□ 溶けるように



第7話









 最初の数年は時を数えていたが、途中から馬鹿馬鹿しくなった。 
 [猛る焔]としての遠征は、予想以上に長期間となった。
 数多くの戦争や暗躍に携わり、任務に徹するカカシは、いつのまにか[猛る焔]の中でも一番の古株となっていた。
 木の葉の里を出発してから、十年。
 帰れないかもしれないと、何度思ったか分からないが、
 帰還の時はやってきた。
 本来ならまだ継続されるはずだった遠征だが、先の戦に巻き込まれた際、隊の人員が大幅に失われた。現メンバーだけの行動は難しく、一時里へ帰還し、人員補給することを余儀なくされた。
 里での休息期間は最大一年間。
 その間、体力的に問題のある者など、新人との入れ替えが予定されている。
 カカシは現在26歳。いずれは出発するであろう第二の[猛る焔]に、また加わるかどうかは分からないが――、
(‥‥帰ってきた)
 十年の時を経て、懐かしい里の匂いを嗅いだカカシは他の思いにとらわれていた。
 彼は、どうしているだろうか。
 ―――若気の至りで、散々振り回し、傷つけたあの人は。
 十年という期間は、けして平凡とは言えない生死をかけた刹那の時だった。
 普通の人間なら気が触れる。だが、カカシにとって闇に同化している間は、海の底のような静寂と同じだった。
 感情の起伏を抑え、自分を冷静に見詰めることは戦場で生き延びていく為に必要なことだ。しかし、皮肉にも死と向き合う状態の中でやっと、カカシは己の異常さを認識した。
 あの少年を、自分のエゴで束縛する権利など自分にはなかった。
 命令、服従、そんなものだけが忍の世界ではない。
 血と裏切りの中にも、人間としての欠片がある。それが、チームワークを支え、人との繋がりを作る。
 己の異常性を理解すると同時に、カカシはあの少年に刻み付けた傷に深い罪悪感を憶えた。 
 償いは苦手だ。
 だが、彼に謝りたい。
 木の葉の里に戻ったカカシは、記憶に残るイルカの顔を思い浮かべた。
 はにかむような少年の笑顔。
 カカシの脳裏には、もう笑顔のイルカしか残っていない。都合のいい話だ。罪悪感を感じる共に、思い出したくない泣き顔や嫌悪する顔は自然と消去された。
 勝手な言い分だと理解している。だが、誰に理解できようか。
 浴びるほど血に塗れ、手酷い裏切りに陥れられ、どれだけ死の淵を彷徨おうと、
 記憶の中の少年が笑顔を浮かべてくれれば、自分はいつでも帰ってこれた。
 謝りたい。
 償えるものなら償いたい。
 そして、
 今度は”頭”と”足”なんてふざけた関係じゃなく、人間らしい関係を、あの人と築きたい。
 ただ、穏やかに話したいんだ。


 ―――そう考えることも、エゴだろうか?
 




