047:ジャックナイフ









 荷車に乗せられる時、両腕を後ろで拘束された。
 すでにいくつかの荷が乗せられ、イルカとユビナは一番大きな箱の中に入れられる。網状の箱で換気はいいようだが、中から外の景色を見ることは出来なかった。大きいといえど箱。イルカとユビナは窮屈な思いを強いられた。イルカが元の男の姿なら絶対に入らない。
 ――他は徒歩で移動する気なのか。
 ずいぶん悠長なことだと思ったが、おそらく途中で他の仲間と合流するのだろう。里の中ではあくまで荷を運ぶ商人を装うつもりなのだ。
「‥奴らの目的について、何か心当たりがあるんですか」
 声を忍ばせ、イルカは娘に問うた。
「‥‥確証があるわけではありません。ですが、どうしても自分の目で確かめたいのです。‥あなたにご迷惑をかけていることは重々承知しています。いざという時は、どうぞあなただけでも‥」
「そんなことは絶対にありえませんよ」
 気丈な様子を見せる娘に、イルカは苦笑を浮かべた。
 焦りが無いといえば嘘になるが、慌てて事が解決するなら苦労はない。
 ユビナは睫を瞬かせ、
「‥父の‥‥仕事が関係していると思います。彼らの目的はお金でも、誘拐の依頼をした人たちの目的は‥きっとそんなものではないです」
「‥‥‥‥‥‥」
 沈鬱な娘の横顔に、イルカはそれ以上何も訊けなかった。
 箱の中は重い空気に包まれたが、ゆっくり街道を進む荷車は平穏そのものだ。
 体に伝わる振動に、
(‥いざという時は‥‥‥)
 イルカは腕を縛る縄を緩めながら考える。
 ユビナの言うとおり逃げるつもりなどないが――、いざという時は、今度こそ無理矢理連れ去ろう。
 荷車は里の外を目指しているようだが、足は早い方だ。娘を背負っていても、壁門にたどり着けば見回りの忍の助けを得られるだろう。
 縄をいつでも外せる状態にして、イルカはじっと息を潜めた。



