052:真昼の月









 運ばれている途中で、イルカは意識を取り戻した。
 当て身が弱かったせいか、すぐに体全体の神経も戻ってくる。
 しかし、すぐには動かなかった。体に力を入れないように、イルカは気絶しているふりを続ける。
 運ぶ男たちは、イルカが完全に意識を失っていると思って手足を拘束していない。
「頭はここへ運べって言ってたな」 
 右側を抱える男が言った。
「縛って放り込んでおこう。‥にしても野郎だったなんてなあ。忍ならすぐに始末したほうがいいんじゃないか?」
「外と連絡を取ってたらしい。頭が現場を押さえたらしいが、ついでに始末しときゃいいのに。なんでこんなめんどくさいことを‥‥」
 足音が止まり、扉が開く音がする。
 中に入った自分以外の二人の足音を確認して、イルカは目を開けた。
「‥てめ‥‥っ」
 いち早く気づいた片方に痛烈な拳を見舞う。崩れるのを目の端で確認して残りに移るが、相手は素早く距離を取った。
 仲間を呼ばれては困る。イルカは一気に距離を詰めようとしたが、
「―――!」
 後方で扉が開く音がした。
 振り向くより先に、腕を取られ、床に押し付けられる。
「お前、目を離してられないな」 
 頭の上から響く声はオンのものだ。
「頭。やるならおれが‥‥っ」
 逃れた男が怒気を孕ませたが、「駄目だ」とオンははっきり言った。
「観賞用には傷はつけないさ」
(‥‥‥観賞用って‥‥‥)
 まだ言うかと、イルカは怒りが込上げてきた。
「‥おっと」
 強引に反転し、振り上げた鋭い蹴りに、オンは押さえていたイルカを解放した。
「‥‥頭‥‥っ」 
「いいから。お前はのびてるそいつを連れてけ。娘から目を離すなよ」
「しかし‥」
「何度も言わせんな」
 声質が変わった。男は黙り込み、しぶしぶといった様子で仲間を連れて外に出る。
 扉が閉じられ、二人きりになるとイルカは体を緊張させた。
 ――この男は嫌だ。
 最初からそう感じていた。
「可憐な女中の姿は微塵もないな。まあ最初から気づいてたけどな」
 オンがからかいの声をかける。
(‥最初から‥っ) 
 では忍であることも最初から知っていたのだ。ならば、何故ここまで連れて来たのか。
 疑問が顔に出たのか、
「言っただろ。観賞用だって。まあ、俺専用のつもりだけどな」
「‥‥な‥‥っ」
「そういう匂いがする。怒るか? でもまあ、あながち間違いでもないだろ。お前、男を知ってるな」
「‥‥‥っ」
「目が気に入った。だから連れて来た」
 めちゃくちゃだ。
 仮にも誘拐グループの頭として、失敗の要因になりかねない忍と分かってて同行させるなど。それも自分の私欲のために。
「さて、あまり楽しむ時間もなさそうだからな。手っ取り早く始めようか」
「―――‥触るなっ」
 伸びてきた手に、イルカはクナイを取り出した。
 狭い部屋に間合いをつかみ損ねたか、クナイは呆気なく蹴り飛ばされ、イルカはすぐに床に押さえつけられる。あまりの手際が良さに瞬きすら忘れた。
 この身のこなし。改めて手合わせて、体術が半端でないことが分かる。それも、忍流。
 イルカはずっと疑問に思っていたことを詰問した。
「‥‥お前‥‥忍なのか‥!?」
「元な。力量の差に落ち込むことはないさ。筋のいい方だ」
 余裕のある口ぶりから、実力は上忍級だったのか。
 イルカは押さえる腕に噛みついた。力の限り噛みつくと「‥つ‥‥っ」オンがうめいて手を離した。
「‥は‥っ、元気なことだ」
 腕についた歯型から血が溢れ出す。
「死んでも嫌だって顔してるな」
「‥当たり前だ‥‥!」 
「俺も長くかまってやれる時間がなくてね。――残念だ」
 オンは胸元から何かを取り出して口に含み、携帯用の水を取った。
「‥‥なにを‥‥‥っ」 
 もがいて逃げようとするイルカの首の後ろを掴み、オンは深く唇を合わせた。
(‥水‥‥、違う‥‥何か‥‥っ) 
 濡れた感触に必死に口を閉じたが、顎を強い力で開けられる。
 全力で拳を打つが、相手はびくともしない。痛くないはずはないのだが。
「‥‥‥、ぅ‥‥ッ‥」
 甘い粉が喉を通った感触に、イルカは身震いをした。
 この匂いは――間違いなく良戯の葉。
「‥ゴホ‥‥、‥‥は‥‥‥ッ」
 解放されると、急いで男から離れた。 
 オンは噛み千切られた唇を拭い、「手荒いな」と面白そうに呟く。
「察しの通り、飲ませたのは良戯の薬だ。濃度は低いから軽く飛ぶだけだが、こうでもしないと大人しくしないだろ」
 言いながら、オンは出入り口にも粉を撒き、水を含ませた。
 濃厚な甘酸っぱい香りが、部屋の中へ広がっていく。イルカは口に指を入れて吐き出そうとしたが、もう頭がぐらりと揺れた。
「また後でな。―――悪く思ってくれて結構だ」
 憎らしい捨て台詞を吐いてオンは出て行った。
(‥‥くそ‥‥っ)
 イルカは立ち上がろうと踏ん張ったが、痺れてきた手足に崩れる。せめてあの男が残していった粉を処理したいと這うが、ぐるぐると揺れる視界に仰向けになった。
(‥みっともない‥‥‥) 
 なんて無様な姿なのか。
 助けるためにここまで来たのに、自分のことで手一杯だ。ユビナを守ると誓ったくせに。
(‥‥いや、まだだ‥‥)
 イルカはゆっくり深呼吸をした。
 心を静め、感覚を研ぎ澄ませる。少しずつ呼吸を、短く、浅いものへと変えていった。
 濃度の軽いものならば、いっそ順応するしかない。底力なら、十分にある。
 埋めようのない力の差をまず認めるのだ。その上で、自分に出来ることをしよう。
 滲んで見える視界に、窓が映った。
 窓枠が鉄格子のように見える。その向こうに、ぽっかり浮いた月が。しかし、ちかちか光る視界は、まるで昼間のようで。

 まるで――あの人の髪のようで。

(‥カカシさん‥‥怒るかな)
 もし他の男に抱かれたりしたら、捨てられるだろうか。
 いや、むしろ自分が耐えられない。
(‥‥‥会いたい)
 不謹慎だと分かりながらも、イルカは強く思った。
 気弱になっている心を薬にせいにして。



 






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