□ 夜に逢いましょう。




第5話




 カカシが風呂場にいる間に、イルカは起き上がった。
 幸か不幸か、未来のカカシとの経験から多少なりと忍耐力がついたようだ。だるいが動けないほどではない。
(とにかく服‥)
 裸でいることが不安で仕方がなかった。
 脱ぎ捨てられた服に手を伸ばし、もそもそと着込む。すると、カサリと紙の音がした。
「‥?」
 ズボンのポケットに手を入れると紙切れが出てくる。こんなものを入れた覚えはないが。
 取り出して見たイルカは、
「―――‥‥っ」
 声もなく仰天した。忘れるものか、この字。――カカシの字。

”ごめんなさい。でもオレは、イルカ先生を手放せないから”

 書いてあるのはそれだけ。しかし、それだけで十分だった。
(‥あの男‥‥っ)
 イルカはやっと暗躍の存在を察した。
 未来のカカシは、すべて予測した上で、あんな卑猥なだまし討ちをしたのだ。
 すなわち、過去のカカシに手を出させるきっかけを。
(‥‥やりかたがあざとい‥っ)
 たかがカカシ――されどカカシ。
 未来からの伝言を握り締めたまま、イルカは憤慨に震えていたが、
「――失礼」
 ふと声がして、ひょいっと紙を奪われた。
 あっと振り返ったときには、カカシにしっかりメモを読まれていた。いつの間に出てきていたのか。イルカは慌てて取り返そうとするが、
「‥‥オレの字?」
 メモを凝視していたカカシが眉を顰めた。
「なにこれ」
「あ、あの‥‥違います、それは‥」
「オレの字だけど、オレ書いてないし。‥‥‥ずいぶん意味深な内容ですねぇ」
 オレはイルカ先生を手放せないから――とわざわざ音読するカカシに、イルカは青ざめた。上手く言い逃れしたいが、内容が内容だけに下手な弁解ができない。
「ねえ、これはイルカ先生に手ェつけた奴が書いたものですよね。――誰?」
「‥‥う‥‥」
 やはりそこにきたか。
 いっそ逃げ出そうかと思うが、まだ服を着ていなかった。シーツだけしか纏うものがなく心細い。とくにこの男の前では。
 イルカは沈黙に徹した。けれど、ベットに押し付けられてぎょっとする。
 見下ろす感情のない目が怖い。
「泣くまでイッてみます?」
「‥‥‥‥‥っ」
 冗談に聞こえない声音にイルカは飛び起きようとしたが、しっかり腕を押さえ込まれた。
(なんで、この人はこんなに‥)
 ――暴虐なんだ‥!
 現代のカカシは親切で(ただの猫被りだったが)それでも未来のカカシよりは好意を持ってた。そう確かに――自分はちょっと心を動かされかけていたが、結局はたけカカシははたけカカシなのだ‥!
 思った途端、悔しさに涙が滲み出た。
「あ」
 カカシが目を見開く。イルカは恨みがましく覆い被さる男を見上げ、

