091:サイレン









 鈍く痛む腹部に目が覚めた。わずかながら気を失ってしまったようだ。
 カカシはまだ走っていた。担がれたままのイルカは、
「カカシさん、降ろして下さい。いったい何処へ‥」
「黙ってなさい」
 一言で仕切られた。
 質問を許さない威圧感に、イルカは仕方なく口をつぐむ。
(――どうしてカカシさんがいたのだろう)
 手紙は読んだだろうか。どうして先回りができたのか。
 訊きたいことは山ほどあったが、カカシは依然沈黙を貫き通していた。
 町から離れると、夢路の森へと入る。人を一人背負っているのに、そのスピードは自分とは比にならない。揺られながら、イルカは表情を暗くした。
 銀髪の後頭部に、暗部の面がある。初めて現実世界で触れ合ったが、こうしていると夢なのか現実なのか不明だ。もしやすでに、名無し鳥の夢の中に入っているのか。
 感触を確かめるようにカカシの背を撫でると、びくりと反応が返ってくる。
 ふいに大樹の枝に着地し、彼方へと目を向けた。
「あんたの教え子はしつこいね」
「‥‥っ」
 その一言で、カカシが現れた理由がわかった。
 枝に降ろされたが「動かないで」と釘を刺される。カカシは忍犬を何匹か口寄せし、
「撹乱しろ」
 忍犬たちは心得たように四方に散った。イルカはおもわず、カカシの手を掴んだ。
「カカシさん‥っ、これは‥俺の問題です‥っ」
「人の陣地にもぐり込んで機密燃やして何言ってんの。あんたの元生徒は麝香獣の核だ。今後は我々が取り仕切ります。――あんたのこともね」
 強く握りかえされる。痛みに、イルカは後退りした。
「抜け忍、うみのイルカ。ひとまずは拘束し、里へ連行する」
「‥始末しないんですか」
 重い息を吐くような声が出る。カカシの手は緩まなかったが、
「――‥したいわけないでしょ」
 諦めた口調が落ちてくる。
 はっと顔を上げると、カカシは疲れを滲ませていた。
 イルカの胸に、罪悪感が押し寄せる。
「‥‥‥すみません。‥何もかも、謝って済むことではありませんが、でも、俺はあの子と会わなくては」
「なんのために。あんた、殺せるの? 蛇に睨まれた蛙みたいに竦んでたくせに、クナイなんか握れるの?」
「それでも‥‥っ、あの子が呼んでいるのは俺なんです。俺の偽善が、あの子を追い詰めて‥」
「だから、一緒に死んでやるとでも」
「‥‥それは‥っ」
「‥話になんか最初からならない。あんたは、とうに諦めてるんだね」
 カカシは静かに怒っていた。握る手に力を込め、
「どうすれば目を覚ます?――どうすれば他を見る?」
「カカシさん、俺は‥‥」
「どうすれば、あんたを繋ぎ止められるの」
「そんなものは‥ありません‥っ」
 真摯な眼差しを、イルカは避けてしまった。
 里を抜けるのは辛かった。たくさん大事なものを置いてきたけれど、覚悟して受け入れた。
 もう自分を止めるものは何も――、
「‥‥ッ‥‥」
 二の腕をつかまれ、立たされる。正面から見つめられ、イルカは息を飲んだ。
 ――初めて、色違いの双眸を怖いと思う。
「‥‥もっと深い怒りと屈辱があれば、死ぬなんてやめる気になる?」
 頭の中で、サイレンが鳴っていた。
 逃げなければ。










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2004.05.03

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