□ 宵の人 前編









 悪い薬を飲ませされて、手篭めにされかけていた女性がいた。
 同僚の悪巧みだ。
 どの世界にも性格の合わない人間はいる。その同僚はまさにその部類で、あまり話したことがない。
 軽いイメージを裏切ることなく、ふわふわと無責任な振る舞いは日頃から頭を悩ませていたが、年に一度の忍びの大宴会で、女中に手を出すとは呆れた。
 今度こそ堪忍袋の緒が切れそうになったが、火影もいるし上忍や特別上忍もいる席だ。
 大事にしてはならないと、女中に勧めていた薬入りの酒を、イルカは代わりに飲み干した。
 ごくごくと景気よく飲み干してしまうと、あっけに取られる同僚と、チャンスとばかりにそそくさと逃げ出す女中の背中。
「返杯をやろうぜ」
 いかにも何も知らないふりをして笑いかけると、同僚は明らかに不満な顔をした。
 険悪になりそうだが、半分それでもいいかと思っていた。が、タイミングよく他の仲間たちが混ざってきた。
 返杯の回し飲みというなんだか分からない、無茶には違いないゲームが始まり、女を逃した同僚は仕方なく酒を口に運んだ。そのスピードなら、数分も立たずに酔いつぶれるだろう。イルカはこっそり、アルコール度の高い酒をその同僚にだけ飲ませていた。
 イルカにも当然杯が回ってくるが、酒には強い方だ。簡単には酔わないつもりだったが、少しくらくらしてきた。
(あ、やばい。さっき薬入りの酒飲んだ)
 間抜けにもすっかり忘れていたイルカは、火照ってきた身体に少しあせった。
「ちょっとトイレな」
 立ち上がったイルカを、あの同僚が蔑みの目で見る。――野郎が便所で処理してくる気だ、とでも思っているのか。
 からかいたい気持ちもあるのだろうが、そうすると薬を混ぜたことがばれる。同僚は酔いの回った目でイルカを眺めるだけだった。
 ぶん殴ってやりたい。
 会場に火影や上忍たちがいなければ。
 明日になってからでもいい。薬のことだけは注意しなければ。
 ふらふらと少し危ない足取りで、イルカは廊下に出た。障子を閉めると、途端に外界に出た気分になる。賑やかな声は伝わってくるが、夜空に見下ろされた廊下は静寂を保っていた。
(‥う、ちょっ‥‥と‥‥やばいかも)
 のんびり月を見上げていると、急に動悸が早くなってきた。
 早くトイレに、と歩き出すと眩暈がする。倒れそうになって障子に掴まると、動けなくなった。指先に力が入らない。これは本格的にまずい。
(‥‥‥そもそも、飲む必要なんかあったかな)
 原点に戻るとちょっと泣きそうになる。
 手が当たったふりしてこぼしてもよかったのだが――飲んだのは衝動的な行動だった。
 いくら仲良くないとはいえ、同じ忍びが、薬を使って女性をどうにかしようとしていることに、ひどくショックを受けたのだ。
(そんなこと、‥いちいち気にしててもしかたないのに)
 荒い息をつきながら、イルカはもやもやした思考を振り切った。
 頭を振って、後悔する。もう絶対立ち上がれない。それに、みっともなく張り詰めた下半身の熱が――。
 廊下はまずい。誰が通るか分からない。
 トイレが間に合わないなら、せめて人のいない所へ。
 イルカは各部屋の気配を探った。
 ほとんど木の葉の忍びの貸切状態になっている。部屋もそれぞれ割り当てられているだろうが、今はほとんど宴会場にいるはずだ。夜はこれから。まだまだ戻ってくるはずはない。
(‥ちょっとだけ、拝借‥‥)
 隠れ蓑にさせてもらおうと、手近の部屋にそっと忍び込んだ。
 人の気配はない。
 暗闇に我が身が隠れ、ほっと安心する。目が慣れないが、すでに布団が敷かれていた。
(早く‥‥)
 それでも、誰が戻ってくるかわからない。
 イルカは羞恥を堪え、下衣に手を差し込んだ。
「ん‥‥っ」
 滾った熱に触れると、ぶるりと震えが走った。触っただけでいけそうだったが、限界までは達しない。すぐに片付くと思っていたのに、長時間継続するタイプの薬かもしれない。
(‥くそ‥っ、胸糞悪い薬使いやがって‥‥‥)
 早く終わらせたい。
 イルカは擦り始めようと力の入らない指で握り――、
「なにアンタ、欲求不満?」
 不機嫌な声が、血の気を引かせた。
 ――人がいた。
 一瞬熱すら忘れるほど硬直したイルカは、おそるおそる布団のある方向に目をやった。
 人はいないと思っていたのに、むくりと起き上がったのは明らかに先客。この部屋の主に違いない。
 銀髪だけが目に入るが、顔は判別しにくい。半分黒いのは覆面をしているためか。
 とにかく――人がいたのだ!
「仮眠も取らせてもらえないなんて、散々な夜だな。で、アンタなんなの。変態?」
「ち‥違いますっ。誰も‥いないと思って‥っ」
「あいにくオレがいますよ。つーか、そんなのトイレでしなよ。どこでやってんの」
「‥これ‥‥は‥っ」
 言い訳できない。
 イルカは慌てて服を戻したが、手早くとはいかなかった。張り詰めたそれは静まることがなく、情けなさに顔から火が出るほどだった。
 とにかく外へ出るのだ。
 イルカはもたもたともがき、それを眺めていたらしい男がふいに、
「――薬の匂いがする」
 ぐっと顔が近くに寄る。男は片目を額宛で隠していた。青い目で凝視され、
「女用の蔓延タイプだ。男にはきつい。アンタ変な趣味あるね、狂い死にするかもよ?」
「‥‥そ‥っ」
 新たに知った事実にぎょっとした。匂いだけで種類までわかってしまうこの男も謎だが――狂い死に!?
 その間も、どんどん呼吸は苦しくなってくる。
 とうとうイルカは動けなくなり、その場にうずくまってしまった。
 弁明したい。だが舌が痺れて声が出なかった。どうすることもできないイルカに、
「これでどう」
 男は指を目の前で立てて見せた。
「ゼロの桁は五つ。タダで男相手にするほど酔狂じゃないし、金が絡めばお互い気休めになんない?」
「‥‥、‥‥」 
「もう声出ないか。やばいね、早く処置しないとそのまま逝くかもよ。――OKなら、瞬きして」
 この男は何を言っているのだろう。
 イルカはぼんやり考えた。指を見せられて‥‥金? ‥処置と言っていた。つまり、助けてくれるのか。
 OKなら瞬き。
「――了解。お代は終わった後に頂戴します」
 










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