□溶けるように
第4話
理解できない男がいる。
上に属する特権を利用して人間を一人弄ぶ、左目に写輪眼をもつ男。
出会った時は、単純に好感をもった。
寒い中、一緒に修行につきあってくれる彼に、躊躇いなく心を開いたが、
返ってきたのは――言葉の刃。
差し出した手を払われ、切りつけられるような仕打ちに頭の中は真っ白になり、その後も、意図の見えない命令で呼び出される度に、心は切られた。
忘れようと努力しても、頭の中は彼に占領されている。
いなくなった後も、残された印によって、夢の中に現れる。
あの男は、なんなのだ。
自分にとって。
―――――どうして、こんなことになったのだろう。
出会った時は確かに、
通い合う何かがあったのに。
「‥‥‥馬鹿か、俺は」
行き過ぎた思考の暴走に、イルカは閉じていた瞼を開けた。
そして、滑稽な自分を笑う。
もう、
やり直すことなどできないと言うのに。
六花の里に訪れた晩、イルカは用意された夕食には一切手をつけず、室内にこもっていた。人口の少ない六花のこと、陽が落ちると瞬く間に静寂に包まれた。
イルカは窓際に座り、澄んだ夜空を見上げていた。
用意された客室は保温効果によって適度な温度が保たれていたが、外はきっと真冬並だろう。高い山頂。この寒さなら、雪もすぐに降り出す。
「‥‥‥‥‥‥」
逡巡は長かった。
自然、隣室にいるカカシの気配を探るが、彼もまた動かない。
―――待っているのか。
イルカは唇を噛み、次いで、長いため息をこぼした。
(‥‥‥行こう)
ゆっくり立ち上がる。
もう十分に考えた。そして、完全に答えは出ないと諦める。
おそらく―――今から踏み越えようとしている一線は大きく、確実に、何かが変わると予感できた。それが自分にとっていいことなのか分からないが、答えは出るだろう。
それだけで十分だ。
イルカは覚悟を決めた。
「―――‥‥‥」
緩慢な動作で部屋を出て、隣室の襖の前に立つ。
来客専用の家は、使用人以外誰もいない。少ない人間の気配に、隠さないカカシの気配は鮮明に伝わってくる。
室内のカカシが、訪問者の気配に立ち上がった。
ゆっくりと歩み寄り、襖に手をかけて――開ける。
「‥‥‥」
姿を見せた部屋の主に、イルカは黙って頭を下げた。
カカシは寛いだ様子は見せていなかった。いつでも動けるように、イルカ同様ベストも額宛も装着している。けして外さない覆面の下は無表情に近く、カカシは黙って体をずらし、部屋への道を作った。促されたイルカは部屋に足を踏み入れ、男の領域に侵入する。
部屋の中央まで歩き、振り返った。
「‥‥‥湯浴みをお借りしてもいいですか」
間抜けな言葉だ。
そう思いながらも、イルカは了承を乞うた。
自室にも湯浴みはあるが、武器を肌から手放すことを躊躇した。敵地でないにしろ、油断は許されない場所だ。だが、同室にもう一人忍がいるなら、僅かな時間ぐらい湯気に身体を包み込んでも問題ないだろう。
が、
「―――いえ、そのままで」
返事を待たずに湯浴みへ行こうとしたイルカを、カカシが手を上げて制した。
イルカは思わず沈黙する。
‥‥自分はいたって健康な身で、病気など持っていないが、この場合、男女の場合でも互いに清潔であることが必須条件ではないだろうか。
「‥‥駄目ですか」
食い下がってみたが、
「何度も言わせないでください」
冷淡に却下された。同時に、ぐいっと強く腕を引っ張られる。
身体がぶつかり、間近からカカシの右目を覗き込むことになった。
感情のない瞳。いや、奥で燻るように何かが揺れている。
それが何か確かめる前に、覆面を下げたカカシが顔を近づけてきた。
初めて見るカカシの素顔に、感想を抱くより先に、反射的に体が動いた。背ける顔。
――口づけは嫌だ。
なんてセンチな感情か。
自分でも笑いたくなるほど情けなかったが、カカシの唇を受けるのは嫌だった。
夜伽の相手なら、身体だけあればいいだろう。性欲処理に、どうして恋人のような口づけが必要か。
