!!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥え?」
「やだ‥っ、じゃあ、あのはたけ上忍が私に恋文を‥‥? 信じられないっ、やだやだっ、どうして私捨てちゃったりしたの‥‥? ‥‥‥あ、そうか。イルカ先生が拾ってくれてたのよね‥‥‥それで‥‥‥返事を‥‥‥」
「‥‥‥フジナさん‥‥?」
 語尾を潜め、黙り込んでしまったフジナに、気勢を削がされたイルカは当惑した。
 なんだか様子がおかしい。
 さっきまで混乱していた様子の彼女の目が、今はきらきらと野生の獣のように光っている。
「‥‥‥‥‥‥何も問題はないわ」
 やがて、ぽつりとフジナはこぼした。
「‥え?」
「ありがとう! イルカ先生っ」
「え? ‥なん‥‥‥」
 手を掴まれ、イルカは突然の感謝の言葉にのけぞった。
「相手があんまり私に一途だから、不憫に思って返事を書いていてくれてたのでしょう? 断りの手紙をしても、まだ会いに来てくれるなんて、はたけ上忍、相当私に惚れてるわっ」
「‥‥そ、そうですね‥‥」
 実際会いに来ているのだからそうだろう。
「今までの返事は、全部私が書いたことにするわ」
「‥‥‥え?」
「そうすれば問題はないでしょ。あなたは、私の代筆をしていてくれた。ただそれだけの話よ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」  
 たくましい女性だ。
 イルカは考えもしなかった提案にしばし呆然とした。
「ただし、代筆に関しては秘密よ。‥‥はたけ上忍が私を訪ねてくるだろうから‥口裏を合わせておきたいわ。イルカ先生、今までのはたけ上忍からの手紙を戴けるかしら」
「あ‥‥‥、はい‥‥っ」
 少し間を置き、イルカは急いで頷いた。
 躊躇う場面じゃない。あの手紙は元々彼女に届けられたものだ。
 家にあるとイルカが話すと、「じゃあ、今すぐ取りに行きましょう」と、フジナも同行する。
 二人でこっそりアカデミーを抜けながら、イルカは複雑な気分だった。
 狭い町のこと。すぐに家につき、外でフジナを待たせたイルカは家の隠し場所からカカシの手紙を取り出した。
(‥‥‥複雑。‥‥‥こんなに問題なく片付くなんて) 
 もっと恐ろしい修羅場を想像していたが、驚くほどスムーズに問題は解決した。
 むしろ、正常に戻った。
 この手紙をフジナに渡せば、すべては完璧だ。代筆の件を隠せば、文通をしていたのはフジナ。そして彼女に会いに来たカカシ。
 自分は、どこかに身を潜めていればいい。
 それで、すべての片がつく。
 良かった。心からそう思うが、
(‥‥‥なんか、複雑‥‥‥)
 もやもやする心を抱えたまま、イルカは重い足取りで外へ出た。
 抱えた手紙を差し出すと、フジナは目を輝かせて受け取った。最初はあれほど得体の知れない手紙を嫌悪していたのに、送り主が分かれば変わるものだ。
 ―――皆の憧れの写輪眼のカカシ。
 自分も昔は憧れていたのだが。
「じゃあね、ありがとう! 私、受け持ちの授業は午後からだし、これからカカシさんに会いに行ってみるわ。善は急げってね。経過はこっそり報告してあげる」
 嬉しそうに頬を染めて去っていくフジナを見送りながら、イルカはため息をついた。
(‥‥二人は‥相思相愛。カカシ先生、嬉しがるだろうなあ)
 憧れのままでいればよかった。
 そうすれば、こんな痛みを憶えずにすんだのに。 

