053:壊れた時計









 時間の感覚がない。
 薬によって体内時計はまったく役に立たなかった。
 もう朝が明けたはずだが、昼か、それともまだ夜か、それすらわからない。
 目を閉じて、開く。たったその一瞬で、窓から見える空の色が違って見えるのだ。
(‥‥くそ‥‥) 
 横たわったまま動けないイルカは、甘酸っぱい匂いを払うように頭を振った。
 ――と、
「‥‥!」
 視界に映った人影にぎょっとした。
「無理するな。横のままでいろよ」
 諸悪の根源が優しい声で言う。
 あぐらをかくふてぶてしいオンを見上げ、イルカはどうしてこうも不遜な男と縁があるのかとうんざり思う。
「木の葉の里が動いたぞ」
 オンは構わずに喋り始めた。
「お前の連絡ぐらいじゃすぐには動かないと踏んでいたが読み違えたな。木の葉の精鋭部隊なら足も早いだろう。どのみちここは制圧されるな」
「‥‥では、大人しく降伏すればいい」
 少し掠れた声が出た。オンは面白そうに笑う。
「いや、そろそろとんずらするさ。契約はとうに終わっている。長居する理由はない。や、あるとすれば‥」
「‥‥‥っ」
 大腿に触れた男の手に、イルカはびくっと反応した。
 不穏な色を浮かべるオンを睨み上げ、動かない体に歯噛みする。どう考えても逃げられない。力の差は変えられず、ならば、この男の意思を変える以外方法はない。
 取引をするか。否、自分には身一つしかない。
 慌てれば慌てるほど、霞のかかった頭は混乱する。
 本格的に伸し掛かろうとする男に、イルカは思わず――、

「自害します‥‥!」

 喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。
 オンの動きがぴたと止まり、鋭い目がまじまじとイルカを見下ろす。
 次いで――大爆笑。
「‥‥は‥っ、はは‥‥っ、おかしい男だな、お前は‥‥、はは‥‥っ」
 腹がよじれるのか、うずくまって笑う男に、
(‥‥畜生男‥‥‥) 
 じりじりと距離を置きながら、イルカはむかっ腹を立てた。
「生真面目そうだとは思ってたが、自害とは恐れ入った。もしかして、誰かに操でも立ててるのか?」
「‥‥‥‥‥‥」
 自然と沈黙するイルカに、
「残念だな。ますます惚れたが、無理強いは実は好みじゃないんだ。死なれたりしたら後味が悪いからなあ」
 オンは笑いを残しながら、そっとイルカの髪に触れた。
「舌を噛まないように口を塞いでもいいが‥‥まあ、仕方がない。木の葉の部隊が到着するまでここでじっとしてな。俺の手下に一部寄せ集めがいてな。そいつらは勝手に木の葉に喧嘩を売るらしい。村人もな、全員が全員解放されたがってるわけじゃない。良戯の葉は馬鹿高く売れる。あれを全部木の葉に回収されるには、まあ惜しい話だろう。この村は意外に守りが強固だ。けっこう荒っぽい状況になるぞ」
「‥‥手下ならちゃんと最後まで‥‥っ」
「契約は切れたって言っただろ。関係ないさ。いいからじっとしてろ。その体じゃ立ち回れないだろ」
 立ち上がるオンを、イルカは思わず呼び止めた。
「‥ちょっと待て‥っ」
「ん?」
「‥あなたは元忍と言っていたが‥それは本当のことか」
「‥‥‥‥」
 オンが不思議な笑みを浮かべて首を傾げる。イルカは確信した。
「――俺には、あなたの目的が他にあったように思える」
「ははっ‥意外に勘がいいな。だが、残念ながら今明かすことはできないんだ」
 破顔したオンは、肯定も否定もしなかった。イルカは更に追及する。
「任務だから?」
「待て待て。それ以上聞くなら、タダというわけにはいかんぞ」
「‥‥っ」 
 伸びてきた手に、イルカは急いで後退りした。その必死の様子にオンは笑い「じゃあな」と手を上げる。
 イルカは声を張り上げた。
「‥っ、村人や、ユビナさんを巻き込んでおいて‥関係ないで済むのかっ。任務なら、なにをしてもいいと!?」
「それは木の葉の里の流儀だろ」
 責めに動じない男はあっさり受け流し、イルカの前から立ち去った。
「‥‥‥‥‥‥」
 閉まった扉を憎々しく睨んでいたイルカは、ぱたりと突っ伏す。
 急に動いたので眩暈が起こったが―――だが、意識はしっかりしてきた。
(‥もう動ける)
 微量の良戯の薬に、わざと体を委ねたイルカはすでに免疫がつきはじめていた。
 あの男の言っていた「飛ぶ」というのは、この浮遊感を差していたらしいが、
 生憎足は地にしっかりついている。そして、自分は、それを忘れたりはしない。
(行こう)
 混乱が始まるというのなら、今行かねば。
 ここまで来た役目を、果たす時だ。











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