  ***





 里に帰還した当日、静かな出迎えの宴が設けられた。
 用意された席はささやかなものだったが、暗躍に身を染め、けして綺麗な仕事をしてきたわけではない忍たちをあたたかく迎える木の葉の里に、カカシを含め、他メンバーも感じ入るものはあったらしい。
 宴の前の謁見の席には、下忍を外した忍のほとんどが参加していた。今だ[猛る焔]の忍装束に袖を通すカカシたちは席の中でも一際目立ち、好奇や羨望の視線を遠慮なしに向けられる。
 カカシは、周囲に気づかれない程度に四方に視線を走らせた。
 火影のねぎらいの言葉もろくに耳に入っておらず、終わったことにすら気づかなかった。
 一時退席し、このまま宴の席へと移動するために立ち上がり、視界に広がる人の群れの中から―――カカシは目的の主を見出した。
 高く結い上げた黒髪。鼻筋を真横に走る傷。
 なにより、彼の身体から微量に感じ取れる己のチャクラ。それはまぎれもなく、十年前の出発の夜、彼に残した印のもの。
 名前や容貌よりも確かな、彼の存在の証。
(――オレのだ)
 彼の身体に染みこんだ己に、カカシは言い知れぬ興奮を感じた。
 数年ぶりに高揚する感情が、鳥肌すら立てる。
 彼の足を探り、この目で印を見たい。
 押さえられない欲求が理性を殺し、おもわず足の向きを変えそうになったが、
 居心地悪そうに俯いていたイルカの顔が上向き―――互いの視線が、一瞬だけ合った。
 ほんの一瞬。
 すぐに人の波に阻まれて、閉ざされたが、
(‥‥‥なにやってんだ)
 カカシは強く拳を握り締めた。爪が肌に食い込むほど強く。
 ―――なにが、オレのだ。
 無意識に浮上した独占欲に、カカシは冷や汗すら滲ませた。
 イルカと目が合ったことで我に返ったが、今ほど、自分の異常性を肌で感じたことはない。
 彼と人間らしい関係を築こうと決意し、償いをするために戻ってきたというのに。
(‥怯えた目をしていた)
 異常なエゴを押さえたのは、イルカの眼差し。
 成長して、立派な成人男性になっても、幼い頃の面影が強く残っている。むしろ、カカシの中では何も変わっていないように思えた。
 だってあの眼差しは、昔のまま。
 ――澄んだ、結晶の欠片のよう。
 それなのに、浮かぶ色は根強く染みこんだ恐怖。
(焦るな)
 あえてイルカの方に視線を向けることなく、カカシは退席した。
 焦ってはならないと、自分に言い聞かせる。
 あの四年間の修復が、一日でどうにかできるものではないことぐらい自分でも分かる。
(‥‥焦るな)
 理性を総動員させ、カカシは己に忍耐を強いた。




    
 ***





 木の葉の里に戻ってから、二週間が経過した。
 平和な里の空気に[猛る焔]のメンバーはそれぞれ戸惑いながらも順応し、それぞれの仕事についている。多くは、予想通り[暗部]に属したが、カカシは火影の推薦もあり、下忍の教育者として当たることになった。
 もっとも、数十組の試験を行ったにも関わらず、肝心の合格者が出ていないので、担当の子供がいないカカシは一般の任務に体を動かしていた。
 平和な里だと、カカシは心から思う。
 忍の里である以上いつ戦火が生まれるか分からないが、カカシは隊の中で最も順応していたといえる。
 遠征中も手放さなかった十八禁の書物を暇つぶしに持ち歩き、朝の慰霊碑訪問と寝坊によって必ず集合時間には遅刻するカカシに、[猛る焔]のメンバーである彼への扱いに戸惑っていた周囲も気を許しはじめた。
 とくに気に入られようと思ったわけではないが、上忍とは思えない気の抜け方に好感をもたれたらしい。
 ―――もっとも実際は、
(‥‥‥そろそろ、いいかね)
 いつイルカと接触を取るか、常にぼんやり考えていただけのカカシだったが、
 二週間経過して、ようやく重い腰を上げた。
 彼ならこの時間、受付にいるはずだ。