 ―――ちくちくと胸に走る痛み。

 見えない針で刺される痛みに、イルカはぎゅっと胸を押さえた。
 修正が間に合って良かったと、そう思うのだ。

 今更、自分に何かを望む権利などあるものか。






 しばらく家でぼーっとしていたイルカだが、はっと我に返った。
 もうすぐ授業が始まる。せめて午前の授業だけは終わらせないと。
 アカデミーへと走り出しながら、イルカは他の不安を考えた。
 自分がこの町にいることは火影しか知らないはずだ。万が一カカシと顔をあわせることになったら気まずいことこの上ない。
 午前だけは出席して、午後からはどこかに身を潜めませようとイルカは考えた。
 それでも深く調べられたらすぐにばれてしまうが、出来る限り隠れていたい。
(‥‥‥痛‥‥‥)
 隠れて、会わないでいようと思うたびに、胸の痛みがさらに増した。
 痛みの原因はあえて考えない。考えてはいけない。
 会いたくない、と思う一方で、会いたいと叫んでいる奥の心の声など、認めてはいけないのだ。 
 周囲に気を配りながらアカデミーに戻ると、朝の騒ぎは収まっていた。突然いなくなったイルカにどうしたのかと尋ねる声もあったが、笑って誤魔化した。例の視察団は、町長の所へ行っているらしい。教室に入ったイルカは、おはようございます、と元気よく声を出す生徒たちに笑顔を向けた。
 思う所はたくさんあるが、何事もなく時間が過ぎてくれればいいと思う気持ちは本心だった。

