055:砂礫王国









 葡萄畑には、予想通り警戒する人影が多く見えた。良戯の葉を回収するつもりらしいが、これでは不意をついても上手くいくか分からない。
 さて、どうやって近付くかと草陰から窺っていると、くいくい、とユビナが袖を引っ張った。
「‥あそこに村長さんが」
 促された先に視線を転ずると、確かに村長の姿。
 岩壁に避難した村人たちと共に、複雑な目で占拠された葡萄畑を見ている。
 戦火に巻き込まれないように村から出たほうがいいのではとイルカは危惧したが、
「イルカさん。あの方たちに協力願えないでしょか」
 ユビナが突飛なことを言い出した。それは危険すぎると反論しかけると、
「分かっています。でも、あの人たちも何とかしたいと思うんです。勝手な言い草ですが‥」
「‥‥ユビナさん」
「私、頼んできます。イルカさんはここで待っててください」
「いや、俺も‥っ」
「いいえ。――どうか私一人で」
「‥‥‥‥‥」 
 どこに敵が紛れているか分からない。できれば一人で行かせたくはないが、
 ユビナの決意に、イルカはしぶしぶ頷いた。
 ――ただし、見えない位置から彼女を庇護するつもりで。





 村人たちが逆上して、ユビナに危害を加えないかと内心では不安だった。
 その時こそは本当に彼女を連れて逃走しようと考えていたが、
(‥‥うまく話したみたいだな)
 すぐに駆けつける距離で見守っていたイルカは、安堵の顔で頭を下げるユビナに少し感心する。プレッシャーに負けず、彼女は大した度胸を発揮した。
 手招きされ、合流したイルカは村長たちと打ち合わせをしたが、計画のほとんどはユビナが発案した。単純な囮作戦だが、肝心の餌役はユビナ本人だ。火をつけるのは村人の手に委ね、ユビナは敵の目を錯乱させる役を選んだ。
 それぐらいの覚悟がなければ、確かに長く囚われていた彼らの説得などできない。――が、
「‥‥おとり‥‥」
 イルカはこっそり嘆息する。そのおとりを守る役目にある自分は、いったいどうすればいいのか。
 はたしてこれは信頼されている証拠か。もしくは忘れられているのか。
 おそらくは後者。ただし忘れられているのはユビナ自身の安全。
「イルカさんは村人の皆さんを‥」
「できるわけないでしょう」
 イルカは少し険をふくませて言った。
「俺の役目はあなたを守ることです。大事な人質でも時と場合によります。それは逆に、あなたが一番危険な立場であるとも言えるんですよ」
 ぴしゃりと叱ると、ユビナは項垂れるように顔を伏せた。
 少しは堪えたかと思ったが、「でも‥っ」と、再び顔を上げる。
「‥この作戦が一番得策だと思うのです。お願いです、イルカさん。無茶はしません」
 おとり自体、すでに無茶な話なのだが。
「‥‥‥‥‥‥」
 ユビナの切願に、イルカは思案した。
 妥協はしたくないが、彼女の言うとおり、良戯の葉を燃やすにはその作戦が一番得策だと思うが、その分リスクも大きい。
(‥‥駄目って言ってもやるんだろうなぁ)
 すでに覚悟を決めた顔のユビナと村人たちに、イルカは頭を掻いた。
 もはや頷く以外――なさそうだ。