目的を果たせなかったカカシの唇は、代わりにイルカのこめかみに落とされた。相手の息を感じ、イルカは総毛立つ。腕が、痛い。
「‥意識的に焦らしているのだとすれば、アンタは天性の男娼ですよ」
耳朶を噛み、カカシは嘲りをこめて囁いた。
怒りが湧き上がる。だが、拘束するカカシの手がぎりぎりと腕を締め付ける。顔を滑る相手の唇から逃げようと、背を反っているので体制も悪い。元より、逃げられるものならとっくに‥‥っ。
「お高く澄まして、アンタ何様?」
「‥‥‥!」
強く、床に押し倒された。突然だったために、受身も取れない。
優しく扱われたいわけではないが、一方的な暴力行為に理性を止めておける自信はない。
思わず相手を睨み上げたイルカに、額宛を外し、写輪眼を露にしたカカシは唇を曲げた。
「なに? 優しくして欲しいですか」
皮肉と嘲笑。
イルカは顔を背け、唇を噛み締めた。
「‥できれば、そうしてあげたいんですがね。アンタ、昼間オレに貸しがあるでしょう」
「――――」
昼間、衝動的に手を上げたイルカの行為のことを言っているのだ。
「オレはやられたことは倍にして返します。今までそうして生きてきましたから」
カカシの手が、殊更ゆっくりとイルカの頬を撫でた。
殴りたいなら、殴ればいい。イルカは何も恐れなかったが、カカシの手はイルカの額宛を外しただけに留まった。
「‥‥‥しませんよ。暴力好きじゃないんで。表面だけ傷つけたって面白くないでしょ」
なんて勝手な言い草。
イルカは強い眼差しをぶつけたが、堪えないカカシは薄く笑った。
「‥‥れば‥‥‥いいでしょ」
イルカの口からぼそりと、力のない声が出る。もう話をするのも億劫だ。
「は?」
聞き返すカカシ。イルカは繰り返し言った。
「命令すればいいでしょ」
「‥‥‥」
今度はカカシが沈黙を選んだ。
真上から見下ろす色違いの双眸。眼差しに、何の感情も浮かんでいない。
ただ、一言。
「―――あ、そ」
それからの時間を、二度と思い返したくはない。
貪るように唇を奪われた。舌を噛まれる恐れを抱いていないのか、イルカの口腔に入り込んだカカシの舌は奥深くまで潜ろうとする。ぞろりと舌が合わさり、外へ引き出されるように絡められた。声だけは出すまい、と誓っていたのに、
「‥‥‥ッ、‥‥‥ん‥‥‥っ」
縮こまっていた舌に軽く歯を立てられ、喉から音が漏れた。
カカシはわざと音を立てた。粘着質な音が耳に響き、イルカが羞恥に顔を赤くすると、それを薄目で確認する。首の後ろに手を回し、イルカの呼吸すら奪うほど、カカシの口づけは長く続いた。
互いに混ざり合う唾液と、敏感な舌に、イルカは否応なしに他人と接触していることを実感させられる。身体を抱きしめる腕が、服の下に潜り、肌を探る。
―――本当に。
本当に、この男と混ざり合おうとしているのだ。
そう思った途端、イルカの心に恐怖が生まれた。
答えが出ると、そう思って体を投げ出したのに、何故だろう。それを知ることが、酷く恐ろしくなった。
いいのか。本当に、これで。
「‥カカシ‥‥‥さん‥‥っ」
やめて欲しいと、懇願すれば止めてくれるだろうか。
欠片の希望を抱いて、イルカは首筋に顔を埋めるカカシを押しのけようとした。すでにベストはない。胸元に潜り込んだカカシの冷たい指が、わき腹を探りながら上衣を脱がせようとする。
もがくように抵抗を始めたイルカに、カカシは腕力で答えた。
強い拘束が手足を押さえ、
「‥‥しー、‥‥‥」
まるで子供をあやす様に、カカシの唇がイルカの額に落ちる。
やわらかい感触。
優しい口づけは、顔中に降り注いだ。宥めるように、安心させるように。なのに、男の手は淫らに身体を探る。優しく、狡猾な手管に翻弄され、イルカはいつしか抵抗できなくなった。
カカシは服を脱がない。イルカの身体を露にすることだけに集中していた。
濃厚な愛撫。首筋がぴり、と痛む。飽きずに舐めるカカシは、あちこちに跡を残したがり、イルカに声を上げることを強要した。
「‥‥‥、‥‥‥っ」