 ―――だが、事態はイルカの予想を裏切った。

 午前の授業は滞りなく進み、いつもと変わらぬ風景だったが、
「どういうことよ!」
 あと一時間で午前は終わり、という時に、フジナが真っ赤な顔で怒鳴り込んできた。
 突然の乱入者に生徒たちは驚き、教室は騒然となった。イルカも、呆気に取られる。 
「あ、あんな‥‥無礼な男っ、信じられないわ!!」 
 いつも澄ました様子の美しい顔は怒りに歪み、感情の高ぶりに涙まで滲ませていた。これはただごとではない。
「ど、‥どうしたんですか。フジナさん」
「上忍だからって、ちょっと図に乗ってるんじゃないの!? この私のことをお目出度い孔雀だなんて‥っ、傲慢で口のきき方を知らない冷血男っ。‥‥‥分かってるの!? これもそれも全部イルカ先生が悪いのよっ」
 イルカはもはや呆然とするしかなかった。
 朝の感謝ぶりはどこへやら、罵倒の言葉を吐くフジナが言っているのは十中八九、カカシのことだ。そして、それらは全部イルカのせいだと。
「‥フジナさん。落ち着いてください。いったい何が‥‥‥」
 何か問題が起こったらしいことは分かったが、要領がつかめない。
 必死に宥めようとするイルカだったが、
「‥‥‥‥‥‥っ」
 フジナの後ろから、ぬっと大きな人影が現れた。
 気配もなく、音もなく姿を見せたのは――――カカシ。
 背中の男に気付き、フジナはぴたっと怒るのをやめた。青ざめ、唇を噛みしめながらカカシを睨み上げる。
 そんな恨みがましい視線などお構いなしに、当のカカシはじっとイルカを見ていた。
 相変わらず、表情の読めない目。いや、いつも以上にカカシには壁があるように見えた。
 彼の顔をまともに見るのは、ほぼ一年ぶり。
 イルカはとても直視できず、すぐに俯いた。
「ちょっといいですか」
 声は、イルカにかけられていた。
 教室は、戸惑う子供たちのざわめきで騒がしい。生徒たちを宥めなくてはならないし、授業だってまだ途中だ。なにより――行きたくない。
 断りの言葉を吐こうとしたイルカだが、騒ぎを聞きつけた他の教師が顔を見せた。
 只ならぬ大人たちの緊迫感に何かを察したらしい。
「イルカ先生、私がお預かりしますから」
 善意から出てくれた言葉のようだったが、代わりに授業を引き継いでくれた教師に、イルカは断る言葉を吐けなくなった。
 仕方なく教室の外へ出ると、フジナはさっさと立ち去った。振り向きもしない拒絶の背に、カカシと取り残されるイルカは不安に飲み込まれる。結局、何があったのか聞けなかった。
「‥‥‥‥‥‥」
 静かな廊下に出たイルカは、ちらりと隣に立つカカシを見上げた。
 視線がかちりと合う。慌てて外すと、
「――――イルカ先生の家に連れて行ってください」
 カカシが口を開いた。
「‥‥‥え?」
「込み入った話です。その方があなたもいいでしょ」
 確かに、誰かに聞かれると非常にまずい。
「‥‥‥‥‥‥」
 イルカは渋々頷き、歩き出した。
 さっきの授業で午前の科目は全部終わる。黙ってアカデミーを出るが、先ほどの騒ぎで事情を察してくれるだろう。――はっきり言って、非常事態だ。
(‥どうしてフジナさんはあんなに怒っていたんだろう。カカシさんが冷血男って‥‥)
 上手くまとまるはずだった二人なのに、どうしてあれほどの修羅場が出来てしまったか、イルカにはさっぱり検討がつかなかった。
 後ろをついてくるカカシの重苦しい空気にため息をつき、イルカは死刑台に向かうような気持ちで家路を歩く。
 職員寮につくと、さすがにこの時間帯は人気がない。管理人が一階に住んでいるが、耳の遠い老人で騒ぎがあっても気付かないだろう。
「‥‥‥どうぞ」 
 ついに家の中にカカシを招いてしまったイルカは、考えもしなかった来訪者に落ち着かない。まさか、この家にカカシがいる光景なんて、どうして思いつこうか。
(‥‥落ちつけ、落ちつけ‥‥‥)
 いつもならすぐ動揺を顔に出してしまうイルカだが、パニックのあまり神経が麻痺しているようだ。―――だから、後から入ってきたカカシが扉に鍵をかけたことも気付かなかった。
「‥お茶、用意します」
 居間に座るカカシに、イルカは急いで台所に逃げた。狭い間取りなので、その背は居間のカカシから丸見えだが、少しでも距離を取りたい。
 沈黙が痛い。
 気まずい関係のまま木の葉の里から姿を消し、それから一年。久しぶりに会ったカカシに対してどんな顔をすればいいのか分からない。それでなくとも、手紙という複雑な事情を抱えているというのに。 