 賑やかな声が遠ざかり、森の鳥の声が響く。
 里を抜けたな、とイルカが気づいてから、さらに半時。
 突然、荷車は停止した。
「出ろ」 
 箱の蓋が開けられ、眩しい陽光に目が痛む。
 引っ張り出されたイルカとユビナは、荷車の傍に湖を見た。
(‥‥ここは、紺青湖だ。‥けっこう里から離れたな)
 絶えず続いた振動に感覚が鈍ったか。
 鏡のような紺の湖。「‥‥?」イルカは、その湖を渡ってくる一艘の舟に気づいた。
 どうやら、ここからは舟に乗って移動するようだ。
(‥‥匂いが消える‥‥)
 舟での移動は時間がかかるが、確実な方法だった。
 そして、舟にはさらに数人の男の姿が見える。――これ以上増えるとまずい。
 舟に乗れる数は限られているので、おそらく半分はここで別れるだろうが――舟の上では滅多な行動はできない。
 どうするべきか。
 舟がゆっくり岸につき、男たちが土を踏みしめる。やはり忍の武具を身につけた一団に、イルカは先頭に立つ男に注目した。
 イルカより頭一つ高い。細身に見えるが、着痩せするタイプだろう。なめらかな動きに無駄がなかった。
 ――敵の中で、一番強い。
 イルカは直感した。そして、
「連れて来ました。お頭」
 誘拐犯の言葉に確信する。この男が、リーダー格だ。
「‥娘一人のはずじゃなかったか?」
 低い声だ。わずかに怒気を含む問いに、報告した男は顔を引き攣らせた。
「す、すみません。一人じゃ自分のことはできないっていうんで‥‥」
 平謝りのようだが顔は真剣だった。必死に頭を下げる部下に、「ま、いいさ」と男は意外にあっさり許した。
「野郎なら用無しだが、女なら価値がある―――どれ」
 男は一歩進み出て、ユビナに手を伸ばした。
 娘は、顎を掴まれて上向かされても、気丈な視線を変えなかった。
「‥‥‥あなた方の目的はなんですか」
「威勢がいい。本当に一人じゃ何もできないのか?」
「答えてください」
「俺たちの仕事は、お前を竜の牙へ連れて行くことだ。‥‥すでに何か知ってるなら、これだけで十分だろ?」
「‥‥‥っ」
 男の言うとおり、ユビナの顔色がさっと変わった。
 目を伏せて震える娘に、男はうっすら笑みを浮かべる。
「何を知りたかったかしらないが、死にたくなければじっとしてることだ。何をされても人形のように。お嬢ちゃんは大事な観賞用だから‥‥」
「‥‥!」 
 空気を切るような痛い音が響く。
 見事な平手打ちだった。ユビナの細い腕が出したとは思えない痛烈な音に、叩かれた当人は微動だにしなかったが、「‥てめぇは‥‥!」周囲の逆鱗には触れてしまったようだ。
 ユビナに掴みかかろうとする別の若者がナイフを取り出した。
 妖しく光る切っ先に、
「‥やめろ‥っ」
 イルカは考える間もなく無意識に肘をくりだしていた。
 鋭い一撃をわき腹に食らい「‥ぐ‥、‥‥‥っ」若者は声もなく崩れる。
(‥やるしかない‥‥っ)
 イルカは姿勢を低くして、ユビナの前に立つ男を標的とした。倒すなら――まずは頭だ。
 振り上げた足は細いが、鋭い衝撃が走る。
 確実に首元に入った感触はあったが―――――、
「‥‥、‥っ」
「‥‥はっ、女の脚でえらく重い蹴りをするな」
 イルカの蹴りは固い腕に防御されていた。女の脚とはいえ、全力だったのに。
(‥‥強い‥‥っ)
 ここは変化を解き、逃げに徹するか。
 イルカはユビナの手を引き寄せようとした。が、
「‥‥、ぁ‥‥っ!」
 いきなり大きな腕に引っ張られ――湖に放り投げられた。
 冷たい水の感触に慌てて顔を出すが、傍にあの男がいることに気づき、ぎょっとする。
 体勢を立て直そうとする前に胸倉をつかまれ、水の中に沈められた。
(‥‥溺死させるつもりか‥‥!?)
 突然のことに息もろくに吸えなかった。
 掴む男の手を外そうとするが、びくともしない。
(‥‥‥この馬鹿力‥‥!)
 息が苦しい。水の中で咳き込んでしまい、イルカはきつく瞼を閉じた。駄目だ。ここで死ぬわけには。
 限界に意識が飛びかけた――途端。
「‥‥は、‥‥げほ‥‥‥っ、」 
 一気に水の上に引き上げられ、イルカは激しく咳き込んだ。
「これに懲りたらもう暴れるなよ」
 何事もなかったように忠告する男の声がむしょうに腹だたしい。
 赤くなった目で睨むと、
「ん? ‥‥お前‥‥」
 男が眉を顰めた。まじまじとイルカの顔を覗きこむ相手に、また水に沈められるかと警戒したが、
 やがて、
「おい、お嬢ちゃんもさっさと乗せな。行くぞ」
 男はふい、と目線を外し、部下に呼びかけた。
「‥、‥‥わ‥‥っ」
 勢いよく舟に放り投げられたイルカは慌てて起き上がる。次いで押し込まれたユビナの手を反射的に握るが、
「逃げようなんて考えるのはやめとけ。荒っぽいことはしたくねえんだ」
 男が先に忠告した。
 ――水の中に沈めるのは荒っぽいことには入らないのか。
 睨むイルカに、
「まあ、あんまり説得力はないわな」
 男は面白そうに笑った。
「とにかく傷をつけるような真似はしないさ。なんせお前らは観賞用だからな」
 舟に乗り込み、男は乾いた布をイルカに放り投げた。
「俺の名はオン。お前らの身は、ひとまず目的地につくまで守ってやるし手も出さねえから大人しくしてくれよ。――これから仲良く一晩の舟旅だからな」 
 ゆっくりと水面を動き出す舟に、イルカは深い絶望を感じた。










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