「ね、ちょっとご一緒していい?」
 受付所に入ろうとした上忍に声をかけた。当然知らない忍だが、自分には受付所へ行く用事もなければ報告書も持ち合わせていない。適当な連れが必要だった。
「あ‥‥、はい、もちろん‥‥‥っ」
 カカシの顔を知っていた上忍は、どうして自分が声をかけられるか分からず戸惑っていたが、嬉しそうに承諾した。
 それから色々と話し掛けられたが、とくに耳には入っていない。
 受付所に入ったカカシの視線は、まっすぐにイルカへと向けられていた。
 俯き、熱心に書類を見ているようだけど、
(気づいてる)
 自分が入ってきたことに、イルカは全身で反応していた。
 気づかないふりをしているのだ。
「あそこの人に報告書出してくれない?」
 即席の連れに、カカシは指示を出した。目線で、イルカの隣にいる中忍を示す。
 なにか意図があることに気づいたらしい上忍は、とくに詮索もせず、言われた通りに受け付け所へと歩み寄った。
 カカシは自然を装ってその隣につき、イルカの前に立つ。
 ―――手を伸ばせば、すぐ届くほど近くに。
(‥‥さて、どうしようか)
 ここまで接近しておきながら、カカシは言葉に詰まった。
 考えてみれば、
 あの四年の間、この人と普通の会話をしたことなど一度もなかった。
 じわりと、掌に汗が滲むのが分かる。
 緊張しているのか。
「‥一日中、報告書の受付なんて大変でしょ」
 最初の一言は、口を開けば意外にすんなり出てきた。
 俯いたイルカへ向けての言葉だったが、
「そうなんですよ、任務内容に不満をこぼす方とかいますからー、対応も大変で」
 隣の中忍が愛想よく受け答えする。
 イルカは、顔を上げない。
 掌の汗が、さらに滲む。
「‥頑張ってくださいね、アンタたちは里の顔なんだから」
 今度は、隣の中忍も含めて話し掛けた。
 隣の中忍は嬉しそうに「またまた、上手いこと言いますねー」と笑い、俯いたままだったイルカもようやく顔を上げた。
 カカシは、まっすぐにその目を見下ろす。
「‥‥‥ありがとうございます」
 イルカは、少々どもり気味に礼を口にした。
 呆気ない十年ぶりの会話。
 内容的には味気ない会話だったが、初めて交わした普通のやりとり。
 イルカとの間に正しい人間関係を築こうとするカカシにとって、まずまずので出しだと満足した。





(‥‥‥唐突すぎるかな)
 報告書の確認も終わり、連れの上忍と共に受付所を後にしたカカシはこの後の予定を思案する。
 次の接触までまた日を置こうかと思ったが、これを機に夕食にも誘ってみようかと考えていた。
 もうすぐアカデミーも閉校し、職員も帰宅する。
 アカデミーを一望できる大樹の枝に腰を下ろしたカカシはぼんやり考え込んでいた。
 受付所のイルカは、まだ自分に恐れを抱いていたようだが、あくまで普通に接する自分の意図に気づいただろう。
 こうやって、少しずつ互いの間にある壁を無くしていければいい。
(‥‥恐がらせないようにしないと)
 カカシは子供の頃のイルカを思い出す。
 久しぶりに脳裏に浮かんだのは泣き顔。
 ―――あの人は、すぐ泣くから。
 沈む夕日を眺め、空が藍色から闇に変わるまで、カカシは待っていた。
 空気が寒い。
 自分の息が白くなるのを見て、もうすぐ雪が降るかなとぼんやり思考を巡らせると、
「‥‥‥‥‥‥」
 お目当ての人物がアカデミーの校門へ歩いていくのが見えた。
 揺れる尻尾のような黒髪を確認し、身を起こしたカカシは地面に下りようとしたが――、
(‥‥‥?)
 帰宅するイルカの後ろから、一人の女が走りよっていく。
 同僚らしい女に呼び止められたイルカは、彼女と何か会話を始めた。傍目から見て、とてもよそよそしい態度だったが、
「――――」
 イルカが考え込む様子で口を開くと、突然女が泣き出し、イルカの身体に抱きついた。
 慰めるようにその肩を叩くイルカ。
 カカシは、無表情にその様子を眺めた。
 感情が浮かばない。
 むしろ、ひやりと神経が凍りつく。
 照れくさそうに笑うイルカに、胸の中に黒い靄が吹きだした。
 ――――なにを笑っているんだ?
 ――――アンタ、いったい誰のもんだと思ってるわけ?
 産毛が逆立ち、殺意さえ全身から滲み出る。いますぐ、あの二人の傍に降り立ち、二人の息を止めてやりたい。
(‥‥‥やめろ‥‥‥っ)
 額宛の下で疼く写輪眼を押さえ、目を閉じたカカシは樹に背を預けた。
 身体を支配しようとする殺意を必死に押しとどめる。
 おかしなことだ。どんな戦場でも制御できた感情が、イルカという人間が絡むだけで暴れ馬のようになる。
 強い決意も鈍り、本心が顔を覗かせる。
「‥‥‥‥‥‥」
 心を乱されるとは、こういうことを言うのか。
 胸が二つに裂かれたように、違う感情が反発しあう。理性と――欲望。
 いつの間にか、指先が冷えるほど体が強張っていた。
 強い心の葛藤に冷や汗が滲み、カカシは閉じていた瞼を開ける。
 どれくらい時が経ったか、
 校門にあった二人の姿はとっくに消えている。
 頭上の月を見上げ、カカシは長く思考にふけった。
 そこへ―――、
「カカシ」
 音もなく、一人の忍が現れた。
「探したぞ。話がある」
 男は[猛る焔]のメンバーだった上忍だ。現在は暗部に属し、今も動物の面をつけている。
「‥‥‥ん〜?」
 寝惚けるような顔で、月を見上げていたカカシは男を見た。
「任務が入った。手伝って欲しい」
「‥‥なんの任務?」
「六花の里に文を届ける。同時に、クーデターの一掃」
「‥ふーん」
「先の行動は一小隊で行う。俺とお前と、もう一人暗部をつけるが、一人荷運びが欲しい。中忍がいいんだが‥‥‥お前、確か”足”がいただろう」
「‥‥おまえに言ったっけ?」
「里に戻ってから聞いた。暗部の中じゃ有名な話だそうじゃないか。‥‥足手まといにならない程度の荷運びがいるんだ。カカシ、その”足”を連れてこれないか」
「‥‥‥‥‥‥なんか、裏ありそうな話だね」
「俺たちなら大した任務レベルじゃない。おまえの”足”ならそこそこ使えるだろう」
「‥‥‥‥‥‥」
 男の問いに答えず、カカシは再び月を見上げた。
 逡巡は、意外に短かった。
「‥‥そーだね」
 口から出たのは―――了承の言葉。
「いいよ。連れてく」
「助かる、手間が省けた。出発は5日後だ。詳細はあとでな」
 立ち去る男にひらひらと手を振り、カカシは白い息を吐いた。
 荷運び。
 文字通りの任務内容だけだと信じるには、今の男に対する信頼感が足りない。が、
 任務に連れて行けば、しばらく共に行動できる。
 もし何かあった場合も、自分がいればすぐにカバーできるだろう。
 これは、いい機会だ。
(‥‥‥あの人と話したい)
 枝から離れたカカシは町へ向かった。
 今の心理状態で接触するのはまずい。
 そう理性は忠告するけれど、
 カカシは自分の行動を止めることはできなかった。
 