 湯が沸き、作ったお茶をテーブルまで運んだイルカは、カカシの向かい側に腰を下ろした。―――と、
「‥‥‥実際、オレも混乱してるんですよ」
 沈黙はカカシが先に破った。
 同時に、ばさばさっとテーブルの上に紙の束が放り出される。
「‥‥‥っ」
 それは、フジナに手渡したはずのカカシからの手紙。イルカは息を飲んだ。
「‥‥これ、見てもらえば分かると思うんですけど。オレ、文通してたんです」
 手紙をつつき、カカシは低い声で語り始める。
「最初は‥‥‥一回きりで終わらせるつもりだったんですが、期待していなかった返事が来て有頂天になりましてね。それは何度も手紙のやりとりをしました。でも、急にもう手紙は書けないという内容の文が届きまして。オレとしてはまったく納得がいかなかったので、本人に会おうと考えました」
 そこまで言い切って、カカシは間を入れた。
「‥‥‥でもねえ、イルカ先生。おかしな事に人が違うんですよ」
「‥‥‥?」
「町は間違っていません。オレは、ここに住むある人に手紙を送ったつもりですが、到着早々知らない女が「手紙をありがとう」とか言い出しまして。オレ何のことかさっぱり分からなかったんですが、この手紙を見せられてびっくりですよ」
 肩を竦めるカカシに、イルカは掌の冷や汗を膝に擦りつけた。
 ――なんだか話の方向がおかしい。
 人が違う? 
 フジナを知らないとはどういうことなのか。
「‥‥‥イルカ先生。ちゃんとオレを見てください」
「‥‥‥‥‥‥」
 カカシの要求は、見えない強制力があった。
 仕方なく、首が痛くなるほど俯けていた顔を上げると、こちらを真剣に見詰めるカカシの目とぶつかる。露な右目には、苛立ちと怒りも見えた。
 カカシの顔を直視し、息を飲んだイルカだが、
「‥‥イルカ先生。この手紙は、あなたに書いたものです。なんであの女が持っているんですか」
 次の言葉に、もっと驚愕した。
「‥‥‥‥‥え?」
 一瞬、頭の中が真っ白になる。
 ―――なに、なんて言った? 
 この手紙は、自分‥に宛てたもの?
 そんなはずはない。自分は確かに聞いた。これはフジナに宛てられたものだと。
「‥‥で、でも‥‥‥‥配達忍が、フジナさん宛てだって」
「‥‥‥は?」
 震える声でやっと反論したイルカだが、苛立ったカカシの声に遮られた。
「違いますよ。オレはあなたに渡して欲しいと配達忍に頼んだんです。宛名は書いてませんでしたが、間違いなく頼みました。いったいどうして‥あの女に書いただなんて‥‥」 
 そんなことはイルカだって聞きたい。
 あの配達忍は確かに、フジナ宛てだと言っていた。
 偶然イルカが拾わなければ、あの手紙は間違いなくフジナの手に渡っていたし、その後だって、結局手紙はフジナの元へ届いた。
「‥でも、この手紙は間違いなくフジナさんに届けられるもので‥‥‥」
「‥だから‥っ、オレはあなた以外に出した憶えはないって言ってるでしょう!」
 突然、声を荒げたカカシに、イルカはびっくりした。
 意識しない気迫が漏れ、獣と向かい合うような緊張感に身体が強張る。
「‥‥‥‥‥‥とにかく、この話はその配達忍とやらに問いただします」
 そんなイルカに気づいたのか、カカシは無理に声を押さえた。
「‥でも、それなら尚のこと理解できませんね。――この手紙が誤って、あなたではなくあの女の所へ届いていたとしても、‥‥‥オレの所に届いていた手紙は、確かにあなたの字だ。それは間違いないですよね。イルカ先生が書いてくれたんですよね」
 念を押すように尋ねてくるカカシに、
「‥‥‥そうです‥‥‥」
 イルカはまだ強張った顔で頷いた。
 自分の字をカカシが覚えていたのは驚きだが、それは本当のことだった。
 大人しく肯定するイルカに、カカシは大きなため息をついた。がりがりと頭を掻く仕草に、押さえていた怒りがまた現れる。
「じゃあ―――あの女が言ってた、代筆の件は本当なんですね。あんた、あの女の代わりにオレの手紙に返事を書いてたんですか」
「‥‥‥‥‥‥っ」
 イルカは答えられなかった。
 代筆の件に関しては朝、フジナと口裏を合わせたものだが、正しくは違う。
 イルカは、彼女の[ふり]をしてカカシに手紙を書いていたが、[代わり]として書いていたのではない。
 無茶苦茶な言い分だが―――返事は、自分が書きたくて書いたのだ。

