029:デルタ









 掃除を頼まれた。
 登山の鄙びたお堂。実際に来てみると、掃除どころか修理も必要そうだ。
(‥断れば良かった‥‥)
 頭に積もった埃を払い、イルカはうんざりした気分になる。
 昼から始めたのに、まだ掃除は半分も終わっていない。断ればよかった。心底そう思ったが、腰を痛めた老人を思うと愚痴は言えない。
 本来、お堂を管理しているのは近所の老人だった。しかし、登山の道は老人には厳しく、最近腰を痛めたせいですっかりお堂の掃除は放置の状態となった。
 その話を聞いたお人好しのイルカが、昼からの開いた時間を利用をしてボランティアに乗り出したのだが‥、
(‥‥今日はもう無理だ。明日‥、いや、明後日ならまた昼から時間取れるか) 
 イルカは今日の掃除は諦めた。続きの予定をどうしようかとため息をこぼしていると、
「――――‥‥?」
 お堂の外で人の気配がした。
 換気に開けたかった扉だが、天井の小窓しか開封できないお堂の約束事があった。
 閉じた扉から、長身の人影が赤い夕日に映し出される。
 こんな夕刻に登山客もいないはず。
 足音すら感じなかった気配に、イルカは自然と息を潜めた。
 外にいるのは男のようだ。何か喋っている様子に、気になったイルカはそっと忍び足で扉に近づく。

「――とゆーわけで、今日は15人くらい切りました」

 若い男の声だった。低く、ざらりとした声音だが、内容は重い。
 しかし、あっけらかんと言う相手に、イルカは総毛だった。
「命乞いとかされましたが、まあこっちも仕事なんで。‥‥でもねぇ、最近つまらないんですよ。オレは忍だし、この世界の不条理は分かってるつもりですけど、そろそろ丸くなってもいいかな〜って思うんです」
 男は、中でイルカが聞いていることに気づいていないのか、饒舌に話を続ける。
「自慢じゃありませんが、オレはいい死に方はしませんね。任務を受けて、殺して、生きて帰る。堂々巡りの三角はもううんざりです。丸くなりたい。どうしたらいいですかね?」 
 この男は、懺悔に来たのか。
 登山客の中には、お堂に贖罪に来る者もいる。
 鄙びたお堂だが、ここは人気がない分、より罪の深い者が立ち寄りやすい。
 立ち聞きをしてしまった。
 イルカはようやくその事実に気づき、慌てた。
 忍としての生き方に迷いを抱いた外の人物が誰かは分からないが、赤の他人の自分が聞いていい話ではない。
 イルカはそっと足音を消して下がろうとしたが、

「――ねぇ? アンタはどう思う?」

 びくっと体が震えた。
 外の主は、明らかに自分を指して言葉を投げつけてきた。
「中に誰かいるんでしょ? せっかくだから最後まで聞いてよ。アンタ、神主?」
 疑問に、イルカは沈黙で答える。どう答えたらいいものかと困惑していると、
「ま、いいや。誰でもいいから懺悔聞いてよ」
 男は細かいことに拘らない性分のようだ。
 扉の隙間から血の匂いが入り込み、
「‥‥怪我をしているのですか?」
 イルカはそっと外の主に話しかけた。
「ん? いや、別の奴のだから。‥あー、やっぱ男? アンタ、木の葉の里の人間?」
「‥‥‥‥‥‥」
「そういうの秘密なの? ‥‥ま、いいか」
 軽い口調の男に、イルカは胸の動悸が早くなるのを感じた。
 夕陽が作る男の影。
 背に、刀を担いでいるようだ。それに、顔。奇妙な形のそれは―――面?
(‥‥まさか、‥暗部‥‥‥?)
 心臓がどくりと緊張する。
 中忍のアカデミーの一教師であるイルカに、暗部との面識があるはずもない。
 火影直属の特殊部隊。関わってはならないと、暗黙の了解が忍の世界にはあった。
「ねえ、さっきのだけど、アンタはどう思う?」
「‥‥‥え?」
 唐突な問いに、イルカは戸惑った。――さっきの?
「丸くなる方法。‥まあ、手っ取り早く忍者やめちゃえばいいんだけどさ。これしか能無いし。‥‥そう、オレってね〜、人間としてちょっとマズイみたいだし。ね、オレって生きててもいいかね?」
「‥‥そんなの‥‥っ、当たり前です‥‥!」
 相手はまだ何か言いかけていたが、イルカは思わず声を荒げた。
(‥‥あ‥‥‥)
 ふっと黙り込む外の主に、冷や汗が出る。
 顔も見えない得体の知れない相手だ。なるべく刺激を与えないようにと思っていたのに。
「‥あの‥‥‥」
「言うね。―――なんかスッキリした」
 外の主は、言葉通りさっぱりした声を出した。
 じゃり、と土を踏む音がする。
 影は向きを変え、
「ねえ。アンタって、明日もそこにいる?」
「‥‥え? あ、それは‥‥‥」
「また話聞いて?」
「あの‥‥‥」
「赤い夕陽が目印ね」
「‥‥‥‥‥‥」
 結局、
(‥‥‥いなくなった‥‥‥)
 イルカは、最後まで断りの言葉を言うことはできなかった。
 いつの間にか消えていた外の気配に、イルカは大きなため息をこぼす。
 解けた緊張に思わず座り込み、
「‥‥‥どーすんだよ、俺」
 イルカは困り顔で頭を抱えた。


 三角はもう嫌だ、丸くなりたいと懺悔する男は、また明日もここに来るのだろうか。
 赤い夕陽が目印。
 無理矢理押し付けられた約束は、性分のせいで断れそうにない。
 イルカはまたため息をこぼした。










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