046:名前
室内ではぴりぴりとした緊張感が漂っていた。
それほど多くない一室に、全部で十人近くの人間が集まっているのだ。息苦しさと圧迫感に、女中たちは力なく俯いていた。ただ、彼女たちは己の役目を理解していた。
女たちの中心に、年若い、一際質のよい着物をきた娘がいる。櫻井家の一人娘ユビナだ。
女中たちはユビナを守るように、囲いを作っていた。囚われている状態では意味のないことだが、せめて自分たちを見張る男たちには触れさせまいと気勢を張っていた。
「遅いな」
男の一人が呟いた。
先ほど、櫻井家の門を叩くものがいた。気配は去ったようだが、念のために調べに行った仲間がまだ戻らない。
「もうすぐ出発だってのに‥何をしてるんだ」
女のすすり泣きにうんざりしていた男はぼやいたが、
「――お」
ちょうど、様子を見に行ってた男が戻ってきた。ただし一人ではない。その後ろに女中を一人連れていた。―――高く結い上げた長い黒髪が印象的な女。
「まだいたのか」
「台所に隠れてやがったよ」
仲間の問いに、戻ってきた男は引っ張ってきた女を部屋へ放り投げた。
女たちが悲鳴をあげ、慌てて連れてこられた女に手を差し伸べる。
「女中はこれで全員だろうな」
「もう他に気配はない」
「荷車はまだ来ないか」
「頭は時間を守る。そろそろだろう」
男たちは小声で、この後の段取りを話し合った。
囚われの女たちは自分たちの行く末を恐れて震えたが、そんな中、先程連れてこられた黒髪の女中がそっと、ユビナの傍へ体を移動させていた。
「‥‥‥、‥‥‥」
はっ、と娘は伏せていた顔を上げた。
指に触れてきた手の主を見上げると、いつの間に傍に来ていたのか、艶やかな黒髪の女がいた。
ユビナは首を傾げた。――見たことのない顔だと。
「‥どうぞお静かに。わたしは木の葉の忍でイルカと申します‥」
高く結い上げた黒髪の女は――――イルカだった。
見張りの男たちは隙がなく、外から崩すには難しいと判断したイルカは、内側に入り込むことにした。できるなら状況も確認したい。
慣れない異性に変化するのは少し抵抗を感じたが、女中の姿が一番適していた。実際に、隠れているふりをしていたら、様子を見に来た男がまんまとここまで連れて来てくれた。
(‥入り込む手間は省けたが‥)
ユビナだけに聞こえるように木の葉の忍だと名乗ったが、娘の表情はまだ猜疑心に染まっていた。無理もない。見張りに立つ男たちの装備は忍のものだ。疑いを抱くのは当然だが、まず彼女に信用してもらわなければ始まらない。
(‥‥そうだ)
イルカは娘の手を握り、耳元に顔を寄せた。
「はたけ上忍の知人です」
本当は恋人だが、あえて知人と説明した。途端、娘の目から疑心が消える。
少し赤みの戻った娘の頬に、イルカは良かったと安堵しながら――少し複雑な気分になった。
カカシという名前だけで、この娘は恐怖から立ち上がることが出来るのかと。
「――おい、来たぞ」
ふいに、男が障子を大きく開けた。
音もなく、さらに数人の男が部屋に入り――「櫻井家の娘だけを荷車へ乗せろ」と言った。
女中たちが悲鳴をあげ、死に物狂いで阻止しようとしたが、簡単に弾き飛ばされてしまう。
「‥‥いや‥‥っ」
男たちの手に拘束されかけたユビナに、イルカは咄嗟にしがみついた。
「お待ち下さい‥! お嬢様一人だけとは無慈悲な‥‥っ、せめて女中を一人‥、わたしをお付けください‥‥っ」
「離せ‥‥っ」
しがみつくイルカを引き剥がそうと手が伸びるが、
「‥やめて‥‥!」
ユビナの鈴のような声が響いた。
「‥この者を連れて行きますっ。‥わたしは、自分の身の回りのことができません。世話をしてくれる人がいなくては困ります」
イルカの手を握り締めて訴える娘に、男たちは侮蔑の笑みを浮かべた。
「世間知らずというのは本当らしい」
「一人だけならいいだろう。粗相でもされては困るからな」
下卑た笑い声に、イルカは怒りが込上げる。が、ユビナがせっかく作ってくれた機会を台無しにしてはいけない。
男の一人が、部屋の隅に香炉を置いた。
そこから香る甘ったるい匂いに、イルカは眉を顰めたが、「立て、行くぞ」と男たちにせっつかれ、ユビナと共に室内を後にした。
「彼女たちはどうするのですか」
ユビナが強い口調で問うた。
「眠ってもらうだけだ。殺しはしない。そういう契約だからな。いいから、お嬢様は黙ってな。口をふさがれたいのか?」
(‥‥契約‥‥‥)
やはり、ただの強盗ではないらしい。
大人しく従いながら、イルカはどうするべきか悩んでいた。
残されてきた女中たちは、おそらく命の危険はないだろう。甘い香りは、確かに眠り粉だった。目的はあくまでユビナ一人なのだ。
――動くか。
裏門につけられた荷車へ連れて行かれる途中で、イルカは四方にいる六人の男たちとの間合いを測った。場所も広く、守るべき者は一人だけ。倒せる自信はある。てこずるようならばユビナだけでも担いで逃げればいい。
じゃり、と強く砂利を踏み鳴らし、イルカは変化を解こうとしたが―――、
「‥‥、‥‥」
ぎゅ、とユビナが手を握りしめてきた。
触れるほど身近にいる娘は、イルカが行動を起こそうとしているのを察したらしい。
ちらり、と視線を向けて訴えていた。
―――動かないでほしいと。
「‥‥‥‥‥‥」
「早く行け」
思わず立ち止まったイルカの背を男が急かした。
(‥‥‥困ったな‥‥)
のろのろと進みながら、イルカは考える。
逃げるならば、今が絶好のチャンスだ。アジトに到着してからではさらに動きにくくなる。
考え直してくれないかと娘を見たが、その横顔は静かな決意に満ちていた。
危険だと分かっていても、彼女は知りたいのだ。どうして自分が浚われるのか。
――なにか、彼女の中で引っかかることがあるのかも知れない。
握った娘の手は、しっとりと汗をかいていた。
怖くないはずはない。今だってそれほど緊張しているのに。
(‥‥‥仕方がないか)
思っていたよりもずっと骨のある娘に、イルカは嘆息した。
このまま浚われてもいい状況に進むとは思えなかったが、娘の協力無しでは突破できる自信はなかった。
ため息をこぼしつつ、了解の意味をこめて掌に力を入れると、娘が顔を上げた。
少し潤んだ目で、嬉しそうな笑顔を見せる健気な姿に、守らなければとイルカは強く思った。
○ BACK ○
| FC2 | |||