 カカシの手紙が、欲しかったから。

 だが――今更どんな説明をしようと、フジナのふりをしていたことには変わりない。ただ驚くことは、カカシがイルカの手紙だと分かってくれたこと。大きな誤算であり、それをイルカは嬉しいとも思った。
 泡を吹きたいほど混乱しているが、それと同じくらい本当は嬉しい。
 あの手紙を受け取るべき人物は、自分だったのだ。
 だから、返事を書いたことも本当は正当なことであって、罪悪感を感じる必要はなかったのだ。
 ――――認めて、謝ろう。
 そして、自分の想いをすべて話すのだ。
 どうして返事を書くことに至ったのか、全部話せば、きっとカカシなら分かってくれる。
 イルカは乾いた唇を舐め、ゆっくり口を開いた。
「‥‥‥そうです」
 でも、それには事情が、と―――続けて言葉を吐くことはできなかった。
「‥っ」
 身を乗り出したカカシの腕が、イルカの身体を床に引き倒した。強い衝撃に目を回すと、ぐっと重い体がのしかかってる。膝で腹部を圧迫され、すぐに起き上がれない。
「‥‥カカシさん‥‥っ」
 振動でお茶の撒けたテーブルが無様に横倒しになっていた。手紙が濡れてしまう、とそんなことを考えながら、イルカはカカシの名を呼び、混乱する。
 この状態はなんだ。
 これは、これは―――まるで、
(‥‥‥あの時と、同じ‥‥‥っ)
 床に押さえつけられたイルカの脳裏に、一年前のあの夜のことが蘇る。
 カカシとの性交を拒絶したあの時と、全く同じ。異なる点があるといえば、肌を突き刺すような鬼気感。
「‥‥‥ねえ、イルカ先生」
 床に縫いつけられ、抵抗を忘れるイルカを頭上から見下ろし、カカシは言った。
「‥オレはね、見ての通り未練たらたらなんですよ。突然いなくなったりして、オレがどれだけ探したか分かってないでしょう。火影様は絶対に口を割らないし、偶然遠くからあんたを見つけた時のオレの気持ちが分かりますか。‥‥‥無茶をしなかったのは、あんたが喜ばないと思ったからです。それでも諦め切れなくて手紙を出してみれば‥‥‥見知らぬ女とオレのキューピット役? ふざけんなって話ですよ、イルカ先生」
 喋るにつれて乱暴な口ぶりになっていくカカシは、口布を外し、底冷えするような目で睨んだ。
「オレをからかって楽しいですか」
 唸るような責めの言葉。
 違う、とそう言いたかったけれど、組み伏せられた体勢に言葉が出なかった。ぶつけられる怒りが痛い。一年ぶりに会ったカカシは、まるで毛を逆立てた獣のように粗暴だ。
 初めて見るカカシの一面に、どうしたらいいのかと青ざめていると、
「‥‥もういいですよ」
 ふいに、カカシが口を開く。
「―――どちらにしろ、オレは手ぶらで里へ戻るつもりはありませんでしたから」
「‥‥‥?」
「最初からこうすれば良かった。あんたの意志なんか考えず、重たい猫なんか被らずに、あんたをオレのものにしてれば良かった」 
「‥‥‥カカシ‥さん‥‥‥っ」
 ビリッと、普段聞くことのない衣の悲鳴を聞いた。引っ張られた布に擦れて肌が痛む。
「‥‥‥っ」
 抵抗するイルカに構わず、カカシの手が上着を破り捨てた。
 ――――まさか本気なのか。
 露になる肌にカカシの冷たい掌を這わされ、イルカはパニックを起こした。
「やめてください‥!!」
「嫌です」
「‥、‥‥や‥め‥‥っ」
「やめません。イルカ先生、今度は絶対に引きませんよ」
 イルカの下衣に手を伸ばし、カカシは断固とした声音で言った。やめない。カカシは本気だった。
(駄目だ‥‥‥、こんな、の‥‥‥っ) 
 ちゃんと話し合わなくてはいけない。 
 イルカはカカシの腰元に目を落とした。
「‥‥‥っ」
 それは一瞬の隙。
 首元を強く噛むカカシの隙を狙って、イルカは彼の腰元からクナイを奪った。
 胸元に突きつけられたクナイに、カカシが動きを止める。
「‥‥‥‥‥‥」
 指先が、小刻みに震える。
 その動揺を隠すようにクナイを翳すが、
「‥‥‥それで?」
 嫌に静かな声で、カカシが言った。 
「イルカ先生、それは盾の代わりにはなりませんよ。切っ先を相手に向けて、力の限り突き刺さねばオレは殺せません」 
「‥‥‥‥‥‥っ」
 ぐい、と上体を近づけたカカシに、イルカは慌ててクナイを持つ手を下げた。だが、反応が遅れたせいで、切っ先がカカシの胸元を傷つける。
 ベストを外していたカカシの上着に切れ目が入り、そこから覗く僅かな血を見たイルカはおもわずクナイを捨てた。
 ―――馬鹿なことを。 
「‥‥‥‥‥‥もういいんですか?」 
 青ざめるイルカの耳元で、カカシが含み笑いをした。
「これからオレがすることに比べたら、それぐらい当然の権利ですよ」
「‥‥‥‥‥‥」
