□ 隣の人 6
「あんた、オレに何か隠してますね」
低い問いに、言葉が詰まる。
嘘をつくのは上手じゃない。頭の中が真っ白になってその場に硬直してしまった。
そして、
偶然は時折、誰かが仕組んだものではないかと思う時がある。
今が、まさにその瞬間――。
「イルカ! おいおい、お前もまだ無事だったか!」
背中にかけられた悩みのない快活な声に、イルカはやばいとすぐに思った。
おそるおそる振り返ると、手を振りながら近づいてくる友人。
記憶を失って最初に出会った――カカシのさんざんな情報を教えてくれた友達だ。
あの後、任務に旅立って‥どうも今帰ってきたようだが、タイミングは最悪だ。
「いやぁ、今回の任務はきつかったぜ! でもさあ、お前のことが気になって急いで戻ってきたんだ。俺の助言をちゃんと聞いたか? はたけ上忍にびしっと出て行ってくれって言ったか?」
「あ‥‥や‥‥」
当人を前にしてなんてことを!
イルカは真っ青になってカカシを見たが――いない。
ええっ? と周囲を見渡したが、カカシは忽然と消えていた。いや、理由もなく消えるはずはない。どうしてなのかと考えるが――、
「そういえば記憶はどうなった?」
そんな間もなく、友人はトップシークレットをけろりと口にした。
「‥‥‥っ」
「はたけ上忍の記憶は戻ったか? なあ、その後の話聞かせろよ、俺本当に心配して‥‥‥」
友人の声が急にしりすぼまりになった。
両目が恐ろしげに開かれ、イルカの後ろを凝視している。――向かなくても分かる。
「込み入った話ですねぇ」
ぽん、と肩に手を置かれ、忽然と姿を現したカカシが言った。
「なんかオレに関係あるみたいだし、詳しく聞かせてもらえます?」
友人を見るカカシの目は冷たかった。
「あ‥あの‥」
狼狽する友人は言葉に詰まったようだが、ぐっと拳を作り――なんと踏ん張った。
「イルカに酷いことしないで下さい!」
「‥酷いこと? なにそれ、あんたに関係あんの?」
「カカシさん‥っ」
気色ばむカカシに、イルカはあわてた。
カカシの腕を押さえて、友人に去るように促す。
「俺が、話しますから‥」
カカシが視線をこちらに向けた。
探るような目が痛いが、これは後回しにしていた自分のツケだ。
「話します‥‥俺は‥」
急に喉がからからになる。
イルカは友人が立ち去るのを確かめて、ついに真実を話した。
「‥‥オレのこと‥‥憶えてない‥?」
*
その後はさんざんだった。
まず、一番最初に倒れていた場所に案内され、
病院にも連れて行かれた。
あの日、診察してくれた担当医からカカシはしつこいほど内容を訊きだし、
他の病院にも連れて行かれた。
そして、里の中でも有数の医師――とくに術に長けた医師からついに。
「なにか術がかけられていますね」
と真相に迫った結果を出した。
イルカは心の中で、やっぱりと納得したが、カカシはさらに動揺したようだ。
「誰が! ‥いや、それより術は解けないんですか‥っ」
医師はさらに診察を続け――やがて、渋い顔でうなり始めた。ちらり、とイルカの顔色を見て、
「‥術はそれほど難しくなく、むしろ単純なものです。問題はそこでして‥‥忍であれば、通常より深層心理の壁は大きく、よほど高度な術でなければこれほど綺麗に一人の人間のことを忘れることはできません。つまり、こんな簡単な術で深層心理まで入り込み、完璧に一人の人間を消し去るなんて芸当は――いっそ本人にしかできないことでして‥」
「‥‥‥っ」
言葉を失うカカシの隣で、椅子に腰掛けたイルカはそっとため息をついた。
医師の気遣わしげな目に落ち着かない。問題は記憶喪失ではなく、自らの記憶を消そうとしたイルカの精神状態にあると判断したのだろう。
「解除の方法もあるはずです。しかし、それは本人にしか分からない。簡単な術でも、これだけ深く入り込んでいては――外部からでは手も足も出ません。」
