031:ベンディングマシーン









 今日もあの人が現れた。
 こうして毎日律儀にやってくる自分もどうかと思うが――後に引けないのだ。
 男が暗部の人間であることは間違いない。
 彼が話す懺悔の内容ときたら、耳を塞いで舌を噛み切りたくなるような機密ばかり。
 幾度か卒倒しそうになった秘密の話に、イルカは見えない鎖をかけられた気分になる。
(‥‥俺、用が無くなったら殺されるんじゃ‥‥)
 暴露している彼自身の身も危なくなるような話ばかり。
 懺悔をすべて終えてすっきりした彼に、最後に「死人の口無し」とバッサリ切られるのではないだろうか。
 考えたくはないが―――しかし、来ないわけにもいかない。
 懺悔をする時の彼は、心底疲れ切っていて、終わりにいつも聞いてくるのだ。

 自分は生きていていいのか。
 
 もし、そこで駄目だなんて言おうものなら、その場で自分の首を切るんじゃないかと冷や汗が出る。
 外の男は、物事に執着しない人間だ。きっと、気分次第で自分の命もさっぱり諦めるんじゃないだろうか。
「や、こんばんは」
 夕陽が男の影を扉に映し出す。
 いつも通り挨拶をかえそうとしたイルカだが、
「これ、近くの自動販売機で買ってきました」
 ゴトッと扉の前に置かれた物に注目する。
「酒なんだけど、二十歳は越えてるよね? 一緒に飲もうと思って。いつも無駄話聞いてもらってるしさ」
「‥‥‥‥‥‥」
 何か贈り物を受けるのは初めてだった。
 これは、お供えの一種になるのか。いや、そもそも自分はただの掃除のボランティアだが。
 肝心の掃除の方は大方終了していた。
 ついでに幾つか鴨居などの修理もして、お堂の内部は見違えるほど過ごしやすい場所となっている。
(‥‥‥どうしよう‥‥)
 扉に缶の影が映る。
 酒は好きだ。飲める年齢だし、喉も乾いていた。
 できれば戴きたいが‥‥‥、そうすると扉を開ける必要がある。
 イルカがお堂に入るのに利用している扉は、床にあった。
 神聖な場を守るためと、何だかよく分からないしきたりで出入りはめんどくさく、換気も悪くて掃除は一苦労。
 しかし、しきたりだと言われたら、なんだか破れないのがイルカだった。
 扉にかけられた鍵を見詰め、大きなため息をこぼす。
「やっぱ、いらない?」
 外で男が言った。
「扉を開けちゃ駄目とか、そういう約束事でもあるの?」
 するどい。
「‥‥‥すみません」
 イルカはがっくり座り込み、謝罪した。なんとなく、外の缶の冷気が伝わってくる。
 せっかくの好意だし、できれば飲みたかったが。
「しきたりなので‥‥‥」
 落胆した声で、イルカはぼそぼそといい訳をした。
「あ〜、やっぱ駄目か。‥アンタが自分から出てきてくれたら楽だったんだけど」
「‥え?」
「オレ、どうもその中は入りづらいんだよね。神の家でしょ? 一応自覚あるから」
「‥‥‥‥‥‥」
 何を言っているのだろう。
 イルカは首をかしげた。
(‥‥出てこいって‥‥ことか‥‥?)
 理解すると血の気が下がった。
 酒は飲みたい。が、もっと重要な事がある。今まで散々機密を聞いてきて、それでもまだ生きているのは両者とも顔が見えず、正体が分からなかったからだというのに。
 のこのこ外に出て―――バッサリ切られたらどうするのか。
「どうしても駄目?」
 男は再度尋ねてきた。
「引っ張り出そうか?」
(‥‥‥っ)
 イルカは声にならない悲鳴をあげる。
 本気の滲んだ男の声に、真っ青になって息を潜めた。
(‥こ、殺される‥‥!?)
 体が恐怖に硬直する。答えることもできず、気まずい沈黙が続いた後、
 外で、小さなため息が聞こえた。

「――――ま、いいか」

 諦めてくれた。
 男の軽い呟きに、イルカはほーっと安堵の息を吐いた。
 良かった。いつもの軽い冗談だったのだ。
(‥‥本気で死ぬかと‥‥‥) 
 緊張に固まっていた体が弛緩し、イルカはぐったり扉にもたれかかった。
 背中に感じる外の気配は静かで、夕陽はすでに沈みかけていた。
 そろそろ帰るかな? と思っていると、
 ――ガラッ、と扉が開かれた。
「‥‥‥‥‥‥っ」
 急に背もたれが無くなり、油断していたイルカは後ろに倒れこんだ。
 仰向けになった目線は天井を移し、ひょい、と面をつけた男が覗き込む。
 咄嗟のことで状況を理解できないイルカに、
「へ〜、思ったより野暮ったいね」
(‥‥‥暗部だ‥‥!!)
 扉を開けられたのだと、イルカはやっと理解した。
 鍵が吹っ飛んでる。けっこう頑丈な作りだったのに、片手で開けたのか。
(え? あ、諦めたんじゃ‥‥‥っ)
 イルカは慌てて起き上がり、お堂の隅へと逃げ出した。
 ま、いいか、とのさっきの呟きは、諦めたのではなく、
 自分で開けるとの妥協によるものだったのか。
「う〜ん、もうちょっと色気があると嬉しかったんだけど」
 男は扉を閉め、腕を組んで唸った。
 隅っこで青ざめるイルカをしばし眺め、
「でもま、今更だね。気にしない、気にしない」
 あっさり納得してみせた。
(‥なにを!?)
 その独白についていけないイルカの前で、男は面を外した。
 慌てて目を瞑ろうとしたが、ばっちり見てしまった。
 色違いの双眸。そして、引き下げられた覆面の下の顔も。
(‥‥や、やっぱり‥‥) 
 死人の口無し!?
「酒は、後で飲もうね。喉乾くと思うし」 
 伸ばされる手に、イルカは声無き悲鳴をあげた。
 









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