 覗きこむ目は写輪眼も露になっていた。
 相手の視線を見つめ返し、イルカはからからに乾いた喉を震わせる。
「‥‥‥‥‥‥すみません」
「‥‥‥なんで謝るのか分かりませんね」
 再び下衣を脱がそうとするカカシに、イルカはもう抵抗しなかった。
 カカシが何か言いたげな視線を向けたが、すぐにイルカの身体を貪り始める。
 熱に浮かされたような激しい感情に呑まれながら、イルカは必死にそれを受け止めようとした。
 今のカカシに何を言っても、それは何の真実味も持たないだろう。
 カカシにこそ、自分を責める権利がある。
 元を正せば、すべて―――すべて自分勝手な自分が原因なのだ。
「‥カカシ‥さん‥‥、‥‥‥っ‥」
 身体を探るカカシの手は強引だったが、同時に優しい愛撫を施した。
 性急に下肢を弄る手に、イルカは顔を背けた。あまりの羞恥に首元まで赤くなる。まだ破けた服がまとわりつき、カカシにいたってはベストを外しただけだ。乱れた室内に響くのは、粘着質な音。
 舐められる箇所に、イルカは気絶したいほど気が動転していた。カカシの舌と、時折入り込む指に、粘膜は少しずつ解けてきている。性に疎いイルカとて、これほどカカシが執着すれば嫌でも分かる。でもまさか、本当にそこに入れるつもりなのか。
「‥‥、ん‥‥‥っ、‥‥‥あ‥‥」 
 初めての刺激にも、イルカは必死に耐えた。
 身体の強張りを解こうと詰まる呼吸を繰り返し、カカシの指を飲み込みやすいように努力した。しかし、とても快楽とは遠い愛撫に、イルカの自身はまるで反応を見せていなかったが、
「‥‥、‥あ‥‥‥ッ!」
 ずくんっと下肢から走った甘い刺激に、イルカは口から飛び出そうになった声を慌てて塞いだ。熱心に内部を探っていた指が信じられない奥まで入り、イルカの身体を鳴かせた。
「や‥‥っ、やめ‥‥、嫌‥‥‥‥‥‥ッ」
 赤く充血し、反応を始める自身と、身体を征服する甘い快感にイルカはおもわず拒絶の言葉を吐いた。指は敏感な箇所を執拗に探り、
「聞かないって言ったでしょ」
 カカシは上擦った声で嗜め、ちゅっと震えるイルカの性器に舌を伸ばした。びくん、と大腿が震え、イルカの背が反る。顔を覗こうと上体を起こしたカカシに、手で顔を隠した。
 見られたくない。そう思ったのに、
「オレを見て」
 間近で囁かれる声に逆らえない。 
 足を抱えられ、ぐっと近づくカカシの顔に、イルカは震える手をゆっくり外した。
 動揺に涙がこぼれ、快感と動揺に頭が痛い。羞恥に赤く染まった顔は、きっと誰が見てもみっともないと思うだろう。
 だが、じっと見下ろすカカシは、イルカの顔にあちこち唇を押しつけた。
「‥イルカ先生‥‥‥」 
 ただ名を呼ばれただけなのに、その声音にこめられた熱い響きにイルカは眩暈がした。
 尻を強く押し広げられ、さんざん解かされた入り口を熱い肉棒が滑る。カカシの興奮が伝わってきたイルカは、おもわずその背に手を回す。
 カカシの衣服がもどかしい。彼の肌に触れたいと思うのはおかしいだろうか。
「あ‥‥‥ッ、‥‥‥く‥」
 ぐ、と押し入ってくる異物に、イルカは歯を食いしばった。
 痛みに冷や汗を浮かべると、カカシが貪るような口づけをする。尻を揺さぶられ、じわじわと侵入するカカシに、イルカは口腔を探る舌を噛まないよう理性にしがみついた。
 だが、その理性もすぐに溶けてしまう。
「‥‥‥は‥‥、‥あ‥‥っ、‥‥く‥ッ」 
 指よりも深く、根元まで侵入を果たしたカカシの肉棒は、すぐに強くイルカを揺さぶり始めた。
「‥、く‥‥あ‥‥‥ッ、ふ‥‥‥っ」
 成すすべもなく、ただ激しい波に呑まれ、漏れる声を堪えようとするイルカに、
「‥‥‥イルカ先生。頼むから‥息をして」
 カカシが荒い呼吸の中で囁いた。
 ぼんやりした視界でカカシを見上げると、唇が瞼に落ちた。
「‥‥イルカ先生‥‥‥」
 熱い息がくすぐったい。
 縋りつく手に力を込めると、揺さぶりは更に強くなった。
「‥‥は‥‥‥っ、あ‥‥‥ッ」
 イルカの性器にカカシの手が伸び、強く扱き上げる。限界まで来ていたそれは指の刺激に耐え切れず、イルカは悲鳴を上げた。穿つ熱はイルカのすべてを侵略し、
「‥‥や‥、あ‥‥っ、ぁあ‥‥‥っ!」
 カカシの手に白い飛沫を上げた。
「‥‥‥っ」
 同時に強く突き上げられ、粘膜の奥でカカシの熱が弾ける。
 びくびくと震える彼の熱をリアルに感じた。骨が折れそうなほど抱きしめるカカシの腕が痛い。繋がったところから全身が溶けていくような、そんな感覚を憶えた。
 熱のような体験に、頭がぼんやりと霞む。
「‥‥‥は‥‥‥、‥‥‥」
 過度な緊張がピークを越え、イルカはいつの間にか意識を手放していた。