治療の術はないと、医師ははっきり宣告した。
カカシは動かない。
イルカは立ち上がり「ありがとうございました」と医師に頭を下げた。
このままここにいても仕方がない。
カカシを促そうと腕を取ると、あっさり従った。まるで人形のように、大人しくついてくる。
病院を出ると、もう夜だった。
すでに診察時間は過ぎていたし、夕飯の時間も終わっている。
「‥どこかで、食べて帰りますか?」
そっと話しかけると、ぴくっとカカシの肩が震えた。
カカシは、まだ一度も目を合わしてくれない。
重い沈黙は長く続き、
「忘れるほど――‥‥オレを疎ましく思っていたんですね」
カカシは感情のない声で言った。
「‥‥‥」
それは、今の自分には判断できない。
違うと言いたかったけれど、悲しいほどに軽い言葉だと思った。
何も言えずに黙っていると、カカシが続けて言った。
「忘れて、人生やり直そうとしてたのに、あんたってばまたオレにいいようにされちゃって。意味ないですね。貧乏くじばっかりひいて‥」
無言でいるイルカに、カカシは言葉を切った。
「いや、すみません。オレのせいですね。何もかも。――あんたの生活、オレがめちゃめちゃにしました」
「‥カカシさん‥」
「黙って。抱き殺したくなる」
「‥‥‥っ」
腕を引っ張られ、強く抱きしめられた。
背中に回った手が、容赦なく身体を引き寄せる。
「怖い? 気持ち悪い? ‥いっそオレの腕の中で死になさいよ。そうしようか?」
耳元で囁かれ、淡々と告げる冷たい声にイルカは緊張した。
本気かも知れない。
イルカの心の内で、理由のない恐怖が膨れ上がる。これは、記憶を失う前のカカシに対する恐れなのか。
首の後ろに触れるカカシの手に、イルカは目を瞑った。
怖い。けれど――何故だろうか。
脅しの言葉を平気で吐くカカシが、
時々やせ我慢しているような子供に見えるのは。
イルカはゆっくり、カカシの背中に手を回した。
そっと抱きしめ返すと――弾くように、カカシが身体を離した。
見つめる目は驚いたように見開かれ、そして、どこか傷ついた目をしていた。
どうしてそんな目をするのか分からない。
イルカの方がびっくりすると、カカシはくるりと背を向けた。
まさか立ち去るつもりか。
イルカは手を伸ばしかけたが、引き止める言葉が見つからなかった。
どうしていいのか分からず立ち尽くすイルカに、
カカシが何かつぶやく。
小さくて普通の人には聞こえないが、イルカの耳には確かに届いた。
――ごめんよ、あんたが好きで。
「‥‥‥‥!」
それは、耳から入り、脳に届いた。
理解して、心に。
じんわりと胸に広がって、唐突に全身が熱くなる。
これは何なのか。
視界が揺らぐ。
立ち去りかけたカカシが、慌てた顔をして手を伸ばす。
そのカカシの顔が斜めになり、いや、イルカが斜めになり、倒れた。
地面にぶつかる前にカカシの腕が支えてくれたが、その感触も遠くなる。
代わりに、
色んな記憶が戻ってきた。
あふれる記憶の洪水。
その中で、一つだけはっきりと分かったのは、
カカシの「好き」という言葉が、術の解除のキーワードだったということ。
なんだよそれ。
イルカは記憶を失う前の自分に呆れ、満足した。
目的は果たした。
思った通り、予定通り。
やっと――カカシに自分を好きだと言わせた。
(‥大丈夫ですから、そんな顔しないで)
重くなる瞼が、カカシの顔を隠す。
泣きそうな顔に、イルカは笑い出しそうだった。
(目が覚めたら――たくさん話しましょう。俺たちはこれから‥)
カカシの指を掴んで、
イルカの意識は無くなった。
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2004.12.12