034:手を繋ぐ









 目が覚めると、まだあの男がいた。
 外は夜明け前で、お堂で一夜を過ごしてしまった。――名前も知らない暗部の男と。
 憤りはあった。怒りを通り越して叫びたくなるような経験を強いられて、もう一度気絶したい気分だったけれど。
 呆ける自分の世話を、男は甲斐甲斐しくした。
「一緒に帰りましょうか」
 にこにこと上機嫌で、勝手に手を握ってくる。
 痛む腰を気遣って、ゆっくりと階段を下りる男の後姿に、なんだか気が抜けた。
 言いたいことは山ほどあったし、できれば今すぐ目の前から消えて欲しいけど。
 握った手のぬくもりが。
(‥‥なんで、この人。‥‥あんなことしたんだろ‥‥)
 自分でものんきだと思うが、そんな疑問が浮かんだ。
 聞いてみたかったが、突然知らない国の言葉を喋りだしそうだったのでやめた。
 勘違い男。
 懺悔を聞いていた時から思っていたが、暗部の人間はみんなこうやって常識のどこかが欠如しているのだろうか。
 もしこの男だけだとしたら―――自分はなんて運の悪い。
「あ」
 その男が、突然立ち止まる。つられて、びくっと足を止めたイルカを振り返り、  
「オレ、そういえば任務報告してこなきゃ」
「‥‥‥報告‥」
「陽が出るまでに出さないと、オレ、死んだことになるから、ちょっと急がないと」
 ごめんなさい、と男は手を上げた。
 繋いでいた手が、離れる。
「一人で帰れる?」
 顔を傾け、真顔で聞いてくる男にイルカはむっとした。
「‥‥子供じゃないんですよ‥‥っ」
「うん。なかなか立派なものでした」
 にやり、とまた人の悪い笑み。
 長い階段の途中で、男は再び覆面と犬の面をつけた。
 途端に、知らない忍に早替わり。
 なんとなく後退りするイルカに、
「ね、またあそこにいてね」
 男はぎゅ、と手を掴んで囁いた。
 尖った手袋の指先が痛い。つい返答に渋ると、握る力は強くなった。
「あそこにいて。オレ、また行くから」
 強めの口調。
 その声の中に、縋るような響きを受け取って、
「‥‥‥‥‥‥」
 イルカは知らず、こくんと頷いていた。
「やった」
 今度は弾んだ声。
 面の下で、男が笑顔を浮かべたのが分かる。
 じゃあね、と犬の面の男は言った。
 一瞬の内に姿も、気配も消えてしまう。
 ―――また、あそこで。
 なんで、
 頷いてしまったのだろう。
(‥‥‥俺って馬鹿‥‥‥) 
 ズキズキと痛む腰を押さえ、イルカはゆっくりゆっくりと帰宅の道を歩き出した。










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