「いたぞ! 捕まえろ!」
 あちらこちらで上がる怒声に、ユビナの手を引っ張るイルカは焦った。
 追手の数は増加する一方だ。時間は十分稼いだはずだが、畑の方はまだ‥‥、
「イルカさん‥‥っ」
 ユビナが息を切らしながら声を上げた。指差す方向には、灰色の煙。
 異変に何人かが気づいたが、その度にわざと走る速度を弱めて敵の気を引きつけた。
 捕まりそうで捕まらない。器用に難易な逃亡を、イルカは狭い村の中で繰り返した。
 ユビナはすでに引っ張られるだけで、足も限界に近い。
(‥‥もう十分だろう) 
 今日は風も強く、良戯の葉は燃えやすい。火は十分に回ったはずだとイルカは考えた。
 このまま脱出しようとユビナを引っ張ったが、「イルカさん、私‥皆さんの様子を見に戻ります‥!」逆に足を止められた。
「‥‥待っ‥‥」
 一瞬肝を冷したが――ふと、迫る追手の足も止まった。
 絶好の機会を逃した敵に、イルカは気づく。耳に届くのは怒号と剣戟の音。
(‥来た‥) 
 村の空気が変わった。木の葉の部隊が到着したのだ。
 ずいぶんと早い。ひょっとして特殊な精鋭部隊ではないだろうか。
 このまま合流すべきかと、イルカは僅かな思考に身を委ねた。――その隙に、
「‥ユビナさん‥っ」
 緩んだイルカの手から、ユビナが放たれた鳥のように飛び出した。
 慌てて後を追いかけようとしたが、ふらつく足元に歯を食いしばる。薬の影響か。体がずっと熱を持っている。走り回って更に上がってしまったようだ。
 眩暈を起こす体。これでは、とてもユビナを守れない。
 目が細い背中を追いかけるが、思うように追いつけない。視界の端に、刀を持った男が見えるのに。
「‥ユビナさん‥‥!」
 危険を伝えようと声を張り上げた。
 しかし、やっと気づいたユビナが振り向いた時には、刀は大きく振り上げられ、彼女の顔に黒い影を落とす。
「―――――!」
 声のない悲鳴が上がった。誰のものか分からない。
 イルカは脳裏に予期した惨劇に青ざめたが、そこに血は流れなかった。
「‥あ‥‥」
 音を立てて倒れたのは、刀を振り上げていた敵。
 イルカは呆然とそれを確認して、ユビナと、新たな人物に目をやった。
「‥‥カカシさん‥‥」
 呟きはかすれていた。
 ユビナの体を支えて、カカシはそこにいた。一瞬、朦朧とした意識が見せた幻ではないかと思ったが、「‥カカシさん‥っ?」驚愕の声を上げるユビナに我に返る。
 本物のカカシの登場に、娘は思わず状況を忘れて見入っていた。
(‥‥あ、そうだった)
 イルカはふと思い出した。
 異常事態にすっかり失念していたが、彼女はカカシに好意を持っていたのだ。
 意味は違うが寄り添いあう二人にずん、と胸が重くなった気がする。そんな不謹慎な自分に更に胃が重くなり、気まずさに二人を見れなくなると、
「カカシさん‥、私‥村の人たちを‥‥っ」
 先に目的を思い出したユビナがカカシに訴える。
 同じように走り出そうとしたが――カカシの方は手を離さない。
「必要ありません。そっちにも手を回してますから」
「あの人たちは‥私に頼まれて‥‥、この村も父が‥‥っ」
「大方は承知しています。後に詳しい話を聞かせてもらいますが、今はこちらの言うことに従ってください」
 間延びした穏やかな口調だが、反論を許さない意思が含まれていた。
 ユビナは戸惑いを隠せなかったが、しっかり離さないカカシの手に、
「‥‥わかりました」
 やがて頷いた。