  ***
 


 気を失っていたのは数分だと思っていたが、目が覚めると外は暗くなっていた。
 それほど長く意識を手放していたのかと、イルカは慌てて起き上がったが、
「‥‥‥っ」
 下肢の痛みに寝台に逆戻りした。
 そういえば、いつの間にかベットにいる。
 今度は慎重に上体を起こし、
「‥‥‥‥‥‥」
 イルカは部屋の壁によりかかるカカシを見た。
 ずっと自分を見ていたのだろうか。
 薄暗い闇に隠され、カカシの顔はよく見えない。その上額当てと口布まで身につけられては。
「――立てますか」
 ふいに、カカシが口を開いた。
「もうすぐ夜明けです。すぐ出発するんで、荷造りしてください」
「‥‥‥え?」
 ひやり、と心に氷を押し付けられた。
「視察団には特別に同行させてもらったんです。先に帰ることはもう報告しました」
「‥‥‥あ、‥‥‥あの‥‥‥」
「言ったでしょ。オレは手ぶらで帰る気はないって」
「カカシさん、俺の話を‥‥‥」
「荷物がないなら、そのままで結構です」
「‥‥‥」
 イルカの言葉はきっぱりと遮断された。
 聞く耳をもたないカカシの強固な壁に、イルカは何も言えなくなる。
 反抗してはならない。再び見えない鬼気を纏う相手に、和解を望むイルカは大人しくベットから下りた。風呂に入りたかったが、カカシの視線が行動を急かす。彼はすでに荷を担いでいた。
(‥‥‥今は言うとおりにしよう)
 カカシの気持ちが落ち着いたところを見計らって話をしようと、イルカは衣服を纏った。
 荷造り、と言われたが、本気で里へ帰るつもりはない。
 適当な手荷物を用意すると、それを背負った。下肢が痛むが、歩けないほどではない。走るのは辛いが。
「じゃ、行きましょうか」
 今度はカカシが先導し、イルカを外へ連れ出した。
 春は間近とはいえ、まだ風は冷たい。空には大きな月が出ていた。
 イルカは静かに、満点の星と月が照らす道を歩いた。
 前を進むカカシは何も言わない。
 二人は黙ったまま町の入り口を抜け、街道に出た。
 さくさくと土を踏む音だけが闇に響く。
 ‥彼とこうして歩く自分に違和感は隠しきれない。不思議な気持ちだ。こうして町を出ても、残るのは混乱だけだというのに、カカシとふたりきりの空気はとても心地良かった。
「ねえ、イルカ先生」
 声は突然にかけられた。
 イルカが顔を上げると、カカシは歩きながら話し始める。 
「‥‥‥一回きりだと諦めていた手紙に返事が来て‥‥‥オレがどれだけ嬉しかったか分かりますか?」
「‥‥‥‥‥‥」
 落ち着いた口調だった。
 再びその話題に戻ったカカシに、イルカは動揺する心を押さえる。
 今こそ入り組んだ事情を話そうとしたが、
「どうか黙って聞いてください」
 カカシが遮った。
 ぴたりと足を止め、つられてイルカも停止する。振り返ることはない。広い猫背が、それを拒絶した。
「‥‥あんたの話をね、聞きたくないわけじゃないんです。でも、誤りにしろなんにしろ、あの手紙にいたのは紛れもなくあんたでした。オレはずっとイルカ先生と話していたと思っています。もうね、それでいいと思ってるんです」
「‥‥‥カカシさん‥‥‥っ」
「あんたの手紙は返しませんよ。もうあれだけですから」
「‥‥‥?」
「久しぶりに見たあんた、ずいぶん寝てない顔してました」
「‥カカシさん?」
「分かってます。ずいぶん悩んだんでしょ。‥‥‥オレは来るべきじゃなかった。またイルカ先生を困らせてますね」
「‥‥‥カカシさん、待ってください。俺の話を‥‥‥っ」
「オレの気持ちに応えてくれるんですか」
「‥‥‥っ」
 開きかけた口を、イルカは噤んでしまった。
「――オレはあんたが好きです。あんたはそれを受け入れてくれるんですか」
 直情的な問い。生半可な気持ちで答えてはいけない禁域がそこにあった。
 答えられない。
 イルカは、まだ自分の気持ちを整理していなかった。
 一度はカカシを拒絶して里から逃げたが、カカシからの手紙が欲しかった。それは紛れもない本心。戸惑いながらも、カカシの身体まで受け止めたなのに、まだ答えが出ない。
 いや、出ているのに認めないのか。
「‥‥‥‥‥‥」
 口をぱくぱくし、言葉と格闘するイルカに、
「―――‥あんたの言葉は」
 背を向けたままのカカシが、ぽつりとこぼした。
「どんな鋭い刃よりも、オレの胸を突き刺します。今まで耐えてきたオレの辛抱も分かってください」
「‥‥、‥っ」
「ふんぎりをつけます。――もう、あんたの声は聞かない」
「‥‥カカシ‥‥さん‥‥‥っ」
「‥‥‥あんたが、好きでした」
「―――」
 さく、と土を踏み、再び歩き始めたカカシに、イルカの足は動かなかった。
 追うことを許さない拒絶が、カカシの背から滲み出ている。
 追わなければ。
 引き止めて、ちゃんと話すべきだ。彼と和解したいのなら。
 そこまで分かっているのに、