胸の先端を強く噛まれ、びくりと身体が震えた。声を堪えようとするイルカに気づき、下肢に入り込んだ手がいきなり性器を掴む。
「‥あ‥‥っ」
思わず声を上げたイルカは、そのまま硬直した。
何をするのか理解していたつもりだが、冷たいカカシの掌の感触に腰が引けた。当然快楽など感じる余裕などない。
まったく反応を示さないイルカに、
「‥一回、先にいきますか」
いきなり、カカシが下肢に顔を下げた。次いで、性器をぬめる感触が包む。
全身に、ぞくりと何かが走った。びり、と痺れる指先に、イルカは自分の下肢に顔を埋める銀髪に目を見開く。
この男は、なにを。
「‥‥ひ‥‥‥、う‥‥ぁ‥‥‥ッ」
ぞろりと熱い舌で先端を舐められ、腰が震えた。身体に走るのは、今度こそ間違えようのない快感。
上忍が、”頭”が、使い捨ての忍に何をするのか。それではまるで、逆。
「‥‥やめ‥‥‥っ、あ‥‥‥っ」
悲鳴のような声が出た。恐れ多いなんて言わない。ただやめてほしい。熱い舌が、下肢から自分を飲み込んでいく。食われてしまう。
言い知れぬ恐怖が、無防備なイルカを襲った。強く先端を吸われ、掌で扱かれる度に押さえられない声が出た。右手は拘束され、左手は必死に銀髪を押しのけようとするが、力が入らない。
「‥かーわいい声‥‥‥」
上体を上げ、顔を近づけたカカシが囁いた。
「いく顔も見せて」
「‥‥‥あ‥‥‥っ、‥‥‥や‥‥!」
間近から覗き込まれ、急いで唇を噛み締めたが、性急に扱かれた性器が白い飛沫を上げた。全身に走る溶岩のような熱に、びくびくと爪先まで張り詰め、溺れる人のように喘ぐ。
ぽたぽたと自身の腹に落ちる熱い液に、イルカは虚ろな眼に涙を滲ませた。
身体の力が抜ける。
子供のように好き勝手に翻弄され、残っていたなけなしのプライドも消え去った。
カカシが、眦に唇を押し付けてくる。僅かな涙を舌で掬い取る、慰めている、と錯覚するような優しい仕草。
イルカを翻弄する手は、すでに動き出している。
カカシの掌は、右腿を殊更擦っていた。そこには、彼がつけた刺青がある。
触れられた瞬間、イルカの脳裏にあの激痛が蘇り反射的に怯えたが、舌で舐められても痛みは走らなかった。かわりに、うねりのような熱が上がってくる。
イルカは、股間の自身が反応を示していることにぎゅっと瞼を閉じた。一度いかされたことで、身体が快楽を覚えた。カカシの愛撫を。
自分の身体はもはや無いも同然だった。
カカシの手の中で、自由に悶える―――男娼そのもの。
涙など流したくないのに、閉じた瞼からまた雫が滲む。気づいたカカシが舐め取ろうとしたが、顔を背けて逃げた。
「‥‥‥‥‥‥‥」
手を止めたカカシがわずかに沈黙し、イルカを見下ろす。
それは、意外に長い時間だったかも知れない。
沈黙が恐くなったイルカが、うっすら目を開けようとすると、
「‥‥‥正直ね」
カカシが静かにつぶやいた。
「―――オレもアンタのあつかいに困ってるんですよ」
「‥‥‥‥‥‥っ」
それは、どういう意味なのか。
口を開きかけたイルカだったが、身体を強引にうつ伏せにさせられた。
顔が見えない。起き上がろうとしたら、両腕を後ろで掴まれた。
カカシは質問をさせないつもりらしい。
指が、イルカの腹に散った液を手に取り、尻の丸みに沿って下げる。
「‥‥‥や、‥‥っ」
濡れた指が、窄まった粘膜の入り口を探った。身をよじるイルカを押さえつけ、カカシの指はだましだまし、少しずつ指を入れてくる。
内側に入り込もうとする指に、イルカはパニックになりかけた。
男同士のやり方は知っている。が、詳しいわけではなかった。この場所を使うとは聞いていたが、これほど生々しく、屈辱を強いられるものだとは思わなかった。
「‥‥‥ん‥‥っ、‥‥‥く‥‥‥ッ」
声を堪えようとすればするほど、逆に艶かしい声が漏れた。
「‥‥オレも余裕ないんで、暴れると怪我させますよ」
抵抗しないでくださいねと、囁きながら、背中をのけぞらせたイルカの耳殻を、カカシがやわらかく噛む。濡れた舌でザラリと内側を嘗め回されると、身体の震えと同時に、男の指を飲み込んだ粘膜が窄まるのが分かる。