「‥‥‥あなたです」

 ぼそりと低い声で告白した。
「え?」
「だから、あなただって言ってるじゃないですか! それを書いたのも、俺に不貞をはたらいたのもあなたです。はたけカカシです!!」
 これまでの鬱憤が弾けるぐらいの暴露ぶりだった。
 憤りに肩で息するイルカに、カカシはぽかんと口を開けていた。
 その間にも思考は冷静に回っていたのか、イルカが予想していたような驚愕はなかった。
 ただゆっくりと、はぁと相槌をうつ。
「‥でも、あんたを抱いたのは、正真正銘今夜が初めてですが」
「ここにいるカカシ先生じゃなくて、未来のあなたのことです」
「え? どういうこと?」
「だから‥‥、未来のあなたが俺を巻物で口寄せしたんです」
「‥‥イルカ先生を‥‥未来に? 未来のオレが口寄せした?」
「そうです」
 肯定しながら、我ながらおかしな話だとイルカは思う。
 実際に体験しなければ信じられないが、ふざけた天才に振り回されてこっちはいい迷惑だ。
「‥どうやって? どれくらい呼び出されました?」
 それからカカシは、事細かに口寄せの形式を聞いてきた。
 中忍試験の失敗作の巻物が原因だと知ると、さっさと服を着用し始め、
「行きますよ」
 イルカに服を着るように促す。
「‥え‥何処に‥」
「決まってるでしょ。その巻物を探し出すんですよ、倉庫で見つけたって言ってましたね」
 急かされ、挙句着るのを手伝われそうになってイルカは慌てた。
 そうか。思いつかなかった。 
 諸悪の根源から巻物を奪わずとも、彼から見て過去にいる自分の方が最初から有利だったのだ。現代にある問題の巻物は、今は誰の手にも触れられず倉庫に眠っている‥っ。
 カカシはイルカを連れて倉庫へ走り、明け方近くまで巻物を探し回った。
 理由も分からず起こされた管理者も手伝わせ、
「あった‥‥っ、これですっ」
 イルカはようやく巻物を発見した。
 失敗した巻物。忘れるものか。カカシから何度取り上げようと試みたか。
 イルカが感動すら抱いていると、カカシがぱっと手に取って、
「‥‥‥‥っ」
 ――燃やしてしまった。
 イルカは思わず声を上げた。
 処分。そう、処分するつもりではいたけれど、そんなにあっさり燃やして‥灰にして‥。
 その巻物はこれから数年眠り続け、カカシに偶然発見されるはずだった。
 確かに迷惑だった。
 未来のカカシは、自分より更に年を重ねているだけに性悪で掴み所がなく、それは今のカカシも同じだが‥‥、
(‥あと一回、残ってたのに‥)
 イルカはぼんやりそんなことを考えた。
 もう会えない。そう思うと、胸が少しだけ痛む。寂しいとは違うと思うが、そうかも知れない。
(‥‥ちゃんと、お別れ言わなかった‥)
 イルカは複雑な顔で飛んでいく灰を見ていた。――と、手をぎゅっと握られる。
 見上げると、カカシの顔が近付いてキスされた。管理人が立ち去った後でよかった。思いのほか強く入り込む舌に足がよろめく。
 粘ついた唇が離れると、カカシの目がまっすぐのぞきこんだ。
「――未来のオレなんかくそくらえですよ」
 二度と会わせるもんかと嘯き、両腕で強く抱きしめられた。
 まるで子供の嫉妬だと、イルカはおかしくなる。そっと背中に手を回すと、イルカの心も静かになった。落ち着く。――これでよかったのだ。
 今夜の不届きな件に関しては後ほどゆっくり話し合うが、
(‥きっとどんな未来にしろ、俺はこの人に巻き込まれる運命なんだ)
 こんなに”愛しい”と全身で訴えられて、ほだされない人間がいるならお目にかかりたい。
 すっかりほだされてしまったイルカは、長いため息をついて諦めた。



  ***



 巻物を燃やして一ヶ月。
 イルカはあの夜以来、未来へ口寄せされることはなくなった。
 最初の内は、カカシが警戒していた。任務の時は忍犬まで置いていく念の入れようだ。しかし、もう呼び出されることはないだろうと納得すると、今度はぱったり来なくなった。
 外で会うことはある。
 食事をしたり、話をしたり、一見仲は良さそうに見えるが、
(‥あっさり帰るんだ)
 家の前まで来たくせに、カカシはそれじゃあと手を上げて立ち去った。