 ―――それでもイルカの足は動かなかった。





 

 カカシの気配は完全に無くなった。
 去っていった方角を見詰め、立ち尽くすイルカは結局一歩も動けなかった。
 冷静に考えれば、行ける筈がない。
 受け持った生徒たちを途中で放り出すことなんて出来ないし、自分だって、すぐ戻るつもりで手荷物も軽い。カカシだって、本気で連れて行くつもりはなかったのだろう。
 彼はもう帰ってしまった。
 きっと、二度と来ることはない。
 仕方がないのだと息を吐くと、ぽつりと足元に水が落ちた。
(‥‥なんで泣くんだ‥‥‥っ)
 女々しい自分に憤り、イルカは何度も目を擦った。
 視線が、カカシの去った方角から離せない。
 ―――――もしかしたら戻ってくるんじゃないかと。
 寒さに感覚を奪われ、微動だにせず立ち尽くしていたイルカは、自分の考えを嘲笑った。
 なんて勝手な。
 そうだ。最後の最後まで、自分は本当に自分勝手な人間だった。
 どうして、
 何もかも捨てて追いかけられないのか。
(‥‥カカシさん‥‥‥)
 瞼を閉じ、イルカは胸を占める大きな消失感に止まらない涙を落とした。



 手紙の中にいた彼は、とても近い存在だった。
 他愛無い話を自分のことのように感じ、初めて見るカカシの一面に一喜一憂していたが――勘違いしてはならない。
 自分の知っているカカシも、手紙の中のカカシも同じ人間。
 ただ気づこうとしなかっただけだ。

(‥‥‥俺は‥‥‥どうすれば‥‥‥)

 自分の気持ちが分からない。
 ただ、この胸の消失感が訴えるものは―――紛れもない愛情。
 涙が熱い。
 胸が苦しくて息ができない。
 この感情が、これほど辛いものだったなんて。

(‥‥‥カカシさん‥‥)

 冷たい息を吐き、
 イルカはずっとその場に立ち尽くした。


 去っていったカカシの影を、見出すかのように。










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