 カカシが連れて来た部隊は一見普通に見えたが、イルカは気づいていた。
 見えない場所で動いている面をつけた忍び。
 木の葉の精鋭部隊はあっけなく村の戦火を沈め、敵意を抱く者たちをすべて拘束した。手際の良さに人死にも出ない。
 そして、良戯の葉は完全に燃え尽きていた。
 ぷすぷすと上がる煙が空へ溶けていく。重なる夕暮れ色が血のようだ。まるで代わりに流してくれたかのように。
 巨万の富を築いていた小さな王国は、たった一日で砂礫の如く崩れていった。
 無害な村人は保護の形となり、後に調査隊が村へ入る。
 櫻井家との繋がりは完全には明らかにされていないようだが、批難は免れないだろう。
 誘拐犯から逃れたとはいえ、これからユビナは更に困難な道に進むことになるだろうが、誘拐犯が現れた状況を話す横顔は凛としていた。
「はい、けっこうです。じゃ、続きはそっち」 
 屋敷の一室に閉じ込められ、イルカが助けに来てくれた所で、カカシはユビナの説明を遮り、イルカの視線を向けた。
 そっち。
 億劫な感じにふられ、イルカは戸惑いながらも報告を始めた。
 場所は小屋に移動していた。調査隊が到着するの明日の朝で、入り変わりに帰還する予定になっている。
「‥‥で、現在に至ります」
 長い報告を生真面目に説明したイルカは、ぴん、と伸ばしたままの背筋を崩さなかった。小屋の中にはカカシとユビナ、そして自分しかいないが、この場にいるカカシは司令官も同然である。
 黙って聞いていたカカシは、
「――至ります、じゃないですよ」
 これみよがしの大きなため息をついた。
「今の話は聞くに堪えない。軽率すぎるにも程がありますね。あんた、いったい何回逃げ出すチャンスをふいにしました?」
「‥‥‥っ」
「聞いた話だけでも、三回以上。とくに、屋敷から連れ出される時は最大の好機でした。そんなことも分からないくらい、あんたは能無しなんですか」 
 辛辣なカカシの叱責に、イルカは何もいいわけが出来なかった。カカシの言うことは正しい。好機と分かってはいたが、あえて自分はそれを見逃したのだ。
「それは‥私が無理を言って‥‥っ」
「――口出し無用」
 たまらずユビナが横から口を挟んだが、カカシが冷たい声で遮った。
 室内に気まずい空気が漂う。カカシは頭を掻きながら、
「‥その話は後回しにしましょう。先に犯人グループについて話してもらえますか」
 話はオンの情報へと変わった。
 あの男に関しては、イルカも多くの情報を持っているわけではないが、彼がおそらく現役の忍びで、別の任務で動いていることなどを話した。――が、
「‥よくそこまで調べられましたね」
「‥‥‥え‥‥‥」 
「他の奴らを締め上げて聞いたんですが、リーダーの男に特別扱いされてたんですって?」
「‥‥‥‥‥‥」
 自然としっとり掌に汗をかいていた。冷や汗だ。
 長いカカシの沈黙が先を話せと促し、はらはらと見守るユビナを早く休ませてやりたいと思ったイルカは降参した。
 そうだ。ただ監禁されていたと話すだけのことだ。途中で忍者だとバレて、捕虜扱いになった。それだけの話。
 しかし、それを報告した時のカカシは、それだけの話では済まされない目をしていた。
「‥監禁?」
 ゆっくり立ち上がり、イルカの前に立って屈む。
 匂いを嗅いだらしいカカシは、眉間に強く皺を寄せていた。
「‥‥良戯の匂いがしますよ。それに‥」
 耳の後ろに手を当てらる。冷たい手甲の感触にびっくりしたが、気持ちがいい。体が熱を持っている証拠だった。
「熱もある」
 カカシの声がだんだんと険しくなっていく。
「飲まされたんですか?」
「‥‥‥‥‥」
「飲まされたかってきーてんの」
「‥‥‥はい」
 肯定するイルカに、カカシは長嘆した。
「だからあんたは‥‥っ」
 苛立った声を隠さない。荒い口調にユビナが体を震わせた。自然流れていた鬼気に、カカシはがしがしと頭を掻いて、
「――もういいよ」
 突き放すように言った。
 呆れ果てたその声に、思わずカカシの顔を見たが、カカシは、もう自分を見てはいなかった。
 本当に見放されたのだと、イルカは胸が痛くなった。
 きっと部隊を派遣することに上層部から批難の声が出ただろうに、無理を承知で短時間でここまで来てくれたカカシ。それなのに、責任者としての立場もあるカカシに、自分の行動は足手まといになる以外何もなく――――怒られて当然なのだ。
 出て行くカカシを、イルカは見送ることすらできなかった。
 残されたイルカはついため息をつき、
「‥‥‥あ」
 傍観者の存在に気づいた。そうだ。ずっとユビナがいたのに。
「ユビナさん‥、あの‥」 
 何を言おうとしているのか自分でも分からなかったが、気まずさに何か弁明したかった。だがそれより早く、閉まった扉が開いた。
 カカシが戻ってきたのかと思ったが、現れたのは数人の女中。
「ユビナ様‥‥っ、ご無事で‥‥」
 泣き崩れながら駆け寄る女中たちに、当のユビナも驚いているようだ。
「あなた方、いったいどうして‥」
「ユビナ様の身を案じ、いてもたってもいられず、無理を言って同行させて頂きました」
「大変な目にあわれましたね。さあ、御髪や服を直しましょう」
 歓喜に震える女中たちは我先にとユビナを取囲み、連れて行こうとする。
 イルカは呆気に取られていたが、女たちの手に娘が抗った。
「‥待って、イルカさんに話があるんです。ちょっと待ってください‥‥っ」
 女中の手を振り切り、ユビナが目の前にやってくる。
「‥‥‥イルカさん‥」
 見上げる瞳は、これ以上にないほど真剣だった。話とは何だろうか。
 息を飲むイルカに、
「‥あんなことを、カカシさんに言わせてしまってごめんなさい」
「‥‥‥え?」
「好きな人に‥‥もういいなんて言われたら――辛いですよね」
 ユビナは微笑み、少し涙を浮かべていた。
 ‥‥‥どういう意味だろうか。
 イルカは少し考えて、まさかと思う。
 まさか――気づいた?
「ユビナさん‥‥あの‥‥」 
「誤魔化してもダメですよ。そんな辛そうな顔してるのに」
「‥‥‥っ」
 しっかり八の字になっていた眉宇に、イルカは口ごもった。
「分かってしまいました、私。だって、カカシさんとイルカさん。なんだかぴったりなんですもの。何がとは、上手く言えませんが――‥‥‥きっと心が」
「‥‥ユビナさん‥」
「それを壊しちゃったの、私ですよね。‥‥本当にごめんなさい」
 深く頭を下げ、ユビナはにっこりと笑った。そして、そっとイルカの耳元に口を寄せ、
「諦めます、私。だって、イルカさんのことも好きだから」
「‥‥‥っ」
「どうか仲直りしてくださいね。‥いろいろご迷惑かけてすみません。ありがとうございました!」
 はきはきと最後まで言い切り、ユビナは笑顔で立ち去った。
 女中が急いで追いかけるが、イルカは動けなかった。
(‥‥ユビナさん‥‥)
 元気なふりをしていても、きっと多感な胸の内は痛んでいることだろう。
 間違って届いた贈り物を返しに行った。ただそれだけの事だったけれど、もしも誘拐など無く、当人が出てきていたら自分はどうしただろう。
 本当に、ただ返しに行っただけか。
 最終的に、自分とカカシの関係も伝えるつもりだったのではないか。
「‥‥‥‥‥‥」
 どうあっても、ユビナな悲しい想いをさせなくてはならない自分に、イルカは肩を落とした。
(でも、すみません)
 イルカは心の内で謝った。
 それでも、

 ―――あの人だけは譲れないから。











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