 ――二人はまだ、恋人同士ではなかった。
 
 初めて現代の方のカカシと身体を繋いで、その件に関してははっきり怒った。が、カカシはそのことについては謝らないと不遜な態度を見せた。いっそあっぱれだが、未来の自分がしたことに対しては、苛立ちを抱えているようだった。
 互いの微妙な関係に、イルカすらじれったさを感じるが、だからといって離れていく様子もない。触らず、離れず。
(‥いいかげん、はっきりさせなきゃ)
 カカシに対する自分の気持ちを、はっきりと形にするべき頃だ。
 あれもカカシ先生でこれもカカシ先生で、と奇天烈な関係から始まったが、現実問題として、やはり今のカカシの方を――ふと気づくと思い出してしまう。
 その夜も、イルカはカカシが訪れるのを待っていた。
 居間を見て、ばっちり整えられた夕食をチェックして頷く。よし、抜かりはない。風呂なんかも沸かしてみた。泊まっていくことはないが、晴れの日を理由にして布団も干してある。
(べ、べつに、そういうつもりじゃないからな)
 思わずいいわけをして、イルカはぺたと正座した。
 時計を見上げて、そろそろだなぁと一人でどきどきしていると――、
「‥‥え‥‥?」
 ふわりと体を包む浮遊感。――まさか。
 ぐらりと眩暈に襲われ、イルカは前後不覚になった。
 冷や汗を滲ませて倒れると、がしっと誰かに支えられる。
「‥‥‥っ」
 ぶるっと頭を振り、イルカはその腕の主を見上げた。
「‥カ‥‥っ」
「――どうも〜、イルカ先生」
 カカシだ。
 それも、ただのカカシではない。ただの、と表現するのはおかしいが、このカカシはカカシであっても、未来の‥‥っ。
「‥え? こ、これは‥どういうことですか‥っ?」
 きょろきょろと見回すと、そこはもう自室ではなかった。
 未来だ。またも口寄せされたようだが――いったいどうやって。
「不思議でしょう。でもねぇ、なんたってオレ天才ですから」
 怪訝なイルカの表情に、カカシが自慢げににんまりと笑った。
「あのメモ、やっぱりオレが見つけた? 目敏いからねぇ。多分こうなるんじゃないかと思って、先に手を打ってたんです」
「巻物は‥燃やしたはずです‥っ」
「うん。まあオレならそうするだろうと思って」
 ほら、と真新しい巻物を見せられた。
 そこに記された内容は、以前見たものとまったく同じものだっだ。
「これ‥‥っ」
「移したんですよ。うまいもんでしょ」
「〜〜〜〜〜!」
 そんなことができるのか。――できてしまうのかっ!?
 目の前の男は、どうやら本当に天才らしい。というより、目茶目茶だ。
「でも、残念ながらあんまり時間がないんですよ」
「‥‥それを聞いて、少し安心しました」
 イルカはがっくりと脱力した。この男にだけは敵わないと、心底思う。
「それでねぇ、なんともうすぐ、イルカ先生が帰ってくるんですよ〜」
「‥え‥っ」
「イルカ先生、オレのことをちゃんと思い出してくれたんです。イルカ先生のおかげですよ。オレと恋愛成就してくれてありがとうございます〜」
「‥‥‥‥‥‥」
 ぽかんと口を開けて、イルカはしばらく考え込んだ。
 いきなり呼び出されて、まだ頭が働かない。なに? もうすぐ未来の自分が戻ってくる? カカシ先生のことを思い出した? ――恋愛成就?
 それはもしや‥‥あの時のことでは‥、
 ぴこーんと思い当たった、忘れたい汚点。寝ている間にされた卑猥かつ卑劣な行為を、イルカはようやく思い出した。
「あ‥あんたぁ!!」
 勢いよく立ち上がり、イルカは顔を真っ赤にして激怒した。
「寝ている人間に、あんな真似して‥っ、いったい何考えてるんですか! このエロ上忍! くされ上忍!!」
「わ、すみません‥っ」
 イルカの怒号に、カカシはのけぞる。
「い、いやぁ‥やりすぎかなぁとは思ったけど、朝、オレが訊ねてくるって聞いたもんですから、利用しない手はないし。本当はちょっと痕をつけるだけのつもりだったんだけど、あんまり無防備に寝てるからついむらむらと。でも効果あったでしょ。オレもそのお陰でイルカ先生に思い出せてもらって‥‥あいたっ」
 容赦のない拳骨がカカシの頭へ落とされた。
「にやにやしない!」
 説明の途中から、何かを思い出すように頬を緩めるカカシに、イルカは仁王立ちになる。 
「終わりよければすべて良しじゃ、誤魔化されませんよ! だいたいあなたって人は‥っ」
「あ!」
 始まりかけた説教を、カカシの突拍子のない声が止めた。
「帰ってきた‥っ」
 耳をすませて、嬉しそうに呟く。
 足音がかすかに聞こえる。この家に向かってきているようだ。――この足音が未来の自分とは、まったく実感がもてない。
 そわそわとするカカシに、イルカはため息をついた。いつも隙のない男が、ぶんぶんと見えない尻尾を振る様子に怒りが萎んでいく。むしろ、
(意地悪してやりたい)
 さんざん迷惑をかけられたのだ。それぐらいしたって、罰は当たらないだろう。
 思い立ったイルカは相手の襟首を引っ張り、がっぷりとカカシの首筋に噛みついた。――しかも、よく見える場所に。
「‥わ‥っ、イルカ先生‥‥」
 驚くカカシの肌に歯を立てて、しっかり吸いついた。唇を外すと、見事に残った赤い跡。イルカは、ふふんと笑った。 
「せいぜい俺にいいわけしてください」
 できたての真新しいキスマークを、いったいどうやって弁解するか見物だ。
「やりましたね〜‥っ」
 首筋を押さえ、カカシは情けない顔をしたが、すぐに苦笑に変わった。
「‥ま、いいや。これはこれで、あんたからの餞別として受け取ります」
「‥‥‥」
 殊勝だ。
 意表をつかれて、イルカは立ち尽くした。
 ――そうだ。
 これで、本当に会うのは最後なんだ。 
「‥‥‥ありがとう。あんたに会えて良かったですよ」
 それだけ言いたかったと、カカシは囁いた。
 この台詞だけは、確実に自分に向けられた言葉だ。
 イルカは急に目頭が熱くなった。
 危うく泣きそうになったが、ちょうどいいタイミングで視界が揺らぐ。
 時間切れ。
 イルカは、最後にカカシの顔をしっかりと見つめた。
 少し年齢を重ねた顔。数年経てば、また見れる顔だけど、目の前にいるカカシは、彼一人きりだと思う。
「さよな‥‥‥」
 別れを言いかけた唇を塞がれる。
 足音は、もう玄関の前まで来てるのに。
 イルカは目を閉じて、そのぬくもりを受け入れた。
(‥‥餞別として、受け取っておきますよ)
 心の内で呟いた声を、はたして聞いたかどうか。
 消えかけた視界に映るカカシは、優しく笑っていた。
 そして――少しだけ寂しげに。











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