両手は自由にされたが、カカシの脅しに抵抗できなかった。
粘膜の中を弄る指は、無理に奥へと入ることはしなかったが、小刻みに引き出しては、着実に指を増やし、異物の圧迫感に眩暈がした。
「‥‥‥っ」
深い位置まで指を飲み込む尻に、固い肉が当たる。
その存在にびくっと震えるイルカの髪を、カカシは宥めるように梳いた。同時に、ぬれた指が尻の肉を割り広げ、ひくつく粘膜へ性器があてがわれる。
息を吐いて、と言われたかも知れない。
だが、イルカにはそんな声など届かない。ゆっくりと侵入するカカシの肉棒が粘膜を押し広げ、声も出ないほどの激痛に襲われる。
「‥‥ぅ‥、‥‥あ‥‥ぁ‥!」
解放して欲しい。
痛みに根を上げてのけ反るイルカに、
「――駄目」
カカシはゆっくり身体を揺すり始めた。体内で、生々しく脈打つ男の肉が、ずるずると直腸の中をずり上がる。
呼吸を求めて必死に喘ぐが、それでも一番太い先端が蕩けた直腸を擦るたびに、ぞくぞくと鳥肌の立つ痺れが全身へと響いた。
「ん、‥‥この辺?」
背中で囁く冷静な声が憎い。抉る角度を微妙に変えたカカシの攻めに、イルカはびくん、と震えた。性器を掌で包まれ、尿の入り口をゆっくりとくすぐられると、みるみる痛いほど張り詰める。
はしたないと、羞恥を感じる余裕もない。ただ、強く波のように揺さぶられ、意識すらも欠け落ちていく。
「ひ‥‥‥っ‥、‥‥ぁ‥ッ」
小刻みに出入りを繰り返すカカシの肉が、時々律動をはぐらかし、直腸の奥まで抉る。奥にある敏感な箇所を擦られ、わけもなく涙がこぼれた。
言葉もなく、わずかに息を乱すカカシの肌の熱さに、胸を突かれるような切なさを憶えた。
うつ伏せの体勢が辛い。
向き合って、その首に腕を回したいと思うのは――馬鹿か?
「‥ん‥‥‥、あ‥‥‥ぁ‥‥ッ!」
ぎゅ、と性器を扱かれた瞬間、イルカは吐精した。同時に直腸一杯に挿入されたカカシの肉が、奥深くで弾ける。ぎり、と痛いほど抱きしめられ、びくびくと震える性器が粘膜に響いた。
抱かれた。
とうとう、身体まで、自尊心までこの男に奪われてしまった。
朦朧とした意識の中、イルカはからっぽになった自身にそっと息を吐いた。
情事が終わっても、カカシはイルカを放さなかった。
下肢の気持ち悪さに、すぐに湯浴みに入りたかったが、身体も自由に動かない。
ベストのみ外したカカシも、服が汗ばんでいたが、イルカを横抱きにしてそのまま寝入ってしまった。
なんとかシーツだけは纏うことができたが、イルカはなるべく自分の状況を直視しないよう努力した。
背中の安らかな寝息に、よくこんな状態で眠れるものだと感心する。
いや、完全に寝入ってはいないか。
「‥‥‥‥‥‥」
眠っているか。
眠っていないか。
イルカはしばらくの思考の後、思い切って口を開いた。
「‥カカシさん」
まだ躊躇う。でも、
「俺は‥‥‥あなたにとって、何ですか」
沈黙。
聞こえるのは安らかな寝息で、
答えは返ってこない。
聞こえなかったのか。
それとも、
眠ったふりを続けたのか。
―――どっちでもいい。
イルカは長いため息をついた。
馬鹿な質問をした。
仮にカカシが答えたとしても、それはイルカにとって辛い結末にしかならない。
(‥‥分かってしまった)
カカシの口づけを受け、混ざり合うことで、イルカは気づいてしまった。
(―――俺は、この人が好きだ)
それは、嘘のつけない、まぎれもない本心。
どこをどう間違ったら、こんな鬼畜な人間に恋心が抱けるのか。
自分でも、己の神経を疑いたくなる。
でも、
(‥‥殺してやりたいほど憎い)
それもまた、本心。
紙一重とはよく言ったものだ。
カカシに抱く気持ちは、まさにそれだった。
(‥‥好きだ。――そして、憎い‥‥)
心の内で確かめるように繰り返し、
イルカは胸の中で疼く熱と切なさに、また、涙を流した。
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