 月が照らす夜道で彼を見た。
 女と笑顔で別れる姿に、また胸の黒い靄が大きくなる。
 危惧していた通り、口からは優しい言葉は一言も出なかった。
 怯える目が気に入らなくて、わざと”足”であることを思い出させると、予想以上にショックを受けていた。当たり前だろう。彼にとっても、忘れたい出来事なのだ。
 血の気を失う顔が哀れで、確かな罪悪感を感じたが、同時にイルカを征服している立場に気分が高揚した。
 一方的に任務を告げて、彼の意見は一切聞かない。
 承知いたしました、と掠れた声を出すイルカに、カカシは満足した。
 従順な相手に麻薬のような快感を覚えたが、理性が頭を冷やす。
 ――闇の中で、これ以上イルカと向き合っているのはまずい。
 カカシは手短に挨拶をして踵を返し、闇の中へと逃れた。
 しっとりと暗闇が身体を包むと安心する。
 そんな自分に、カカシは自嘲の笑みを浮かべた。
(‥‥‥どうしてかね)
 ただ相手を気遣うだけの行為が、どうして自分には出来ないのか。
 気を緩めるとすぐ、彼を征服したがる本性が現れる。違う。解放したいんだ。彼と、もっと穏やかな関係を築きたいんだ。
 だが、口から出るのは彼を傷つける言葉ばかり。 
 強制的に任務に連れ出すことは、彼に”足”という立場を再認識させることになる。
 あの黒い双眸に、さらに深い絶望を植え付けることになるかもしれない。



 足掻けば足掻くほど、深みにはまっていく。
 だがもう、
 カカシにはどうやってイルカとの関係を修復すればいいのか分からなかった。










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