□ 宵の人 後編
用がある下半身だけ剥き出しにされた。
下から濡れた音が響く。自分ではない他人の手が触っているこの現実。
「ん? ‥もうイった?」
早いね、と男はつぶやき、愛撫を続けた。
抵抗などしようがない。見ず知らずの男に、イルカはすべてを預けていた。
肺がいくらでも酸素を求める。じわじわと忍び寄る快感は全身を回っていた。
異常な状況下は知らなかった興奮を呼び、擦るだけの単調な愛撫にも息がつまるほど。
何度か達すれば薬も醒める。
ようやくその程度のことを考える余裕が出始めた頃、男の愛撫が変わった。
大腿を擦り上げて尻を揉み、首筋に噛みついてくる。吸われて震えると、胸元に入り込んだ手が、強烈な感覚を与えた。
「胸なん‥て‥‥っ」
「なに?」
つぶやいた唇にキスをされた。
イルカが抵抗しないと分かると、口づけはさらに浅ましく。生き物に違いない舌は、しつこいほど口腔を荒らした。
息苦しさを訴えても離さない。それどころか、いつの間にか上半身も剥かれていた。
(おかしい‥‥どうして急に‥‥‥)
真剣に、と言うのは変かも知れないが、身体を徘徊する手は当初よりも明らかに熱を持っていた。
この男はまずいんじゃないだろか。
ひやりとした不安が、今ごろイルカの胸に覆い被さる。
「‥‥っ」
男の手がやけに大腿のきわどい部分を擦ると思っていたら、いつの間にかありえない場所に指が入り込んでいた。
濡れた下半身は快楽に麻痺し、痛みはほとんど無いけれど――、
「そこまで‥するなんて‥っ」
まさかと疑いながらも、イルカは必死に牽制した。男の不満の声が上がる。
「なんで?」
「なんで‥‥って」
「これも治療の一環」
さらりと言って続けようとした男に、イルカは精一杯手を突っぱった。
いくらなんでもそこまでは許容できない。男に掘られるなんて!
「も‥いいです。ここまでで‥っ」
「え、本当に? や、ちょっと待って。ここまで面倒みたんだから最後まで‥」
「いりません‥っ」
「あ〜‥分かった。じゃあこうしよう。さっきのお金の話、オレの方が逆に払うから――やらせて?」
「‥‥っ」
「というか、エロいアンタが悪い」
身体に侵入された。
ここまで、他人を意識したことはない。
「‥‥や‥‥‥」
誰よりも深く交わってきたのは、見知らぬ男だった。顔も分からなければ名前も。
浴びるようなキスに、痣を残すほどの拘束。男の腕はイルカをいい様に扱い、いつか混ざり溶けてしまう錯覚すら抱いた。ここにいるのは――もはや二匹の獣。
恐くなった。初めて見る世界に。
狂ったように揺さぶる男の首にすがりつき、イルカは知らず父と母の名を呼んだ。
見下ろす男がなんともいえない顔をする。多分困った顔で笑い、
「うそ‥イかされちゃった。アンタ、なに呟くのよ」
――あんたのおねえ言葉の方が問題だ。
イルカは中指を立てたかったが、意識はそこで途切れた。
人のうめき声で目が覚めた。
目覚めて、自分のみっともない姿に気づき青ざめる。
(昨日‥‥薬‥‥‥‥覆面の男!)
腰の鈍痛にかまっていられなかった。まっぱだかの身体に、放置された服を急いで着込む。
外は朝だ。一晩知らぬ部屋で明かしてしまった。
(‥‥男はいない。――つーか、なんのうめき声だ)
思考を邪魔する声は外から響く。イルカは障子を開けた。
「――‥‥!!!」
一瞬、自分の見たものを疑った。
なんだこれは。なんで同僚が簀巻きになって吊るされてるんだ。しかもまっぱで。
周囲にはわいわいと人が集まっていた。
うふふ、と笑いながら脇を駆けていく女中たちの中に、昨夜手篭めにされかけた女性が。
そう、吊るされているのは薬を持ち込んだろくでなしの同僚だった。
(‥‥俺が制裁を与えるつもりだったのに‥‥)
宿の人間がなんとか下ろそうとしているが、縄の結び目が異常に複雑で解けないらしい。
それはそうだ。傍目からも分かる。忍の結びだ。一般人には解けない。そして、肝心の忍者たちはというと、まだ部屋の中で睡眠中らしい。
昨夜はさぞかし楽しかったことだろう。
(こっちは‥‥‥さんざんだったけどな)
イルカは無言で石を拾い、吊るされた同僚に投げた。かつんといい音がする。
涙目で睨む逆さの同僚に、ふんっとそっぽをむいた。いい気味だ。当分そうしているといい。
元はといえばあいつが薬なんて汚い真似をするから‥‥、
「うわあ、アンタってけっこう黒いね」
「‥‥ひゃあ‥‥!!」
忘れもしない声。
急いで振り返ると、覆面の男が「やあ」と手を上げていた。
「やあやあ、どうも〜。あれでしょ? アンタに悪い薬飲ませたの。先輩としてちゃんと教育しときましたから。あ、申し遅れました。オレ、はたけカカシといいます。‥‥ってどこ行くの〜?」
「近づくな!!」
「まあまあ、怒んないで。――はい、これ」
ぽん、と手渡されたのは、数枚の紙幣。
「‥‥なんですか、これ‥‥‥」
「お金。払うって言ったでしょ」
「‥‥ば‥‥‥」
ばかにして――!
イルカは躊躇わず、紙幣をカカシに投げつけた。
「お金なんかいらない! 俺をなんだと思ってんだ!」
「‥‥あれあれ、昨日はアンタも楽しんだと思ったんだけどね」
「楽しんでなん‥‥か‥‥」
「はい嘘ー。まあ、なんだと思ってんだと聞かれたら、恋しちゃったと言うしかないですね」
「‥‥‥は‥‥‥?」
「お金つき返してくれてよかった〜。多分そうするだろうと思ってたけど、金銭関係なんて不毛だもんね。自分でい言い出しといてなんだけど、アンタとはそういうの嫌なんだ。ハニー」
「‥‥‥‥‥‥はぁ‥!?」
「オレの腕の中で、心細くなって親を呼ぶアンタは壮絶に可愛かった‥。なんかイケナイことしてる気分になりましたよ‥‥って、駄目駄目。お金はいらないんでショ?」
急いで拾おうとしたイルカよりも先に、紙幣はあっという間にカカシの手に戻った。
「まあ、こんな始まり方ですけど――気長にやりましょう。イルカさん」
「気安く呼ぶな! なんで知ってんだ!!」
「これからもっと知りますよ〜。あ、ちょっと‥‥」
「ついてくんな!!」
イルカは猛然と走った。
悪夢を振り払うように、全速力で。
ああ、昨夜のことが本当に夢ならいいのに‥‥‥!!
そして、
帰宅して一時間後。はたけカカシ我が家に現る。
一ヶ月にかけてはたけカカシの私物が徐々に増え、いつの間にか当人まで居座るようになった。
闇で見つけた宵の人は、今や現実に。
ごろごろ人んちで寛ぐ男に膝枕をねだられ、無言で許してしまうあたり、自分も相当おかしい。
――自分から入ったのだから、しかたないか。
最近はそんな風に考えて、諦めてこの男を受け入れる気になった。
口惜しいことに、心はとても平穏だった。
END
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